ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

笑いのカイブツ


岡山天音がソロでどーんとなっているビジュアルを見て、「観ない」という選択肢がない。
岡山天音の演技への期待と信頼が、主役であるからこそより高まる。
幸いにも『王様になれ』のことはすっかり忘れていた。
結果は予想を超えた、岡山天音という役者の仕事を見せてもらうことができ、
うっかり偶然ファーストデー鑑賞したのが申し訳ないレベルでした。


岡山天音のカイブツ演技がすごかった。
それだけを観に映画館に足を運ぶ価値大あり。
菅田将暉もさることながら同年代(だよね?)の仲野太賀の包容力のある大人の男演技も最高でした。




キャストの演技がすごすぎて、肝心の劇中の"笑い"がちょっと説得力に欠けてしまった。
それぐらい"笑い"というものは難しく、"笑い"をつくるということの厳しさも実感。
皮肉にも、それ自体が"笑い"というものを生み出すところはおもんないというところに妙に納得してしまった。
人間関係不得意の純粋無垢の笑いのカイブツがつぶされてしまうビジネスの世界だった。


お笑いはライブ感が肝だと思うので、
以上の映画の材料としての笑い程度ではなかなかしっくりこないところを役者の演技が支えていた。
漫才指導が令和ロマンだったのにはエンドロールで見てきゅんとした。(ミーハー)


ただ、一方でツチヤを突き動かしていた”笑いの力”は感じざるを得なかった。
そのくらいの岡山天音の演技だった。




主人公ツチヤタカユキへの共感は正直言って、できる。できてしまう。
できれば共感できない側の人間でありたかった。だって辛いもん。
そういう意味では本当に苦しかったけれど、
そんなツチヤにしっかりと手を差し伸べる神のような人間が側にいてくれたのは心底羨ましかったし、悔しかった。
そしてなんだかんだ、後日談として彼はカイブツと名乗れるのだから。
著書が出版され、こうして映画にもなった。


これが事実ならば、「今現在のツチヤタカユキは?」と検索してしまう。
どうやら場所は東京ではないもののお笑いに携わっているらしく、ほっとした。
そして東京につぶされてもなお道はあると、
すべてのクリエイターに差し伸べてくれる可能性こそが真髄だと感じた。
そうであれ。