ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

ある船頭の話

オダギリジョー、初長編映画監督作品。
どんなものなんだろうと、かなり軽いノリで鑑賞に至った。
けれどそんなこちらの意図は幸運にも裏切られることになった。


目が痛い。
なんか、目の下のほうに涙が溜まっていて、それが重くなっているからなのかもしれない。
そう思った。そうだったんだろうか。




つらくて悲しい映画だった。


最初のうちは本当になんの期待もしていなかったものだから、
ただただ予想だにしない美しい映像を、頭では半分くらい別のことを考えながら、のんびりと気楽にスクリーンを眺めていた。
とにかくひとつひとつのカットがえげつないほど美しい。
そんな美しく映し出される景色と、まるでまっさらな自然の音色がとても心地がよくて、
ゆったりと流れる時間は癒しでしかなかった。
撮影監督はなんと、かのウォン・カーウァイ作品でもお馴染みのクリストファー・ドイル。
なるほど。氏のセンスや技術もさることながら、
偏見かもしれないけれど、映し出された風景は"外国人が切り取った日本の美しさ"という趣があった。



だからこそ、一見穏やかなその世界に主人公の船頭・トイチに容赦なく冷たくひどい言葉を投げつける輩が存在することが嫌でしょうがなかった。
あとあとわかることだけれどトイチは私の生き写しのような存在だったのだ。
あとあとそれに気がついて余計にそれらがつらく悲しく感じた。


だって美しかったのだ。
だからこそそれを知ってしまってからはつらくて悲しくてたまらなかった。




オダギリジョーが監督・脚本を務めた本作。
撮影監督にクリストファー・ドイル、衣装にワダ・エミ。
そしてありえないくらいの豪華キャストのリレーのごとき登場からは、
"オダギリジョーの人脈がすごい"というのが嫌でも頭から離れないのがくやしい。
だってオダギリジョーの人脈だけでこの作品がつくられたとは絶対に思えない。
それくらい私はこの映画がつらかったし悲しかった。


だけどオダギリジョーはオダギリジョーなのだ。


この錚々たる布陣を引き寄せたのもオダギリジョーなのだし、
オダギリジョーはオダギリジョーであることがきっとこれから作品をつくるにせよ、ずっとつきまとうのだろう。
まぁそんなこと本人はとうに分かりきってるだろうけど。
でもこの映画がいち個人の体感ではあまりたくさんのひとに観られていないように気がするのもくやしいなぁと思って。
いやまぁたくさんのひとにチヤホヤされるようなタイプの映画ではないし、
こうしていろんな意味で静けさを纏っているのもこの映画の好きなところなのだけれど。
なんかやっぱり有名人ってのはこういうときに難儀なもんだなーと。
とはいえ、本作の映画のアラを見つけてはこれだからオダジョー監督は(笑)、みたいな視線を送ってしまう自分みたいなのが諸悪の根源なんですけどね…
ただでさえつらくて悲しいのに加えて自己嫌悪、ええ。ごめんなさい。




そしてやっぱりこの映画は主人公の船頭・トイチを演じた柄本明ですよ。
もはや柄本明なしでは体をなさなかったのでは、本作は。



さっきまでこちらの目に映っていたあたたかく優しいトイチが己のどろどろとした部分を吐露するところでたちまちつらくて悲しい物語になる。
トイチを通して突きつけられる私という自分自身の醜さがつらくて悲しかったというのもあるけれど、
ただただトイチという人間を見ていても、つらくて悲しかった。
そしてそんな自分自身もまた醜いと思うものだから、それがまたつらくて悲しいのです。
そうしてつらくて悲しいのがどんどん積もっていってどんどん重くなっていく。


そういった人間の目に見えない部分でこちらを揺さぶってくる凄まじい演技でした。
もはやあれを「演技」ということばに置き換えていいものなのかと思うほど。




ラストの畳みかけ方、本当にすごかったなぁ。


私はこの映画が好きです。
オダギリジョー監督、次回作を楽しみにしています。

パラサイト 半地下の家族(二回目)



あまりにも気分が落ち込んでいた。
だから確実に好きな作品を浴びたくて一週間もたたないうちにおかわりしてしまった。


とにかくすごい作品との出会いに興奮していた数日前の自分はなんだったんだろう。
やっぱり私はこの作品が好きだけれど、今日は口角がいっさいあがることはなかった。



大好きなギジョン。



同じものを観たはずなのに登場人物たちが数日前と違うと感じた。
席ひとつあけた左隣の男性が上映中に取り出したスマホの光が嫌だった。
上映後、明るくなったスクリーンで笑い声が聴こえるのが煩わしかった。
そして劇場を出ると、足が、身体が重くてなんだか妙なしんどさがあった。


それでも私はきっと救われた。
数時間前までの我ながらいたたまれない自分ではなくなっていたから。
本当にこの作品に出会えてよかった。
なんだか遠くのほうに顔を向けてぼんやりしちゃうけど、
それでも顔をこうして前に向かせてくれるこの作品が私はやっぱり好きだ。

パラサイト 半地下の家族

観る前と観たあとでは世界の見え方が変わる。
そんな映画にいま出会えたことは本当に幸運だった。
今日がその日だった。なんと公開日である。


観終わったあと、
目の前を歩いているひと、となりに座っているひと、その席まで案内してくれたひと、
視界のなかにいるひとみんなそれぞれに人生がある、生活がある、と、しみじみと感じさせてくれた。
ひとりひとりが、とてもはっきりと見えた。


ほっぺたひっぱたかれてテメーの見てる世界はそんなひとたちがこうして生きる世界だと教えてくれるような、
なんだかはっと目を覚まさせてくれた映画だった。


映画を観る前は直前まで結構鬱屈した気分だったのだけれど、
映画が終わって、館内が明るくなって、バッグから取り出したスマホを見たら、
偶然だろう、たった約2時間弱のあいだに多方向から多数のメッセージが届いていた。
交わることのないそのメッセージらを見ては、
映画を観ているあいだになにか世界が変わったのではというようなそんな錯覚もあった。


妙に清々しい。すっきり。
映画の余韻に包まれているその時間は、
ただただ不思議な感じだった。




この映画、前情報は本当になにもない、まっさらな状態で観るべき作品だと思う。
パンフレットではポン・ジュノ先生がまるまる1ページ使ってそうおっしゃっているほど。
宣伝ビジュアルも、各々気合の入りまくった評判のいい諸外国各国のものは、むしろいろいろと察することができすぎちゃう気がする。
なんでそこをそうしたんやっていう日本版のほうが逆に訳が分からなくていいのではと。
ただまぁ後者は地味になってしまっている感は否めないのだけれど。


というわけで以下、自己責任で。







冒頭からスピード感あふれる展開であっという間に没頭して観ていた。
物語は気持ちがいいくらいガンガンとハイテンポに進む。
ただただ楽しい。ただただおもしろい。
めちゃくちゃ楽しい。めちゃくちゃおもしろい。
展開は読めないこともない部分もあったけれど、有無を言わせぬ大胆ながらもシャープな映像がそんなものをねじ伏せた。
めちゃくちゃ超スーパーエンターテイメントだった。


ところが中盤になってくると、主人公を演じるソン・ガンホの顔が歪むのと同期するかのように、
その"ただただ楽しくておもしろいエンタメ"が、どんどん歪んでいった。
ソン・ガンホのその表情の変化といったら凄まじかった。
瞳の演技があまりにも鋭い。
それはとてもことばでは形容しにくくて、見て感じることで認識できる変化。
「俳優」の仕事というものを見せつけられた気がする。


ハイテンションで一見陽気だったはずの作品がどんどん歪んでいく。
その歪みは貧富の差であったり災害であったり現代社会の暗い部分を次第にこちらに見せてくる。
そして、それもまた私自身という人間の人生であり生活であった。
知らないふりなんてできないのだ。




でも、笑ってしまうのだ。
心では泣いているのに。


主人公家族・キム家の豪快な明るさがポップさをギリギリのところでキープしていた。
惨劇と思われる部分もどこか間が抜けたような雰囲気があってケラケラと観てしまった。
キム家に「パラサイト」されるパク家の描写をおバカに振り切ったのも功を奏したのだと思う。


うそでしょ~!?って思うでしょ、でもね、
本作を観たK-POPファンはきっとここにたどり着きます。

まさかの餅ゴリに番外編を楽しませてもらえちゃうからK-POPファンはおトクだよ!


キム家、本当に強かでとてもよかった!
ソン・ガンホとチャン・ヘジンは安定感のあるTHEアジョシとTHEアジュンマ!
息子・ギウを演じたチェ・ウシクのこの秘めたるやを覚醒・炸裂させるシーンは圧巻だし、
なによりパク・ソダム~~~~~~~の娘・ギジョン!!!!!!!!
カッコよすぎる…!もうずっとずっとカッコよかった!
ふてぶてしいのにそれが超キュートなの!
ギジョンのカッコよさだけでも観る価値大なので観てくれ…




圧巻のドンデンガエシに夢中になっていると、終わっていた。
ラストのひとつ手前のフェイクにはも~~~やられた!直前に技あり一本取られた!
けれどジェットコースタームービーの終わりはとてもとても静かだった。


だからそ染み入った。
人間、人生、生活。



『バーニング 劇場版』も観てほしい。

宮澤佐江 @西村京太郎トラベルミステリー71

Q.このお姉さんはだれですか?





A . 正真正銘、宮澤佐江ちゃんです!!!!!!!!




2018年7月末に芸能活動をいったん休止し、
そののち2019年7月に芸能活動を再開した宮澤佐江ちゃんです。



いまやバズコンテンツといっていい大ヒットドラマシリーズ『おっさんずラブ』の2016年末に放送されたオリジナル版以来のテレビドラマ出演。

ミステリー界の巨匠・西村京太郎原作の『トラベルミステリー』 第71弾

《ミステリー界の黄金コンビ》
高橋英樹十津川警部高田純次=亀井刑事のニセモノ出現!? 
その正体は…サンドウィッチマン!?
伊達・富澤が怪しい2人組を熱演&十津川・亀井と大激突!!


キャスト
十津川警部 ・・・・ 高橋英樹
達川幹生 ・・・・ 伊達みきお
富山岳史 ・・・・ 富澤たけし
三枝しのぶ ・・・・ とよた真帆
細野真美子 ・・・・ 宮澤佐江
百瀬敏郎 ・・・・ 矢島健一
久保田あかね ・・・・ 伴 アンリ
北条早苗 ・・・・ 山村紅葉
柿沼浩輔 ・・・・ 葛山信吾
亀井刑事 ・・・・ 高田純次


tv asahi|テレビ朝日

なんかすごいところに…!?




1月19日(日)18:00 まで天下のTVer様で配信中で御座います。



とにかく、最後の13分を見て。




(いや、あんまりこういうこと言わんほうがいいのはわかってるんだけど!)
(爽やかイケメン…)




久しぶりに映像媒体での佐江ちゃんの演技を見て、
この繊細さはやっぱりなかなか舞台では見れないんだよな~と。
(ザ・2サスという独特なたたずまいではあったけれど)


注:ちょっとネタバレなんですけどね!




なにより、検索バーに「宮澤佐江」と打つと、
サジェストで「美人」が出てきた2020年なんですわ。


でもね、実はね、宮澤佐江ちゃんて10年以上前からとんでもない美人なので…
もう接触売りは(ほぼ)していないし、してほしいとも思わないけれど、
私は全人類を宮澤佐江ちゃんにゼロ距離で対面させたいんですよね…
ホンモノは、そのくらいハンパなく美しいので。




そして宮澤佐江ちゃんはダンスパフォーマンスがピカイチなので、
みんな舞台を観に行ったほうがいいと思うの!!!!!!!!!!!!!!!


舞台は、1950年代後半のニューヨーク、マンハッタンのウエストサイド。セントラルパークを挟んで、イーストサイドが高級住宅街で、ウエストサイドには多くの移民が住んでいた時代の物語。
この頃のニューヨークは、世界中から多くの移民が夢と富を求めて集まってきた時代だった。彼らはそれぞれギャング集団を作り、お互いに敵対し合う。しかし、ポーランド系移民のトニーと、プエルトリコ系移民のマリアは偶然出会い、激しい恋に落ちてしまう。禁断の愛は多くの人を巻き込み、悲劇の連鎖を生む…。

シェイクスピアの悲劇「ロミオとジュリエット」に着想を得た作品。偏見、暴力の世界で生き抜いていくために恋にもがく作品であると、この作品の脚本家、アーサー・ローレンツは言う。

公演内容:WEST SIDE STORY Season2|TBSテレビ:IHI STAGE AROUND TOKYO


じゃじゃ~ん!


いや、ふり幅。


宮澤アニータ佐江さんです。


WEST SIDE STORY Season2』、チケット好評発売中!
ステアラだよ!村上虹郎森崎ウィンも出るよ!


アンジュルム出身めいめいと推しが共演する世界線…!




お正月の2時間サスペンスドラマ。
追い風になるいいなぁ。
あけまして、宮澤佐江ちゃん!

【どこに】俺のK-POP 2019【いった】



この1年、短かったような、長かったような。
2019年のK-POP関連記事と、まとめ!




【1月】


■ 明けまして、ところで俺のK-POPはいつカムバックすんの?

思えばこのときの不安がいつのまにか不安ではなく、
さも当たり前のようなものになっていた2019年。OMG。


■ 2019 Wanna One Concert[Therefore]in ライブビューイング

Wanna One』は本当に美しかった。




【2月】


■ VIXX N Fanmeeting 2019 <A! Cha hakyeon> in Japan 夜公演 IN Zepp Tokyo

私は幸せ者です。




【3月】


■ 殺されたのは私の夢だったかもしれない。

「アイドル」というものを好きになって、それをこんなにも後悔したことはないです。


■ NCT 127 1st Tour ‘NEO CITY : JAPAN - The Origin’ 追加公演 in さいたまスーパーアリーナ

NCT、なんとかしてください。才能のある若者たちに未来と希望を。




【4月】


■ EXO-CBX “MAGICAL CIRCUS” 2019 -Special Edition- in さいたまスーパーアリーナ

SMエンターテイメントきっての超エンターテイメント公演、再来。


■ OH MY GIRL 正規アルバム1集「The Fifth Season」 コンセプトティーザー(Gallery Audio Guide Ver.)

大好きだったおまごるスタッフ(概念)がカムバック!


■ EXO-CBX “MAGICAL CIRCUS” 2019 -Special Edition- in ライブビューイング( それでもくやしい。)

SMエンターテイメントとの別れ。




【5月】


■ 後世に語り継ぎたい本田ビオレッタ仁美さん。

このあとのブロンドひぃちゃんもめちゃくちゃ可愛かったですね!


■ OH MY GIRL「5番目の季節 - The fifth season」

ある意味での『CLOSER』からのおまごるの到達点のひとつだったような気がします。



■ 森美術館15周年記念展 六本木クロッシング2019展:つないでみる

普通に美術館の展示の感想なんですけど、一応聖地巡礼(?)かなと。




【6月】


■ 2019年がもう半分終わりそうなんだけど、俺のK-POPがいまだにカムバックしない。

上半期どころか一年を通して2019年のハイライトは『ITZY』のデビューだったと思います。




【7月】


■「PRODUCE X 101」コンセプト評価、スンヨン先輩がバチクソにカッコイイいから見て。

プデュはコンセプト評価まで残れるか否かというところがとても大事。


■ 夢を見た。「PRODUCE X 101」、フィナーレ。

参加練習生が見せてくれたものは本物だし、褪せません。




【8月】


■ SMTOWN LIVE 2019 IN TOKYO in 東京ドーム

f(x)を見ることができて本当によかった。


■ SEVENTEEN「HIT」

もっと評価されるべきだと思うんですけど!!!???


■ カン・ミンヒ @X1 PREMIER SHOW-CON(と、X1デビュー。)

微力ながら私もチャート反映店で音盤を購入。
『飛翔』ver. がカンミニセットで運命を感じた←




【10月】


■ ATEEZ 正規アルバム1集「TREASURE EP.FIN : All To Action」 コンセプトフォト

今後のK-POPのキーマンだと思ってる。


■ 共犯者たち

こちらの映画、K-POPにもめちゃくちゃ関係ありました。


■ VIXX LIVE FANTASIA[PARALLEL]IN JAPAN in パシフィコ横浜 国立大ホール
■ EXO PLANET #5 - EXplOration - in JAPAN IN 横浜アリーナ

とてもじゃないけれどアイドルの現場に行くのはしんどい時期でした。
しかも一週間のあいだに大好きな『VIXX』と『EXO』のライブに参加するという。
けれど、だからこそ私はきっと「忘れない」と思う。
そしてこのふたつのグループがそれぞれ違ったかたちの「成熟」を見せてくれたことは、
ファン冥利に尽きるってもんです。




【11月】


■ EXO 正規6集アルバム「OBSESSION」 ティーザーイメージ
■ EXO 「Obsession」 ミュージックビデオ

EXOのスタッフもカムバックです!ひさしぶり!




【12月】


■ #VIXX1stWin、の6年後。

うそのような本当のことを当たり前のように体現する『VIXX』という奇跡のグループ。


■ 私は日プをツカメたか?「PRODUCE 101 JAPAN」

一応K-POP産(?)ということで。
日プには救われたと同時にひどいロスにも陥ってます…持ってるテープぜんぶ出して…
誰か『YOUNG』のるきやすのチッケムをお年玉でください(切実)




今年のマイ・ピック。


・ME(美) / CLC

『CLC』、そろそろでは、と思わせてくれました。
去年いろいろあったCUBEを支えたくらいの仕事を成した『(G)I-DLE』のデビューによって、
後輩に先を越された!?、といったんは思ったものの、やんちゃな妹ちゃんの影響がすごくいい風に作用していて、
いつのまにか自然と大人の余裕みたいな武器を纏い、ここに到達できたのはでかい。
CLC、勝てるグループだと思うし、CUBEくらいの規模の事務所ならもう少しそれらを生かしてフレキシブルに動けるんじゃないかと思うんだけどな~。
…個人的にはやっぱりあのネコのロゴがアレなんじゃないかと思うんですが!!!!!!
一方でチャミスマも愛しています。



・FUN! / fromis_9

これ本当に「何度でも見たくなる」めちゃくちゃ優秀なミュージックビデオ。
単純に見ていて楽しい、可愛い、おもしろい。
オマージュと当人らのハイレベルなビジュアルで全推しするの、初期の『TWICE』を思い出します。
最近はMVを一曲見るのも億劫なのでこういった技ありな作品には感心する。お見事。
テンションの高いハッピーな楽曲にソヨンちゃんのクールなラップが映えます。



・WONDERLAND / ATEEZ

偉すぎる。私が好きだったK-POPすぎる。天下獲ってくれ。
パフォーマンスもめちゃくちゃカッコいい!ホンジュンくんの不穏なカジャァ~が最高。
なのだけれど、あからさまに怪我人が出ちゃうのはぅぅっとなってしまうので気をつけて欲しい…そういうとこだぞ、K-POP



・SUPER Clap / SUPER JUNIOR

全体的な楽しさに安定感があって安心する。
その楽しさも落ち着いたオトナのノリなのがいい。
年月を経てたグループの理想的なかたちでは。
『EXO』や『VIXX』らがこういった存在になってくれそうなのが嬉しいです。
K-POPだとかアイドルだとか音楽だとか枠や幅に囚われない、ただ見ているだけで楽しい気分にさせてくれる楽しさがすごい。
SJはキャラクターの個性の強さもあって映像の魅力も増し増しです。



・HIP / MAMAMOO

パフォーマンスのパワー勝負みたいなしつらえがカッコよすぎます!
ムンビョルとファサがグイグイ引っ張っていって、
対してソラちゃんとフィインのボーカルがちょっと抑え気味なのも逆にママムのストロングさを感じさせる。
ママムってママムは好きなのだけれど曲はいつもあんまりぴんとこないっていう感じだったので、
こうして自分がこれ好きだーっていう曲でカムバックしてくれたのが嬉しい。
そして内情はわからないけれど、「ママムがママムのやりたいことをやっている」ような様子をこちらが見ることができるのが本当に希望が持てる。



・Psycho / Red Velvet

2019年滑り込みカムバック、俺の初孫・レドベルちゃん。
『The ReVe Festival』のフィナーレを見事に飾りました。
原美術館の具現化のようなティーザーイメージも最高すぎです。
映像ではSJやママムとは違った確立された「私たち」を素晴らしいかたちで見せてくれました。
なんだかんだ、5年。その5年という年月を、お祝いしたくなっちゃう。
その歩みは、美しい。



ミン・ヒジン・バブル。


『アンジュルム』のあやちょ卒コンの余韻であまりもぼーっとしていた時期に、
それは突然起こった。


7月1日、当ブログのアクセスが通常の約10倍ほどに跳ね上がった。
何が起きたのかとめちゃくちゃびっくりしたのだけれど、
蓋を空けてみればフックは「ミン・ヒジン元SMエンターテインメントのクリエイティブディレクター兼取締役が、本日からBig Hitエンターテインメントに合流する」との一報であった。
恐ろしいことにアクセスはすべて検索流入だった。どんだけ。


いま読み返すとお恥ずかしながら文句ばっかり言っていたヒジンさんに対しての記事が、
まるでサプライズプレゼントのようなかたちになって跳ね返ってきたのはとてもおもしろい体験だった。



とにかく別れの多い1年だった。


たくさんの「別れ」があった。
それは私にとっては兵役による入隊なども含みます。
でもそれらを「韓国国民の義務にすぎない」などという論調で吹き飛ばすことができてしまうような「別れ」がたくさんあった。


もう何回、同じことを想って、願えばいいんだろう。
何度悲劇を繰り返しても、なにも変わっていない。



気がついたら、自分の娯楽のためにK-POPアイドルに接するということに、
どこか後ろめたさを感じるようになってしまった。


自分のために、K-POPアイドルが好きなのに、
いまではアイドルのために幸せどころかそもそも健康であることを願わざるを得ない状況になっていた。


「やりすぎ」が行き着いたのは、ここなのか?
いよいよアップロードされる作品が良ければ無問題とか言ってられないんだけど。



今年はとくにアイドルの体調不良なんてのは当たり前レベルに頻出していたように思う。
その理由のひとつに"どんなに頑張っても成果が出ない"という状況が浮かんだ。
パッと見は世界で大人気のK-POP☆なのかもしれないけれど、
個人的にはシーンの流れは停滞しているように感じる。
視点を変えれば、きっとそれは群雄割拠であるという証拠なのかもしれないのだけれど。


あのせわしなく渦巻いていた煌めくK-POPアイドルシーンはどこに行ってしまったのか。
きっと見えているひとには見えているはずなのに、
自分だけが見えなくなってしまったのかと思うと悲しい。
業界みんなでK-POPを盛り上げよう!、みたいな雰囲気をいまは見つけることが難しい。


その結果、格差が広がり、動きが止まってしまった。ように見える、私には。
私だけがそう感じているのかもしれないということはわかっている。
それでも、そんな私のために、今後、そんな状態を打ち破ってくれるキッカケみたいなものは現れてくれるのだろうか、とぼんやりと思う。
もうそこに対しては「願う」だなんていうところには及ばない。「思う」でじゅうぶん。
「願う」のはアイドルの健康である。なんじゃそりゃ。



それでもクリエイティブが繋ぎとめてくれるのか。


上記の「別れ」とはまた違った別れもなかなかに苦かった。


『LOOΠΔ』(LOONA/今月の少女/イダレソニョ)の生みの親、
A&Rを務めていたチョン・ビョンギさんがLOONAプロジェクトから離れた。



ある時期からのLOONAの動き方から、薄々勘づいていたところでもあった。
LOONAのデビュー直前にあったすごい勢いだった時期に、
念仏のごとくビョンギさんがLOONAに飽きませんようにと唱えていたけれど、
さすがにこういうかたちで離れるのってどうなの…?、と思ってしまう。


ビョンギさんはクリエイターとして憧れないわけではないし、
きっとまたビョンギさんがつくったものにきゃいきゃい言うことだってないことはないと思うけれど、
どうしても私はアイドルちゃんが好きなので…
ここでほっぽりだされた12人の少女たちのことがただただかわいそうに思う。



なぁブロベリよ。資金がなくなって思うように動けなくなったから、じゃないんだよ。
むしろ資金がなくなったところでクリエイティブの力で何とかしてみせるとかそういう気概はないのかと。
韓国の芸能界の仕組みがいまいちわかっていないけれど、それってプロの振る舞いなのだろうか。


というか現状、LOONAプロジェクトはビョンギさんのシナリオ以外のものが出てこない環境なのだろうか。
ビョンギさんがここまでやったんだから次は~という「続き」はないのだろうか。
それともあったとしても資金の問題で動けないんだろうか。
こういうことがあるから、どうしても韓国の高いクリエイティブのクオリティも手放しに楽しめなくなってしまう。
12人の少女はお人形さんじゃなくて血の通った人間の女の子なんですよ、わかっていますか。



とうとうK-POPを振り返りたくなった。


K-POPがカムバックしないK-POPがカムバックしないとずっとぶつぶつ言っていたけれど、
実はしっかりとちゃんと例年どおりK-POPはカムバックしていた。
K-POPはカムバックしていたけれど、私がカムバックしていなかっただけだった。


2019年は前半に、『Wanna One』の解散や、『VIXX』や『EXO』の入隊というイベント(という表現があっているかはよくわからないけれど)があって、
一覧をこうして見てみると我ながらそこそこ充実(?)している。
そのあとは、なんかずっとぼーっとしていて、そこに彗星のごとく現れた「日プ」というコンテンツにどぼんしていた。
日プ、GYAO!での配信が3月末あたりまでらしいので、ご覧になっていなかった方はぜひ!
サバイバルの後追いはいいぞ(経験者)




K-POPが思い出になりそうでいよいよヤバイ。
気づいている方もいると思うけれど、カテゴリー分けしていないでお馴染みの当ブログがついにカテゴリー分けをした。
なぜかというと、自分で自分のK-POP記事を振り返りたくなったから。
しかも気がつけばなかなかに細かく分けていた。


K-POPのアイドル、おもしろかった。
と、過去形になりつつある。


予兆はあった。
今年最初のK-POPカテゴリーの記事はそんな不安に駆られたものだった。
そんな不安は覆されるどころか、気づくと、なんか大変なことになってしまっていたK-POP界隈。
いま現在、「好き」の気持ちがぼんやりとしてしまっている。
まだ「好き」であることには変わりはないのだけれど。
K-POP云々を超えて好きなものは、きっとこれからも好きだし。




なんだかローテンションなまとめになってしまって、
読んでくださっている方には本当に申し訳ないです。


今年もたくさんの方が、当ブログに訪れてくださいました。
本当にありがとうございました!


そのきっかけの多くがK-POPであることは、もちろんわかっています。
そしてこのブログを通した素敵な出会いがたくさんありました。
K-POPは私と、このブログを読んでくださる方を繋げてくれました。
そんなK-POPを、好きでいたいに決まってるじゃんね!






了!

i-新聞記者ドキュメント-

私がこの映画の存在を知ったのは、
たまたま見た劇場のウェブサイトに上映中の作品として載っていたからだ。
それまでまったく知らなかった。
ただでさえ自分のアンテナが鈍っている、にしても知らなかった。



数日後、予告映像にも登場している伊藤詩織さんが勝訴した。
そして昨日、韓国の前法相チョ・グク氏に韓国検察が「職権乱用」の疑いで逮捕状を請求した。



職権乱用…はて、我が国の首相は?



その流れで、私は不逮捕特権ということばを知った。

不逮捕特権とは、憲法上、国会議員は原則として国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならないという特権。ここでいう「逮捕」は刑事訴訟法上の「逮捕」よりも広い意味であり行政措置上の身柄の拘束まで広く含む。

不逮捕特権 - Wikipedia


マスコミはもはやご存知、いまや警察も当然のごとく政治権力に支配されているこの現状。
気づいたら自分もそんな権力に囲われていたという…


私が選挙権を持ったとき、私は自分の住む国のことなんて考える余地はなかった。
毎日毎日、自分のことで精いっぱい。
でもいまは、私が選挙権を持った時期よりSNSなどが普及していて、
当時よりその世代は政治に触れる機会もあるのでは、と思うのだけれど、どうだろう。
まったく触れることがないのと、ほんのちょこっと見かける程度でも雲泥の差だと思う。




話は冒頭に戻るけれど、私はこの作品を知らなかった。
ああ、またか、と思った。
『主戦場』『新聞記者』のときと同じだ。
そういうことだ。
けれどいまの日本でこの作品が公開されるということ自体、
韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』を観たときは想像もできなかった。
本当にすごいことだと思う。


監督は日本のドキュメンタリー映画といえば、の森達也
そして、なんとプロデューサーは映画『新聞記者』も手掛けた河村光庸というひとであった。
なるほど、だから先に公開された『新聞記者』をリードのように扱えるのか。


最近は寒暖の差が激しく、体調も気分もすぐれなかった。
けれど、これは「いま」観るべきタイミングなんだなと感じた。
偶然なのか、必然なのか、自分の周りの動きもこの映画に向いていた。
それに引っ張られるかのように劇場に足を運んだ。





東京新聞社会部記者・望月衣塑子(いそこ)氏。
文字通りこの作品の主人公である。
そして映画『新聞記者』の原案の著者でもあり、劇中にも実際に本人役で登場している。


本作での望月記者はとても熱く、激しく、躍動していた。
そして彼女が「なぜ」「どうして」を向けるひとたちは、総じて生気がないように見えた。
人形のようだった。感情が見えない。人間のはずなのに。
役者が演じているわけではない。ドキュメンタリーなのだから。
それなのに、メディアで見かけるあのひともこのひともまるで何かを演じているかのようであった。


そのひとたちは物語の「主人公」という役割を与えられた望月記者との対比でそういう風に映ったのかもしれない。
「主人公」が主軸になる世界で相対する登場人物は意図せず「敵」になってしまう。
物語が進むにつれ、望月記者と同じく「なぜ」「どうして」という感情が、
私自身のなかからどんどんあふれ出てくるのがわかった。
そしてそこには敵意を向けるざるを得ない相手がいるのだ。
これは望月記者の物語ではあったけれど、私の物語でもあるということに気がついた。
望月記者と私は何もかも違うけれど、日本という国に住み、生活している点は同じである。
接点はそれだけでもじゅうぶんだった。


こうして普段はあまり感じることのない「権力」というものを、
こうしてしっかりと見せつけられてしまうともうなんか…
自分もこの権力の支配下にいるという「実感」でぶん殴られた感じだ。



どうしてこうなった?
何がいけなかった?
あのひとは本当に悪者なのか?



みんなただ毎日こうして生活しているだけなのに。
どこからか、何かがきっと間違った。
「絶対に正しい」なんていうことはこの世には存在しないけれど、いまこの現状が間違っているということはわかる。
その間違っている世界は私の生きる世界であった。
もはや選挙というものが公平に行われているのかということもあやしいとまで思える。
権力はどこまで及んでいるのか、計り知れない。ぞっとする。


でもきっと私は明日には自分がそんな世界に存在していることを忘れるだろう。
だっていまだって、毎日、自分のことで精いっぱいだもの。
でもこうした作品に触れたことで、いつだってその世界にいることは思い出せる。
ジャーナリズムと創作、報道の自由表現の自由
だからこそ多くのひとにこの作品が伝わってほしいと願う。




フジファブリック』の志村がこの世を去ってちょうど10年になるそうだ。
彼は突然ふっと消えてしまったような感じでいまだに実感がない。
けれどツイッターのトレンド欄に「フジファブリック」があることはそういうことだろう。



10年、か。なぁ志村。
だってぜんぶ繋がっているから。
今日はとても晴れた日だった。

大河ドラマ いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~

過去から現在に向けた手紙のような大河ドラマだった、『いだてん』。
公共放送が発したあらゆる方向に向けての最大限のメッセージのような気がする。



「こんなときだからこそオリンピック」と鼓舞する一方で、
「いまの日本は世界に見せたい日本ですか?」と疑問を投げかけてくる。



それを宮藤官九郎という現代のひとがつくったというのが本当にすごい。




とても美しいクロスワードパズルのようなドラマだった。

クロスワードパズルは、「カギ」と呼ばれる文章によるヒントを元に、タテヨコに交差したマスに言葉を当てはめてすべての白マスを埋めるパズル。通常、四角形であり、文字の入る白マスと入らない黒マスから成り、白マスにはカギを配置するための数字が振られている。


クロスワードパズル - Wikipedia

最終回でマスは完璧に埋まった。
そのパズルは宮藤官九郎のとんでもない視野の広さによってつくられていた。


基本的にはハッピーがちりばめられていたけれど、
つらくて悲しいこと、日本人が目を背けたいこともすべて描いていた。
平和の祭典と言われるオリンピックの敵は、ときに政治だった。
そのすぐ横には戦争があった。災害があった。
群像劇であったこの大河ドラマは、私という人間にとっても無関係な話ではなかった。
誰もがこのドラマの登場人物になり得た。それらはぜんぶ他人事じゃなかった。
あと、毎回必ず"人間の優しさ"で泣かされる。


終盤に、四三さん、志ん生や津島さんらの、
長くある世界で生きてきたひとたちの「老い」というものまで描いたのにはさすがにびっくりした。
本当に底が知れない…‬


最後の最後、東京オリンピックの最後の聖火ランナーの少年に平和の象徴を背負わせてしまったことについては、
テレビでただそれを見ている私ですら考えさせられるものだった。
最後まで、本当にすごかった。




第1部から第2部への転換もすさまじかった。
第2部になってまだ第1部のメインキャストもしっかりと登場しているのに、
田畑政治=まーちゃんがかき回してあっという間に時代を新しくしてしまったのはお見事だった。
しかもまーちゃんは実は第1部にもしっかりと登場していた。
恐ろしいことに『いだてん』は劇中の出来事はぜんぶどこかに繋がる仕組みになっていた。
本当に我々はずっとクドカンの掌の上だった。
つねにフルスロットルのまーちゃんだけれども、演じた阿部サダヲの突き抜けたような演技に圧倒されることも多かった。
そしてラストに、第1部の主人公であった金栗四三中村勘九郎)の物語がようやく完結した。


このドラマ、創作なのでは?、という部分が、
まごうことなき史実であったりするのもすごかった。
なんだか「すごい」ばかり言ってるけれど本当にすごいドラマだったので…
実在の岩ちん、まさかの演じた松坂桃李よりイケメンだった…すごい…




初回、あまりにも楽しく美しいオープニングから心躍った。
オープニングに現れる東京の街並みを描いたのはなんと山口晃


そしてロゴデザインとポスタービジュアルを手掛けたのはかの横尾忠則
まさか2019年に横尾忠則大河ドラマのデザイン制作をするだなんて誰が想像できたか!




攻め攻めの姿勢がソークールすぎる。
この情報を知った時点で、私の期待は最高潮だった。


なんてったって"1964年の東京オリンピック"といえば、
泣く子も黙る天下の亀倉雄策大先生様が数々の傑作デザインを産み出しているからである。




亀倉雄策を演じたのは前野健太さんというシンガーソングライターの方でした。
大変申し訳ないのですが、わたくしこの方を存じ上げなくてですね…
いやお名前だけなら、どこかで聞いたことがありますね…うん、すみません…
丹下健三松田龍平なのに!ずるい!」と建築畑の友達にぶつぶつ言っていました…だってずるい!




ビジュアルだけでなく、これまでの大河ドラマとは違い、
「派手さ」に欠けるであろう近代の群像劇は、とてもポップな演出で彩られた。
全編が映像作品としてもとても見ごたえがあり、贅沢な時間だった。


私は、それをとても楽しく視聴していたけれど、
残念ながらその「大河ドラマ」にあるまじきあまりのポップさに戸惑った層が多かったのも事実である。
SNSでの盛り上がりようと視聴率という数値がこんなにかけ離れることがあるのだろうか。
そのポップさは諸刃の剣だったように思うけれど、
NHKが最後までお茶の間の顔色を窺ったりせず、貫いてくれたことに感謝します。


とはいえ、こんなに凄いドラマなのに視聴率が悪い、っていうか、
序盤からすでに既存の大河ドラマファンが続々と離脱してたのはくやしすぎました。
長年大河ドラマに親しんできたひとたちが、口々に「つまらないんだもん」「わからないんだもん」って言うのを直接聞いたりもしたけれど、
それが理解できないわけじゃないから余計にくやしい。
単純にもっとたくさんの人に見てもらいたいし、評価されるべきだけれど、
絶対に相容れない人がたくさんいることもわかってしまうのが本当にくやしい。
だって「大河ドラマ」なんだもん…


個人的には「大河ドラマ」であることにはこだわりたい(?)ので、
よく見かけた「わかるひとだけわかればいい」みたいな主張も悲しいというか。
そこを切り捨てたくない…いやだって大河ドラマだからね!?、と思う。
自分の好きなものはみんなにも好きになってほしいんだよ…
というか、本当に素晴らしいドラマだったので、それがより多くのひとに届いて欲しいなという。




「‪俺のオリンピック」。
今度の東京オリンピック、まだぜんぜん俺のオリンピックじゃない。
まーちゃんが政治家に放っていたことばをそのままいまの政治家に聞かせてやりたい。‬
はたして来年の東京オリンピックは「みんなのオリンピック」になるのだろうか。




『いだてん』、本当にありがとうございました!
最高の大河ドラマでした!