ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

草間彌生展「わが永遠の魂」 / ミュシャ展

久しぶりに都内の美術館の大規模展覧会に足を運びました。
前回は確か東京都現代美術館でのこちらの展示になるのかな…!?まじか!


今回の会場は国立新美術館。
だい~~~~ぶお久しぶりの訪問。
乃木坂駅から直結の出入り口の先にあった長いチケット販売列に並ぶにはもってこいの快晴。
並んだぞー。いやー、大盛況で御座いました。




先に足を踏み入れたのは『草間彌生展「わが永遠の魂」』

世界を舞台に活躍する前衛芸術家、草間彌生(1929年-)。1950年代後半に単身ニューヨークに渡って以降、絵画、彫刻、インスタレーション、映像、さらには小説に至るまで、広範な活動を展開してきました。デビュー以来一貫して時代の最先端を走り続け、今なおその創作意欲はとどまるどころか、さらに加速しています。近年では欧米、中南米、アジア、そして日本など世界各地で大規模な個展を次々と成功させており、今や「日本が生み出した最も傑出したアーティスト」といっても過言ではないでしょう。本展では、2009年から草間が精力的に取り組んでいる大型の絵画シリーズ「わが永遠の魂」のうち日本初公開作品約130点を中心に据え、初期から現在に至る創作活動の全貌を約270点の作品によって総合的にご紹介します。

国立新美術館/展覧会概要


と。


煽り文句には「集大成」というパワーワードも。


もうアート界隈にはすっかり疎くなっていて、
もともと所持していたのは『ミュシャ展』のチケットだけだったので、
「あ、同じ美術館で草間彌生展やってるじゃ~ん。じゃあついでに。」、みたいな、
すっごく軽いノリで現地へ訪れたので、
どんどん明らかになっていく草間展の大規模っぷりにかなり驚くことに(笑)




チケット売り場を出てすぐのところにあるかぼちゃの巨大オブジェで、つかみはオッケー。


まず、会場に入ってすぐのエントランスにある草間彌生からのことばが、健気で繊細で。
次に最初の展示室に進むわけですが、ここに現在進行形中の作品シリーズ『わが永遠の魂』が巨大空間に展示されています。




そのパワーの圧倒的さたるや。




アクリル絵具で巨大カンバスに描かれていたそれらは、まるで戦いの記録のようでした。
現在88歳の草間彌生が、まっさらなカンバスに毎度、どうやって対峙しているのだろうかと。
それは想像するにはあまりに怖いもので、それに立ち向かう草間さんを思っては奮い立たずにはいられませんでした。
その感触は、かつて世田谷美術館で行われた『冒険王・横尾忠則』展を思い出したり。


そのただでさえ大空間の四方からの作品の圧力に圧倒されるに追い打ちをかけるべく、
中央に配置された立体作品も、これまた圧倒的でした。
もう本当に、一歩足を踏み入れては、その圧倒的な景色にくらくら。
たとえ、アートが好きというわけではないひとでも、これはなにかしら感じさせるものがあるはずだと思う。
生々しくて、禍々しくて、でも最高にポップでキャッチーなパワーあふれる大空間。
それはさながらひとつのインスタレーション作品とも言っていいのでは。


さらにすごいのは、その展示室がまるまる撮影可能という太っ腹っぷり。
近年、撮影可能作品は増えてはいるけれど、今回はもうなんか規模が違う。
そこかしこから聞こえるシャッター音が煩わしくなかったわけではないけれど、
こうして現在進行形のアートが拡散されていくということは、今後のアート界隈にとってもとても明るいことだと思いました。


そして、作品タイトルのひとつひとつがとても素敵なのです。




衝撃的なプロローグでもって出迎えてくれた草間展、
過去作品も惜しみなく展示されていました。
見たことのある作品も結構あったけれど、それぞれのそのインパクトは色褪せません。


興味深かったのは、まだ本格的にアーティストとして地位を確立する前の初期の作品。
そのなかに、いまでこそ草間さんの代名詞になった水玉柄を喚起させるようなものから、
お馴染みの網目の模様まであったのです。
すでに、このときにいまの草間作品の原点がしっかりと見えていたのが印象的でした。
彼女はずっと、同じ目で、同じ感覚で、制作活動を行っていたのだなということがわかったのが衝撃的でした。
そして、種苗業を営む家に生まれたことも、彼女の作品のルーツになっているのだなぁと。
かぼちゃなども含め、力強く根をはる植物のようなタッチの秘密が垣間見えました。




草間作品といえば、別世界へトリップできる大規模インスタレーションも目玉です。
それは、屋外に展示してあったかぼちゃであったり、美術館のロビーにある来場者参加型の作品であったり。
(真っ白な部屋にいちばん初めにシールを貼ったのは草間さんだそうです)
展示室にあった光の演出が美しい作品も含め、
カンバスに向かっている激しい草間さんとはまた違った、ある種のサービス的な、
「アート」という手法をつかって語りかけてくれる・歩み寄ってきてくれているという側面も見ることができて、
なんともおなかいっぱい大満足、「集大成」ということばにうそいつわりのない、大満足の展覧会でした。


また、美術館の外を囲む木々は赤と白の水玉模様の布で覆われており、
美術館がこの展覧会に並々ならぬ情熱を注いているのが感じられるのもすごく好印象でした。
他にもふとしたところに球体のインスタレーションがあったり。


ふだんはあまりグッズを購入したりはしないのですが、
今回はもうなんか本当にシビレてしまって、いま流行りのマスキングテープとミニメモ帳を購入。超かわいい。
マスコット人形(やよいちゃん人形)にも惹かれたけれど、価格を上げてもいいからもう少しクオリティを上げてくれ(笑)
そうやってグッズそのものにも、自然に作家性を反映させることのできる「アイドル」的な部分も草間さんの魅力のひとつですよね~。
以前、横浜美術館で開催されたアイドルをモチーフにした展覧会でも草間さんが取り上げられていたことを思い出しました。(かなり前です)
グッズ列も時間によっては大行列!凄いときは1時間待ちだとか。






次に向かったのは『ミュシャ展』
気がつけばすっかり草間展に心と体力をうばわれてしまっていたのですが、
いわば"当初の目的"であります(笑)

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。
美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-1926年)です。およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。
本展はこの《スラヴ叙事詩》をチェコ国外では世界で初めて、全20点まとめて公開するものです。プラハ市のために描かれた《スラヴ叙事詩》は、1960年代以降、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城にて夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはありませんでした。その幻の傑作が、80年以上の時を経て2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されました。そしてこのたび国立新美術館では、パリで活躍したミュシャが《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約80点の作品を通じて辿りつつ、これら幻の最高傑作の全貌を一挙、紹介します。

国立新美術館/展覧会概要


どちらかというと、現代アートびいきなので、
チケットを持っているのはいいのだけれど「ミュシャ」という作家のブランドネームにほいほいついていったような感じっすね。(軽)




まだ草間展の余韻にどっぶり心も脳も身体も支配されているなか、
巨大すぎるカンバスに描かれた『スラヴ叙事詩』シリーズを目の当たりにし、
もうなんかわけがわからくなっていました(笑)


ミュシャといえば、あのイラストレーションにも思えるデザイン的な作品が思い浮かぶので、
「この『スラヴ叙事詩』シリーズってなんなの!!!???ミュシャってそんな昔のひとだっけ!!!???」とボーーーっとした頭のなかは大混乱(笑)
結局エントランスにある説明を繰り返し読んで頭にたたき込み、ようやく展示作品のアウトラインを理解したわけでです。




草間作品もでかかったですが、こちらはそれに負けじとも~~~~っとでかい。超でかい。
ある意味、草間作品とは対照的なベクトルによって制作された『スラヴ叙事詩』シリーズは、
コンセプトも、色合いも、タッチも、なにもかもが草間作品とはまったく違っていて、
そういう意味でもとてもおもしろかったです。


私の知っているイラストタッチ(アール・ヌーヴォー)の作品からは想像できない、
これまで知らなかった違ったミュシャ作品の数々。
晩年、故郷に戻り、つくりあげたその作品群もまたインパクトのあるものでした。
そしてアール・ヌーヴォー期の作品から漂うデザイン的な要素が垣間見えるのもおもしろかったです。


もちろんお待ちかねの、ザ・ミュシャ!、なリトグラフのポスター作品も惜しみなく展示。
こちらも充実した展覧会でした。






国立新美術館は、立地もさることながら、黒川紀章による超絶建築が本当に最高です。
それは外から見ても中から見てもとてもとても美しい。
太陽をいっぱい浴びることができて、広々とした空間が晴れの日にはあたたかさでいっぱいになるのがめちゃくちゃ気持ちいい!
たくさんのひとがそこで時間を過ごす様子も、眺めていておもしろいものです。
係員の方の対応の良さもピカイチ。(飲食のバイトスタッフはどうかと思うけれど)
そういった意味でも、アトラクション的に、また訪れたい!、と思う美術館のひとつですね。
開館当時はどうかと思った佐藤可士和さんによるロゴタイプやサインも、いまはすごく好き。
本当に楽しい時間を過ごすことができました!

Triple H コンセプトフォト












"キム・ヒョナの新しいユニット"として注目されている3人組男女混成グループ『Triple H』
5月1日にK-POP戦線に出陣です。


スンさんとのユニット『Trouble Maker』のヒットの実績もあるヒョナ。
まぁ、なんやかんや言われているところでは言われているらしいのですが、
「ヒョナ」というタレントのブランド力は健在ということで、何かと話題の様子。




ともあれ、コンセプトイメージがとってもイイ、好き!!!!!




ティーザーにファッションフォトやポートレートは数あれど、
ここまで私好みの(ココ重要)「ストーリー」を喚起させるものはなかなかないと思います!



ヒョナ先輩のイメージ像が軸になっているのは確かだと思うけれど、
出尽くした感のあるヒョナの代名詞であるビッチテイストの「セクシー」を、
さながら若き子分!、のふたりの男子を従えることによって、
また、シチュエーションをしっかりと設定することによって、
鮮やかに「キュート」・「チャーミング」に分解。


今回"ふたりの男子"に選ばれたのは、『PENTAGON』のフイくんとイドンくん。
ヒョナやスンさんの後輩にあたるCUBEエンターテイメントの若手ボーイズグループ(日本人メンバー・ユウトくんがいるよ!)のメンバーです。
私は『PENTAGON』の「ペ」の字も知らないのですが、(グループ名を知っている程度)
この明らかにヒョナに添えられているだけのふたりがすご~~~く可愛く見えちゃう。


彼らは、助さんと格さんなのか、トンズラーとボヤッキーなのか。
その正体はまだまだまだまだわからない。




「アイドル」(アーティスト?)としてパフォーマンスする姿を見るまでは、
"コンセプトイメージ"の「ストーリー」の可能性は未知数なのであります。


個人的にはそこはかとなかく漂う「クズ臭」(褒めてます!)がたまらなく好きなので、
「アイドル」として登場する前に、一本ドラマが見てみたい~なんて思っちゃいます。
そんな世界観をつくりだしたビジュアルディレクションがお見事です!

ムーンライト

びっくりした、わからなすぎて(笑)




と、いうわけで以下閲覧要注意でお願いいたします。
ってかわからない私を許して。




よく、「トランプに獲らせてもらったアカデミー賞」と言われているのを見かけたけれど、
それに反論できる要素がない(笑)


"センシティブな「設定」"を扱っているだけに、
むしろアカデミー賞だなんて注目を浴びるんじゃなくて、
そっとしてやっていたほうがよかったんじゃないのとさえ思う。
そのくらい静かな作品だった。
その静けさは、嫌いではないのだけれど。


逆にいうと、アカデミー賞作品だからこそ、
私なんぞの近所のシネコンで上映されたのだと思う。
そういう意味では、この作品をちゃんとスクリーンで観ることができたのは奇跡なのかも。
むしろ、日本で公開されること自体が奇跡かもしれない。たぶんそう。
アカデミー賞様様。それぐらい個人的にはわからなかった(笑)




"センシティブな「設定」"をして後味がさっぱりしているのはこの場合、良いのか悪いのか。
演出ばかりに気を取られていて登場人物をぜんぜん掘り下げられていないからがゆえに、
こちらが気持ちを寄せる部分がない。
そういう作品はたくさんあるけれど、私はこの「設定」ならば気持ちを寄せたかった。
たとえそれが偏見だと言われようとも。
見守ることすら、できなかったから。


質感はライトなので、ありがちな話がスムーズに進むわりには退屈せずに済んだ。
3章に分かれているのもわかりやすくてよかった。
(さいさん言っている「わからない」は作品に対するものではない)
最後の章に現れたの主人公の姿にまた悪い意味でびっくりさせられたけど。


役者の演技が良かったのがせめてもの救い。
それがなかったら本当に(私が)どうしようもなかった。


原案は戯曲なのだそうで。
なるほど、と、そこはすごく腑に落ちた。
でも映像化するにあたってちょっと無防備すぎだと感じた。




カメラワークがとにかくひどい。酔う。
全体的にウォン・カーウァイを意識しているらしいけれど、
意図なく振り回されたように感じられたそれは不快でしかなかった。
私自身は『ブエノスアイレス』が大好きなので、
「オマージュを捧げた」旨の記事を見ては勘弁してくれよ、と思った。
予告映像のほうがよっぽどよくできてる、ってのは、まぁよくあることか。


そういったこともあってか、キービジュアルも含め、画としてのビジュアルは良かった。
タイトルやロゴタイプなども洗練されていてとてもシンボリック。




なにがそんなにアカデミー賞審査員の心を動かしたのかめちゃくちゃ疑問だった。
アカデミー賞って、こんなに世相ばかりを反映させなければならない賞だったの?
あまりに純粋で優しく無垢に撮られた本作が、
まるでトランプ政権への総意の象徴のように掲げられているならばかわいそうなくらいだ。

平野紫耀 @大塚食品 ビタミン炭酸MATCH(マッチ) CM


彼はいつだって、



空気を自分のものにしてしまう、



「主人公」。



それが、平野紫耀


(祝・初単独CM記念ポエム)



その"圧倒的な主人公感"は、
ドラマ『SHARK』のころからまったく変わっていない。
そして、"外"に出てこそなお輝く。

OH MY GIRL 「Coloring Book - カラーリングブック」 ミュージックビデオ

ごめんねごめんね。
カワイイカワイイって、みんながめっちゃ盛り上がってるのは知ってる。


だがしかし、自分は悲しい。


ごめんね。

続きを読む

バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~

どっかーん!今期いちばんの大本命!

このキービジュアルだけでも勝ちでしょ!


遠藤憲一大杉漣田口トモロヲ寺島進松重豊光石研
この面々が揃ったというだけでも、もうひとつのエンターテイメントですよ。
テレビドラマ史に残る事件なんじゃないかと、本気で思うのですが。




公式が「おじさんたちのテラスハウスと謳っているだけあって、

"6人の超名バイプレーヤーが共同生活"という設定だけで惹かれないわきゃないんっすよ!


実際はそんなに共同生活の部分にクローズアップしているわけではなく、ほどほど。
"「バイプレイヤー」とは"みたいなメッセージを押しつけがましくなく、
それぞれがドラマ内で本人役を演じることを含めた俳優活動を通して、
その仕事人の仕事っぷりを真摯に伝えようとしているような、そんな趣でしたね。
実際のドラマ自体はまったくかたっ苦しいものではなく、ザ・コミカル!




スーツを着て歩くだけで並んで歩くだけで画になるこのメンツが、

(これだけでもヨダレものの大サービス)


も、もえ~~~~~~~~~!

こんなサービスカットいただいてよろしいのでせうか!?




主人公6人がそれぞれ視聴者のイメージを忠実に演じていてすごい、さすが。
(いちばん実際のキャラクターに近いのはエンケンさん、遠いのはトモロヲさんらしい)
『カルテット』に通ずるサービス良すぎな部分はあるものの、
さすが、熟練のオジサマたちはアソビをたっぷり含んでくれて、ぜんぜん嫌味じゃない。
みなさん本当に楽しそうでそれを見るだけでもニヤニヤします。


毎回主演以外に本人役で出演するゲストもそうそうたるメンツ。
そのうちのひとりの椎名桔平なんかは自ら「出演したい!」と表明するなど、
ゲストの主演6人に対するリスペクトが比例してただでさえ豪華なこのドラマがどんどん豪華になっていくという最高のサイクル。




ストーリーはあるっちゃあるんだけど、まぁ「設定」には及ばないというか(笑)
この布陣でゆる~くやってくれちゃったことでそれこそがこのドラマの魅力に。
これだけ重鎮が集まっちゃうと「ゆる~く」するのだって相当工夫を凝らしているはず。
本編・オープニングからエンディングの映像、また宣伝広報やビジュアルディレクションなどなども含め、
スタッフサイドも相当緻密な仕事をされているのが端々のこだわりからも伝わります。
10-FEET』と竹原ピストルさんの主題歌も本当にピッタリ&バランスもいい。
全体的にひじょーにセンスがおよろしい。そしてなにより、丁寧。
最終回はいろいろひどかったけど(笑)、主演6人へのリスペクトがしっかりと感じたので、
コレはコレでアリだな~、と思わせるものがありました。


いや、ホントにね、深夜帯ドラマで6人揃うことはまばらだったとはいえ、よくぞ集めたよ、ホント。それだけでも凄い。
ただ、途中から『おそ松さん』とかが割って入ってきたあたりはちょっと引いた。
薄々わかっちゃいたけど、ただでさえあざとい作品のあざとさが・・・・・・・というか。
まぁ時間も時間だし、この6人ですからこれくらいのアソビがあるっていうのもコンセプトなのかもしれませんね。
素人目ではちょっと勿体ないとか思っちゃうんだけどさ。


終始、「おじさんたち、かわいい!」な、雰囲気モノに徹していた贅沢さよ。
そんな豪華なドラマが金曜深夜に見られることの贅沢さよ。ありがとうテレ東!






今クールはテレビアニメACCA13区監察課(原作未読)なんかも視聴。
そちらはもうキャラクターデザインありきで構成されていったストーリーといった感じで、
『バイプレ』も『カルテット』もそーゆーところあるよな~、なーんて思ったのでした。
中盤あたりの物語が一気に動く展開は凄かった!


潔癖症で有名な本郷奏多くんがラブホ店員!、とのことで、
興味津々でドラマラブホの上野さん(原作未読)もゆるりと見ていました。
カナティのキレッキレの演技が本当におもしろかった!
カナティのポテンシャル大爆発でしたよ!もっといろんな役を演じているのを見てみたい!
柾木玲弥くんもと~~~~っても可愛かったです!演技イイ!
なんだかんだ映画『ライチ☆光クラブ』のキャストのその後は気になってしまっております。


俺たちのBSプレミアム先生が放送してくださっていた新世紀エヴァンゲリオンのオリジナルテレビアニメシリーズも今年度で終了。
オマケに無印の映画版まで放送してくれる太っ腹っぷり。
いや~、CMがない+スピード感のある構成で毎週毎回あっという間。
というか、以前見たときと比べて、全体的にも「こんなに短かったっけ!?」と驚き。
"庵野秀明がいかに自らがつくりあげた『エヴァ』というコンテンツを「完璧」なかたちで自分以外のひとに伝えたいか"が、改めてよくわかりました。
そして!1995年に初放送!(物語の舞台が2015年!)、にも関わらず、
褪せることのない抜群のセンスに、島本和彦先生と一緒に「庵野ォォォ!」と叫びながら視聴したかったです(笑)

3月のライオン 前編

大・大・大好きな漫画『3月のライオン』。
私はあまり漫画の登場人物に自分を重ねることはないのだけれど、
主人公・桐山零と、その義姉・杏子のふたりは、まるで自分の一部なんじゃないかと思うくらいのシンパシーを感じている。
でも、だからこの漫画が好き、というわけではなくて。
そんな零と杏子を温かく包んでくれる、この作品の世界が大好きなんだ。


優しすぎる羽海野チカ作品。
私は、羽海野先生にも自分と同じにおいを感じている。
けれど、ソッチは"だから苦手"の同族嫌悪に分類される。
いたるところで垣間見える羽海野先生像は、
自分の恥ずかしい部分を改めて突きつけられているように思うからだ。
だからこそ、そんな"自分に似た羽海野先生"の作品は好き。
だって自分の求めているものがそこにあるからだ。
その世界は漫画の登場人物と同じように、私をも温かく包んでくれる。


実写化することで、『3月のライオン』という素晴らしい作品が、
"改めて世に伝わる"、ということ自体は、すごく意義のあることだと思う。
そのくらい、私は原作漫画が大好きなのだ。




で、実写化版映画を観た。
ひどすぎて泣きたい。




キャストのコスプレっぷりは素晴らしかった。
神木隆之介が零を演じるのは、想定内だし、実際すごく似合っていた。
神木くんのファンなので、実際、零たる神木くんの姿を見たときはテンション爆上がり。
なかでも島田さんを佐々木蔵之介が演じる、という情報を得たときには、
なにかを大発見したかのような気分になったものだった。
後藤を演じた伊藤英明はめちゃくちゃ格好良かった。


ただ、キャストの演技が、漫画的、というか。
発されるセリフが総じて平面的なのだ。上っ面だけというか。
生身の人間のエネルギーが感じられなかった。
漫画の実写化って、漫画の登場人物たちに三次元というかたちで息が吹き込まれるから新しいひとつの別の「作品」というかたちになると思っている。
それが叶わなかった、個人的に。大ショック。


なんつーか、演技から「心」が見えない。
原作は二次元ながら"二次元の手法"で、キャラクターの「心」がしっかりと描かれている。
そんな"二次元の手法"に代わるものが実写映画にはないように感じられて。
血の通った人間が演じるにしては見えてこない「心」というのは不気味でもあった。
なまじ、みなさん演技がうまいからそれは余計に違和感があった。




映画のつくりも原作漫画をリスペクトしているのは大変結構なことなのだけれど、
ちょっとあんまりにも原作に背負わせすぎた。
長尺なのも原作の流れを大切にしているからなのだと思うのだけれど。
けれど、「実写化ならではの!」、みたいなパワーがぜんぜんなく感じられて。


原作漫画には「漫画だから」できる表現がたくさんある。
だから同じように、実写映画にも「実写映画だから」を求めてしまう。
だって原作の大・大・大ファンだから。




今作・前編は主題歌のチョイスも謎すぎて。
私はあのよく流れている『スピッツ』のカバー曲を期待していたのだけれど、
前編ではまったく違ういけすかない邦楽が流れて肩透かしをくらった。


後編は、つい最近連載誌に掲載されていた部分も描くみたい。
というわけで、絶対にオリジナルの要素が多くならないわけがなくて、
そうなったときに本作の布陣がどういったものをつくりあげるか、見届けたい気持ちもある。
でも、映画館にまでに足を運ぶかは迷い中。




くやしい。くやしくて、歯をくいしばりすぎて頭が痛いくらい。
そのくらい私は原作漫画が好きなんだなって気付かされた。


上映中、コソコソ喋っていた老夫婦(たぶん)が、
ラストにタイトルが表れたとき「ところで『3月のライオン』って何?」って言っていた。
そんな雑音が耳に残っている。やっぱりくやしい。