ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

i-新聞記者ドキュメント-

私がこの映画の存在を知ったのは、
たまたま見た劇場のウェブサイトに上映中の作品として載っていたからだ。
それまでまったく知らなかった。
ただでさえ自分のアンテナが鈍っている、にしても知らなかった。



数日後、予告映像にも登場している伊藤詩織さんが勝訴した。
そして昨日、韓国の前法相チョ・グク氏に韓国検察が「職権乱用」の疑いで逮捕状を請求した。



職権乱用…はて、我が国の首相は?



その流れで、私は不逮捕特権ということばを知った。

不逮捕特権とは、憲法上、国会議員は原則として国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならないという特権。ここでいう「逮捕」は刑事訴訟法上の「逮捕」よりも広い意味であり行政措置上の身柄の拘束まで広く含む。

不逮捕特権 - Wikipedia


マスコミはもはやご存知、いまや警察も当然のごとく政治権力に支配されているこの現状。
気づいたら自分もそんな権力に囲われていたという…


私が選挙権を持ったとき、私は自分の住む国のことなんて考える余地はなかった。
毎日毎日、自分のことで精いっぱい。
でもいまは、私が選挙権を持った時期よりSNSなどが普及していて、
当時よりその世代は政治に触れる機会もあるのでは、と思うのだけれど、どうだろう。
まったく触れることがないのと、ほんのちょこっと見かける程度でも雲泥の差だと思う。




話は冒頭に戻るけれど、私はこの作品を知らなかった。
ああ、またか、と思った。
『主戦場』『新聞記者』のときと同じだ。
そういうことだ。
けれどいまの日本でこの作品が公開されるということ自体、
韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』を観たときは想像もできなかった。
本当にすごいことだと思う。


監督は日本のドキュメンタリー映画といえば、の森達也
そして、なんとプロデューサーは映画『新聞記者』も手掛けた河村光庸というひとであった。
なるほど、だから先に公開された『新聞記者』をリードのように扱えるのか。


最近は寒暖の差が激しく、体調も気分もすぐれなかった。
けれど、これは「いま」観るべきタイミングなんだなと感じた。
偶然なのか、必然なのか、自分の周りの動きもこの映画に向いていた。
それに引っ張られるかのように劇場に足を運んだ。





東京新聞社会部記者・望月衣塑子(いそこ)氏。
文字通りこの作品の主人公である。
そして映画『新聞記者』の原案の著者でもあり、劇中にも実際に本人役で登場している。


本作での望月記者はとても熱く、激しく、躍動していた。
そして彼女が「なぜ」「どうして」を向けるひとたちは、総じて生気がないように見えた。
人形のようだった。感情が見えない。人間のはずなのに。
役者が演じているわけではない。ドキュメンタリーなのだから。
それなのに、メディアで見かけるあのひともこのひともまるで何かを演じているかのようであった。


そのひとたちは物語の「主人公」という役割を与えられた望月記者との対比でそういう風に映ったのかもしれない。
「主人公」が主軸になる世界で相対する登場人物は意図せず「敵」になってしまう。
物語が進むにつれ、望月記者と同じく「なぜ」「どうして」という感情が、
私自身のなかからどんどんあふれ出てくるのがわかった。
そしてそこには敵意を向けるざるを得ない相手がいるのだ。
これは望月記者の物語ではあったけれど、私の物語でもあるということに気がついた。
望月記者と私は何もかも違うけれど、日本という国に住み、生活している点は同じである。
接点はそれだけでもじゅうぶんだった。


こうして普段はあまり感じることのない「権力」というものを、
こうしてしっかりと見せつけられてしまうともうなんか…
自分もこの権力の支配下にいるという「実感」でぶん殴られた感じだ。



どうしてこうなった?
何がいけなかった?
あのひとは本当に悪者なのか?



みんなただ毎日こうして生活しているだけなのに。
どこからか、何かがきっと間違った。
「絶対に正しい」なんていうことはこの世には存在しないけれど、いまこの現状が間違っているということはわかる。
その間違っている世界は私の生きる世界であった。
もはや選挙というものが公平に行われているのかということもあやしいとまで思える。
権力はどこまで及んでいるのか、計り知れない。ぞっとする。


でもきっと私は明日には自分がそんな世界に存在していることを忘れるだろう。
だっていまだって、毎日、自分のことで精いっぱいだもの。
でもこうした作品に触れたことで、いつだってその世界にいることは思い出せる。
ジャーナリズムと創作、報道の自由表現の自由
だからこそ多くのひとにこの作品が伝わってほしいと願う。




フジファブリック』の志村がこの世を去ってちょうど10年になるそうだ。
彼は突然ふっと消えてしまったような感じでいまだに実感がない。
けれどツイッターのトレンド欄に「フジファブリック」があることはそういうことだろう。



10年、か。なぁ志村。
だってぜんぶ繋がっているから。
今日はとても晴れた日だった。

大河ドラマ いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~

過去から現在に向けた手紙のような大河ドラマだった、『いだてん』。
公共放送が発したあらゆる方向に向けての最大限のメッセージのような気がする。



「こんなときだからこそオリンピック」と鼓舞する一方で、
「いまの日本は世界に見せたい日本ですか?」と疑問を投げかけてくる。



それを宮藤官九郎という現代のひとがつくったというのが本当にすごい。




とても美しいクロスワードパズルのようなドラマだった。

クロスワードパズルは、「カギ」と呼ばれる文章によるヒントを元に、タテヨコに交差したマスに言葉を当てはめてすべての白マスを埋めるパズル。通常、四角形であり、文字の入る白マスと入らない黒マスから成り、白マスにはカギを配置するための数字が振られている。


クロスワードパズル - Wikipedia

最終回でマスは完璧に埋まった。
そのパズルは宮藤官九郎のとんでもない視野の広さによってつくられていた。


基本的にはハッピーがちりばめられていたけれど、
つらくて悲しいこと、日本人が目を背けたいこともすべて描いていた。
平和の祭典と言われるオリンピックの敵は、ときに政治だった。
そのすぐ横には戦争があった。災害があった。
群像劇であったこの大河ドラマは、私という人間にとっても無関係な話ではなかった。
誰もがこのドラマの登場人物になり得た。それらはぜんぶ他人事じゃなかった。
あと、毎回必ず"人間の優しさ"で泣かされる。


終盤に、四三さん、志ん生や津島さんらの、
長くある世界で生きてきたひとたちの「老い」というものまで描いたのにはさすがにびっくりした。
本当に底が知れない…‬


最後の最後、東京オリンピックの最後の聖火ランナーの少年に平和の象徴を背負わせてしまったことについては、
テレビでただそれを見ている私ですら考えさせられるものだった。
最後まで、本当にすごかった。




第1部から第2部への転換もすさまじかった。
第2部になってまだ第1部のメインキャストもしっかりと登場しているのに、
田畑政治=まーちゃんがかき回してあっという間に時代を新しくしてしまったのはお見事だった。
しかもまーちゃんは実は第1部にもしっかりと登場していた。
恐ろしいことに『いだてん』は劇中の出来事はぜんぶどこかに繋がる仕組みになっていた。
本当に我々はずっとクドカンの掌の上だった。
つねにフルスロットルのまーちゃんだけれども、演じた阿部サダヲの突き抜けたような演技に圧倒されることも多かった。
そしてラストに、第1部の主人公であった金栗四三中村勘九郎)の物語がようやく完結した。


このドラマ、創作なのでは?、という部分が、
まごうことなき史実であったりするのもすごかった。
なんだか「すごい」ばかり言ってるけれど本当にすごいドラマだったので…
実在の岩ちん、まさかの演じた松坂桃李よりイケメンだった…すごい…




初回、あまりにも楽しく美しいオープニングから心躍った。
オープニングに現れる東京の街並みを描いたのはなんと山口晃


そしてロゴデザインとポスタービジュアルを手掛けたのはかの横尾忠則
まさか2019年に横尾忠則大河ドラマのデザイン制作をするだなんて誰が想像できたか!




攻め攻めの姿勢がソークールすぎる。
この情報を知った時点で、私の期待は最高潮だった。


なんてったって"1964年の東京オリンピック"といえば、
泣く子も黙る天下の亀倉雄策大先生様が数々の傑作デザインを産み出しているからである。




亀倉雄策を演じたのは前野健太さんというシンガーソングライターの方でした。
大変申し訳ないのですが、わたくしこの方を存じ上げなくてですね…
いやお名前だけなら、どこかで聞いたことがありますね…うん、すみません…
丹下健三松田龍平なのに!ずるい!」と建築畑の友達にぶつぶつ言っていました…だってずるい!




ビジュアルだけでなく、これまでの大河ドラマとは違い、
「派手さ」に欠けるであろう近代の群像劇は、とてもポップな演出で彩られた。
全編が映像作品としてもとても見ごたえがあり、贅沢な時間だった。


私は、それをとても楽しく視聴していたけれど、
残念ながらその「大河ドラマ」にあるまじきあまりのポップさに戸惑った層が多かったのも事実である。
SNSでの盛り上がりようと視聴率という数値がこんなにかけ離れることがあるのだろうか。
そのポップさは諸刃の剣だったように思うけれど、
NHKが最後までお茶の間の顔色を窺ったりせず、貫いてくれたことに感謝します。


とはいえ、こんなに凄いドラマなのに視聴率が悪い、っていうか、
序盤からすでに既存の大河ドラマファンが続々と離脱してたのはくやしすぎました。
長年大河ドラマに親しんできたひとたちが、口々に「つまらないんだもん」「わからないんだもん」って言うのを直接聞いたりもしたけれど、
それが理解できないわけじゃないから余計にくやしい。
単純にもっとたくさんの人に見てもらいたいし、評価されるべきだけれど、
絶対に相容れない人がたくさんいることもわかってしまうのが本当にくやしい。
だって「大河ドラマ」なんだもん…


個人的には「大河ドラマ」であることにはこだわりたい(?)ので、
よく見かけた「わかるひとだけわかればいい」みたいな主張も悲しいというか。
そこを切り捨てたくない…いやだって大河ドラマだからね!?、と思う。
自分の好きなものはみんなにも好きになってほしいんだよ…
というか、本当に素晴らしいドラマだったので、それがより多くのひとに届いて欲しいなという。




「‪俺のオリンピック」。
今度の東京オリンピック、まだぜんぜん俺のオリンピックじゃない。
まーちゃんが政治家に放っていたことばをそのままいまの政治家に聞かせてやりたい。‬
はたして来年の東京オリンピックは「みんなのオリンピック」になるのだろうか。




『いだてん』、本当にありがとうございました!
最高の大河ドラマでした!

私は日プをツカメたか?「PRODUCE 101 JAPAN」

終わってしまった。終わっちゃったんだ。
はじまりなのだけれど、いまは終わっちゃったんだ…という気持ちの方が大きい。
日プ、大好きだったよ。ありがとう、おめでとう。


さっきまで20人だったのに。変な感じだ。
ファイナルラウンドに進出した全員がデビューできないのなんて、当たり前にわかっていたはずなのに。
名前が呼ばれた子には心からおめでとうって思うのに、
名前が呼ばれなかった子がいることが悲しい。
ふたつの気持ちがぐちゃぐちゃになって頭がぼーっとする。


ずっとPCやスマホで見てきたひとたちをテレビの大画面で見るのは興奮した。
提供が彼らの顔に被さるのも、ああ、テレビに出てるんだ~と感動した。
みんな、ビジュアルがとても仕上がっていてカッコよかった。もう芸能人だった。


さよなら青春?
きみたちの青春は、とても美しかった。
でも、さよならしなくてもいいと思うんだけど。


これが国民プロデューサーとして票を投じていたからこその重みなのか。
身体も気持ちも一気に、ずっしりと重い。




『PRODUCE 101 JAPAN』、日本版プデュ、通称「日プ」。



そうなんです、私もついに国民プロデューサーになりました!
まさか自分が国民プロデューサー(国プ)を名乗れるときがやってくるなんてな!


番組が始まる前は事務所無所属つまらない~とか思っていたのだけれど、
だんだんと、だからこそ既存の日本のアイドルにはいない、日プならではの「日プっぽい」というラインナップに思えてきて俄然イイネイイネ~ってなってきたんですよね。
放送の前からガンガンアップされるツカメのチッケムやらを見ては、
なんか見てて元気が出る…これってアイドルじゃん~~~~~~~~~~!と。




日プはとにかく制作スタッフさんのがんばりがすごかった。
SNSサーチとフィードバックの鬼。
ポジション評価→グループ評価の流れは参加者の大半が素人ってことで考えたな~と。
練習生との距離も近く、おさめられたオフショットなどからは愛情がしっかりと伝わってきた。


あと、トレーナーの先生方が本当に皆さん良くて。
日プの先生たちは基本的に褒め上手で、素人同然の練習生の気分や気持ちを盛り上げるところから取り組んでくださっていてすごいと感じていました。
グループバトルの出来に関してトレーナー陣へ対する不満も見かけたけれど、
それこそ分量がなかっただけなのでは…と思った。
日プはバラエティ的なサービス要素の代わりに、そういった面になかなかスポットが当たらなかった印象はあります。




日プ、どハマリしていました。
毎日楽しく国プをしていました。


グループバトルについてのゆるゆるおしゃべりをお友達のもふ山さん( id:alpacasso1989 )と配信したりしました!


BTSの課題曲について、「なんか…なんか…」を長時間繰り返して放送事故みたいになってるんだけど(笑)、
それだけBTSの曲は凄いんだってことです。




ただ、この日プと駆け抜ける楽しい日々をテキストで残したいなぁと思いつつも、
何を文章にすればいいのかよくわからなくなって、いつも手が止まった。
そして気がつくと涙を流していた。


楽しかった日プのすぐそばにあった悲しい出来事が、
どうしてもひっかかってしまっていた。


元祖・韓国版『PRODUCE 101』シリーズの連日の報道にはとても胸を痛めている。
別物だと思って見ていても、どうしても切り離せなかった。「プデュ」が好きだから。
いまは夢を持つ若者の未来を、大人たちが手を尽くして守るべきだと、ただ思っています。
大人たちが彼ら・彼女らのキャリアに傷をつけたのだから、相応の償いをすべきです。


そして日プにもまったく別の「影」の部分があった。


私は、結局1pickは不在のままだった。
その理由の大部分を占めるのが、日プのデビューグループの着地がまったく想像できなかったということなのは確かなのだけれど、
終盤はその「影」がチラついてしょうがなかったというのがある、おおいに。
そしてそういったものが現れてしまうのではないかという不安が、心のどこかにあったのかもしれない。
その「影」と「光」のコントラストがあまりにもつらく感じられたことはここに残しておきたい。


私は日プの運営スタッフさんが大好きだったのだけれど、そうとも言い切れない状況になっていた。
でも、練習生含む「現場」は、とてもいい空間だったことが伺えるし、
そういった環境をつくりあげてくれた現場スタッフの方たちに対して、悪いことなんて言えないんだよなぁ。



18分50秒くらいから。


ああいったかたちで去ってしまった練習生に対しても、
「ヒチョンくんに見せたくて」ナチュラルにことばに出せるくらい、
練習生同士は「現場」でそんな「関係」が築けていたのだと思うと本当にやるせない。。
けれどそれには救われる思いだった。


なにより参加した「練習生」という韓国版になぞらえた謎の肩書きを得た参加者が、
全員芸能事務所無所属、要するに一般人・非芸能人であったことは私をとても慎重にさせた。
それがゆえになかなか動かない11pickによるランキングから妙なカーストというか、ヒエラルキーが練習生のなかでできてしまっていたのは、
韓国版・本家プデュでは感じたことのないなんともいえないしんどさがあった時期もあった。


けれどさすがにコンセプト評価あたりになると、
みんなすでにまごうことなきアイドルの出で立ちや振る舞いになっており、
そういったものがあったことすら、すっかり忘れるのだけれど。
そう、すっかり忘れるくらいの素敵なステージを披露してくれた。


そして特筆したいのは、
繰り広げられていた同じ夢を追いかける現代の日本の男子たちの世界は、
いろんな意味で希望をもたらしてくれるものだったことだ。




でもプデュは祭りなのでね!踊ってました!祭は踊ったもん勝ちじゃ!
與那城先輩(の写真)をファミマから持ち帰りましたし。
先輩は私にとって由美かおるオンニ枠です…!
当時一般人だったひとの写真を所持していたヤバさを噛み締めている…


コンセプト評価の曲、どれもよかったね!



入りたいのはBO組だけど、
まぁわたくしはね、やんちゃGIRLなのですがね。




どうしよう、そんな日プが、凄まじい速さで思い出になっていくのを感じる。
なんのための日プだったのか、忘れそうになる。
私はこんなに日プが好きだったのかと、終わってからこうして気がつくんですね。


ただ投票をしていていただけの私がこんななんだから、
参加していた練習生の気持ちは計り知れない。
でも、私にとっては「思い出」だけれど、キミたちにとっては「キャリア」だから。
キミたちは、キミたちにしか見えない景色を見たんだから。




『JO1』、デビューおめでとうございます!
カルボナーラパーティーと滝修行、楽しみにしてるからな!



みんな、本当におつかれさまでした。ありがとう、おめでとう。

#VIXX1stWin、の6年後。

あれから6年。



信じられます?


『VIXX』が音楽番組で初めて1位を獲得したちょうど6年後、
兵役に就いている者もいれば、事務所を離れた者もいる、
そしてグループデビュー7年目を越えてなお全員で…





会ってる~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!





12月6日!!
ビクスの初の1位を抱かせてくれた今日
久しぶりにメンバーと✌️

#相変わらずなエンヒョン #泣き虫レオヒョン #テレビ買ってくれたカッコいいケンヒョン #代表ニムラビヒョン #肉よく切るホンビニヒョン


どんだけ!!!!!どんだけ仲良し!!!!!!!!どんだけ絆!!!!!!!!




しかも、


このふたり2日前にも会ってる~~~~~~~~~!
代表ニムラビのレーベルのタグ~~~~~~~~~~~~~~!




…こんなことあるんですか?あるんですね。
私は『VIXX』のことが好きで本当にラッキーです。





#VIXX1stWinは、こうして褪せない。


そしてあのとき一緒にいたEXOさん…ではなくX-EXOさんが音楽番組にカムバック…ではなくデビューした日でもありました。
(まさかのVIXXもびっくりのキョーレツコンセプトなのがまた味わい深い…)
そうか、あの日も金曜日だったんですね。

EXO 「Obsession」 ミュージックビデオ


X-EXO お前らちょっとカッコいいな…?
俺も入れてくれよ
俺の名前も'X'で始まるよ>.< 


ほら言ったじゃんシウちゃん絶対この祭りに参加したかったろうにって!
っていうかシウちゃんはEXO兼EXOペンなので、今回のコンセプトやりたかったに決まってるじゃん…!




と、シウちゃんや私と同様に『EXO』のことが大好きなスタッフさんたちがカムバックしたと思われる今回のカムバック。




ふたり兵役中でこれはマッジですごい!





楽曲もビジュアルも6人それぞれの持ってるパワーで引っ張っていってくれているのがなんと頼もしいことでしょうか。
大衆性なんか知るかと言わんばかりのトンデモ曲がさすがすぎます。ソークール!


ただ、一連のティーザーによる"『EXO』vs『X-EXO』"というコンセプトありきのミュージックビデオなので、
ティーザー含むカムバック祭りでおおいに踊らせてもらっている私と、
ミュージックビデオや音源だけを視聴している非EXOペンとは感じ方が違うのかなとは思っています。


私が今回のコンセプトをあらかじめ知らずにこのミュージックビデオを見ても、
なんかそれっぽいことやってるけどよくわからない、と思うはず。
こういった内輪だけが盛り上がるアプローチは個人的にはあまり好きじゃないのだけれど、
まぁ今回、結果的には私はコレが好きなので、私はコレでいいです!




よく見かけたのが「(曲が)NCTっぽい」という感想なのですが、
私にとってこの『Obsession』という作品は、聴いたときから「EXOの曲」だったので、
言われてみればそうなのかもしれないな~とちょっとハッとさせられたのがおもしろかったです。


おそらく今回の曲については自分のなかの感覚が「EXOっぽい」とか「NCTっぽい」などといった概念的なものからはじめから解放されています。
それは「これがカムバックというもなのか…!」というK-POP初体験のような新鮮さ。
"『EXO』vs『X-EXO』"といういままででいちばんわかりやすいコンセプトが先にあって、
単純にそのカムバックのストーリーにうまく私がノれたんだなとも思います。


それは先日のEXOの単独ライブでの最高に楽しかった体験の直後だったことも大きい。
だってこのカムバックのストーリーの登場人物たちとまさに触れ合ったあとですから。



そのキャラクターたちがいったいどういうひとたちなのか、
それを再確認した直後のカムバックは嫌でも彼らの魅力を感じちゃうってものです。




さて本作、「NCTっぽい」と言われているけれど、
この曲を『NCT』がリリースしたらこんなに「最高だな!」という気分になれたのか。
私はこの曲を"いまのEXO"がリリースしたから「最高だな!」と思っています。
もちろんそれは私がもともとEXOのファンであることも含めて、
"私とEXOの関係"から生まれたものなので他の方の感じ方はそれぞれでしょうけれど、
私はこの曲は「EXOの曲」だと思うし、この曲をひっさげてきた『EXO』のことが好きだな、と改めて思います。


そういったかたちで作品でアイドルとファンをつなげるのが、
アイドルに携わる仕事をしている方々のするべきことなのではないでしょうか。


当ブログではさんざん"「コンセプト」が「コンテンツ」(プデュやコンテンツ化したアイドルなど)に勝てない"ような流れになっていると綴っているけれど、
「コンテンツ」に限りなく近いものとして「ファンとアイドルの関係」がある気がします。
その「関係」をつくることができるかどうかだと思うんです。
また、その「関係」がどういったものなのかにもよるものだと思います。
少なくとも私は今回はじめて『EXO』が自分にとってそういった存在になっているんだと実感しました。


う~ん、ここまでくるのに時間がかかったなと意外にも感慨深いカムバックになりました。
なんだか嬉しいものですね。

EXO 正規6集アルバム「OBSESSION」 ティーザーイメージ

びっくりしました。



新人グループがやるような(?)バチバチコンセプトキメキメでありながら、
あくまでデビュー時のコンセプトを保ちつつ大人になった『EXO』がカムバックするの、
"成熟×成熟"という感じで本当に最高だな!


『X-EXO』勢の綺麗なお顔が不気味に歪むスタイリングがとても好き!
コンタクトレンズやアイメイクの効果が大炸裂している!
ちょっとハロウィンみたいになっちゃってるメンバーもおりますがまぁそこは…
ジョンデはきっとどっちのジョンデも悪い男だと思います(迫真)




カムバックアナウンスとともに公開された今回のフラッグをモチーフにしたロゴからも、
「戦い」という漠然としたものを想起することができたし、
ふたを開けてみれば"『EXO』vs『X-EXO』"というヲタクも真っ青の公式二次創作的なものが繰り広げられていたというね!
皮肉にも6人と6人で12人という人数になるのは解析班でなくてもわかるしグッとくる。
エスエムに萎え萎えの最近だったのでこの仕事っぷりは素直に嬉しい!
















いや、元気じゃん…!




EXOのことが大好きなスタッフさんたちがカムバックしたね…!?
お元気そうで本当になによりだよ~!




ネチネチと根に持つタイプで本当に申し訳ないのだけれど、
これを入隊期に入る前にできなかったのが本当にくやしい~。(誰)
「やらなかった」んじゃなくて「できなかった」んだろうなというのは、
2019年のSMエンターテイメントのいろいろを眺めていると嫌でも察するけれども。


去年の入隊前最後のカムバックティーザーのもろもろには連日ブチギレていたのだけれど、
あのときは外部のクリエイターにも「EXOのA&Rはクソ」と言われる始末だったわけだし、
いま思うと2018年はエスエムがそういう感じだったんですねという感じ。


というか、エスエム生まれ・エスエム育ちのわたくしですけれども、
それでもこのへんで、SMエンターテイメントとは切れてしまったと思っているので、
良くも悪くも、いまはとくに期待をしていないんですよね。
なので、出てきた作品が好きなやつだったらめっちゃ嬉しい、ラッキーだな、みたいな。


「期待をしない」というのはこちらとしてはとても気分が穏やかだけれど、
アイドルを扱う商売をする企業としてはやっぱりどうしても、もっと危機感を持ったほうがいいのでは…とは思う。




"SMエンターテインメントのビジュアル"といえばのミン・ヒジン女史というスーパースタープレイヤーを、
エスエムがいちばんライバル視しているであろう"Big Hitに取られた"という事実自体は、
ヒジンさんの実績云々を抜きにしても、ちょっとヤバイなと思うところではありました。
まぁよくよく考えればエスエムがこれからやりたいこととヒジンさんがこれからやりたいことが違うんだろうなぁというのは垣間見えていたし、それがよりはっきりとした2019年であったとも思います。


ただ、今回のEXOの一連のビジュアルディレクションは、
ヒジンさんが携わっていたらきっと私はボロカスに文句言っていたはず(笑)
そういう意味でもアイドル以上に目立ってしまう有名人がアイドルの前に立ちはだかることがないという状況は、
個人的にはそんなに悲観的にならなくてもいいのではないかとも思いました。
アイドルシーンの主役は「アイドル」なので。


SNSの活用に何歩も出遅れた感じのあったSMエンターテイメントですが、
いまEXOのメンバー当人たちがそれぞれ持つ各種のSNSアカウントで、
それぞれにカムバックを楽しんでいるのが伝わってくるのが本当にいいなぁと感じます。
戦略的な統一アカウントにはない自由な楽しさは、まさかのココで棚からぼた餅的な。
いやギョンスはさておき、シウちゃんは絶対この祭りに参加したかったと思うよ…




今回のティーザーイメージは、ほぼ縦画像。
モバイル機器で見られることを意識しているのか、そういった心意気もすごく好きです。
長期間でふたつ以上のアカウントから投下される今回のパターンだと、
こういった配慮(?)はとても賢いと感じる。


あと、はじめのほうは気づかなかったのだけれど、
ポスター風ビジュアルらは、スケジュールの日付がちゃんと記載されているのですね。
そうすることでティーザーアップのテンポもライブ感の演出のように思えて感心します。



まだ対決(ティーザー)のスケジュールがありますし、
なにせ本番はココではないのは百も承知なのですが、
それでもココまでやってくれたっていうのはいちファンとしては一種の感謝に値します。
カムバックはチャニョルちゃんの誕生日、ゆるりと楽しみにしております。


https://exodeux.smtown.com/
『EXO』が圧倒的ボロ勝ち中…私が企画者なら頭かかえてる(笑)
(モバイル機器専用サイトです)

イエスタデイ

いたいた、ビートルズが好きな男。
その知り合い(という表現にします)は何年かぶりに再会したときに、
誰だかまったく気がつかないくらいのロングヘアになっていた。
首都圏でもない場所であのロン毛はあまりにも異質だった。
どうしてそんなに髪が長いのかと聞くと「ビートルズが好きだから」と答えた。
彼は、いまこの世の中にある音楽は、もうぜんぶビートルズが先にやっちゃってるんだよ、と言っていた。


映画『イエスタデイ』を観たあとは、まるでそんな話を聞いたあとのようだった。




そう、この映画、そういった"ファンの集まり"みたいな雰囲気がすごい。
これファンが仲間内でつくってファンが仲間内で楽しむやつじゃん、みたいな。


ダニー・ボイル…貴方のことは信じていたのよ。
でも貴方、ただただビートルズのファンだったわ…
"ダニー・ボイル×ビートルズ"に過度な期待を寄せてしまっていたので、
がっかりしていないかと聞かれればウソになる。
そういった印象だけならば、個人的には先日観た『王様になれ』とそんなにかわらない。




ここでまた映画『ボヘミアン・ラプソディ』が出てきちゃうんですけど、
あれは映画で"「クイーンの音楽」の素晴らしさ"という側面を全力でぶつけてくれたじゃないですか。
それと比べると、本作『イエスタデイ』は、"ビートルズの楽曲をちゃんと知っているひとがそれぞれのなかにある「ビートルズの音楽」をそれぞれ呼び起こすこと"が、
映画を楽しむうえでの大前提になっている気がします。


私は、たぶんだけれど『Queen』も『BEATLES』も、
同じくらいの感覚で"知っている"という感じなんです。
それは、それぞれの「ファン」の方たちと比べたら、"知らない"ようなものです。
だから、映画のスタイルでいえば『ボヘミアン・ラプソディ』のほうが当然響きます。
もちろんふたつのバンドの放つ音楽性の違いによるところも大きいと思うけれど。




自分が愛している音楽を、自分以外は誰も知らない世界。
ダニー・ボイル先生の監督作品ですので、映像はオシャレ・カッコイイ・スタイリッシュ。
大胆にフォントを配した演出はアクセントになっているし、全体的に開放感あふれるカットが散りばめられていて気持ちがいい。
音楽の主軸は泣く子も黙るビートルズだし、場面展開もリズミカルにテンポよく進みます。
ストーリーはあらすじだけならファンタジックでロマンチックで素敵、おもしろいです。
ところが実際に映画を観てみると、「ファンタジック」や「ロマンチック」よりも、
"世界中のみんながビートルズが大好き"という大大大前提のほうが、はるかにどデカイ存在感を放っており、
ストーリーのインパクトはそれに負けてしまっていたように思います。


と、いうわけで特段、ビートルズのファンというわけではない私は、
その大大大前提を前にしてちょっと引いてしまったんですよね。
『ノッティングヒルの恋人』や『ラブ・アクチュアリー』を手掛けたリチャード・カーティスのチャーミングかつスウィートな脚本は、
今回、私にはそこまで届かなかったのが残念です。
だってそんな風に観ていても、それらが上質なものだというのはわかるし、
それだけでなく制作側の「心」の部分もちゃんと伝わってきたから。
そこまで(私が)たどり着いているのに「正しく」作品を楽しめなかったっていうのは、
なんだか自分が損をしたような気分なのです。




けれど、ビートルズの楽曲が、また、より好きになる、
そんな映画であったことは間違いありません。
だからこそ、その仲間にいれてほしかったな~とほんのりと淋しく思ったのでした。