ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

ある船頭の話



オダギリジョー、初長編映画監督作品。
どんなものなんだろうと、かなり軽いノリで鑑賞に至った。
けれどそんなこちらの意図は幸運にも裏切られることになった。


目が痛い。
なんか、目の下のほうに涙が溜まっていて、それが重くなっているからなのかもしれない。
そう思った。そうだったんだろうか。




つらくて悲しい映画だった。


最初のうちは本当になんの期待もしていなかったものだから、
ただただ予想だにしない美しい映像を、頭では半分くらい別のことを考えながら、のんびりと気楽にスクリーンを眺めていた。
とにかくひとつひとつのカットがえげつないほど美しい。
そんな美しく映し出される景色と、まるでまっさらな自然の音色がとても心地がよくて、
ゆったりと流れる時間は癒しでしかなかった。
撮影監督はなんと、かのウォン・カーウァイ作品でもお馴染みのクリストファー・ドイル。
なるほど。氏のセンスや技術もさることながら、
偏見かもしれないけれど、映し出された風景は"外国人が切り取った日本の美しさ"という趣があった。



だからこそ、一見穏やかなその世界に主人公の船頭・トイチに容赦なく冷たくひどい言葉を投げつける輩が存在することが嫌でしょうがなかった。
あとあとわかることだけれどトイチは私の生き写しのような存在だったのだ。
あとあとそれに気がついて余計にそれらがつらく悲しく感じた。


だって美しかったのだ。
だからこそそれを知ってしまってからはつらくて悲しくてたまらなかった。




オダギリジョーが監督・脚本を務めた本作。
撮影監督にクリストファー・ドイル、衣装にワダ・エミ。
そしてありえないくらいの豪華キャストのリレーのごとき登場からは、
"オダギリジョーの人脈がすごい"というのが嫌でも頭から離れないのがくやしい。
だってオダギリジョーの人脈だけでこの作品がつくられたとは絶対に思えない。
それくらい私はこの映画がつらかったし悲しかった。


だけどオダギリジョーはオダギリジョーなのだ。


この錚々たる布陣を引き寄せたのもオダギリジョーなのだし、
オダギリジョーはオダギリジョーであることがきっとこれから作品をつくるにせよ、ずっとつきまとうのだろう。
まぁそんなこと本人はとうに分かりきってるだろうけど。
でもこの映画がいち個人の体感ではあまりたくさんのひとに観られていないように気がするのもくやしいなぁと思って。
いやまぁたくさんのひとにチヤホヤされるようなタイプの映画ではないし、
こうしていろんな意味で静けさを纏っているのもこの映画の好きなところなのだけれど。
なんかやっぱり有名人ってのはこういうときに難儀なもんだなーと。
とはいえ、本作の映画のアラを見つけてはこれだからオダジョー監督は(笑)、みたいな視線を送ってしまう自分みたいなのが諸悪の根源なんですけどね…
ただでさえつらくて悲しいのに加えて自己嫌悪、ええ。ごめんなさい。




そしてやっぱりこの映画は主人公の船頭・トイチを演じた柄本明ですよ。
もはや柄本明なしでは体をなさなかったのでは、本作は。



さっきまでこちらの目に映っていたあたたかく優しいトイチが己のどろどろとした部分を吐露するところでたちまちつらくて悲しい物語になる。
トイチを通して突きつけられる私という自分自身の醜さがつらくて悲しかったというのもあるけれど、
ただただトイチという人間を見ていても、つらくて悲しかった。
そしてそんな自分自身もまた醜いと思うものだから、それがまたつらくて悲しいのです。
そうしてつらくて悲しいのがどんどん積もっていってどんどん重くなっていく。


そういった人間の目に見えない部分でこちらを揺さぶってくる凄まじい演技でした。
もはやあれを「演技」ということばに置き換えていいものなのかと思うほど。




ラストの畳みかけ方、本当にすごかったなぁ。


私はこの映画が好きです。
オダギリジョー監督、次回作を楽しみにしています。