ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

TWICEの日本デビューで明らかになる?、「K-POPだから」の正体。

ついに!


ミサモ凱旋じゃ~~~~~!!!!!!!!


『TWICE』の日本デビューの足音が聞えてまいりました!
渋谷109には予告なくデカデカとポスターが貼られ、多くのひとがそれを目撃しております。




K-POPだから」。




そうやってワクをつくって、
そのなかで「だから」好き・嫌い、と判断しているひとも多いと思います。
私もそのうちのひとりです。たぶん。




"「K-POPだから」という理由でK-POPを好んでいるひと"は、
当ブログではわーわー言っているビジュアルクリエションの精度の高さや、
日本のロリ文化と真反対の成熟した容姿のほかに、
なにより、歌唱・ダンスのレベルの高さに重きをおいている層が多い印象があります。


日本人メンバーがいるのに、なぜかTWICEには"日本人の女の子のアンチ"が目につきます。
それらの多くはたぶん自分が好きなK-POPボーイズアイドルと触れ合う機会を自分と同じ国籍の年齢の近い女の子が得ていることへの嫉妬から生まれているのだと思います。
オマケにそんな彼女たちがK-POPの本場でバカ売れしている事実も、そりゃ~アンチからしたらおもしろくないわな(笑)
そんな"TWICEをよく思わない日本人のファン"がここぞとばかりに指摘するのは、
歌唱・ダンスのスキルがほかのK-POPアイドルに比べて低いということです。


けれど「K-POPだから」、K-POPファンの多くには受け入れられている。
チャッチーな楽曲や振り付け・美しい容姿にも関わらず親しみやすい雰囲気は、
いま現在のK-POPシーンに新しい風を運んでいるのだと思われます。
もう、本国・韓国でめちゃくちゃ大人気。


「レベル」や「スキル」を擁するガールズグループは、日本のJ-POPシーンにはすでに存在しています。E-girls』とか。
(逆にTWICEのデビュー時には「"ニッポン・ギャル感"がちと強い」と記しています
けれど、それらがいくらK-POPに似たビジュアルアプローチをしてもなかなかK-POPフォロワーには届きません。
それは単純に彼女たちが「K-POPだから」のワクに入らないからだと思います。
そのほかにもいくつか"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"がつくられました。
それでも"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"の評価は"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"のそれにとどまりました。
そんなことからも、多くのK-POPファンは「K-POPだから」、K-POPが好きなんだろうなぁ、というのが個人的な雑感です。


間逆の反応、"「KPOPだから」という理由でK-POPが嫌いなひと"も、
もちろん、た~~~~~くさんいます。




そんななかでの、『TWICE』の日本進出。
どちらにしてもいままでに前例がないのが、やっぱり、




日本人メンバーがいる、しかも3人も。



ミ!



サ!



モ!


「ミサモ」こと、ミナちゃん・サナちゃん・モモちゃん。
彼女たちがキーだと思います。


"「KPOPだから」という理由でK-POPが嫌いなひと"たちが、
自分と同じ国籍・日本人のメンバーがいることにどういった反応をするのだろう。
反応うんぬんのまえに「K-POPだから」という理由で見向きもされないかもしれないけど。




いったい『TWICE』はどんな活動展開をしてくれるのだろうか。
接触イベントはやるのだろうか。イベントはやらずにリリースとライブに専念するのか。
はたしてTWICE=K-POPアイドルを日本活動をきっかけに好きになるひとはいま現在いるのだろうか。


新たな日本とK-POPのかけ橋であり、
日本のいま現在のK-POPの人気の度合いをはかれるのは、
日本人メンバーを3人も擁する"『TWICE』の日本活動"だと思うのです。
はたしてそこに「K-POPだから」は存在するのか。




私は以前、「K-POPだから」のなかでさらに「日本人だから」という身内意識で、
TWICEを熱心に応援する日本人ファンを不思議に思っていた時期
があります。
それらの反応に、同じ日本人である私自身のアイデンティティーのようなものがさわざわしたのです。
しだいにそれらは「慣れ」とともになくなっていったのですが。


『TWICE』の日本活動で、日本人でありK-POPファンの私の持つそれらに対する自意識が、
すご~~~~~く過剰になる気がします(笑)
そんなソワソワ感も含め、日本デビューを待ちたいと思います。

続・「ヒジンさん問題」。−それでも私はアイドルのパワーを信じる−


「ヒジンさん問題」とは。


それは、あるミュージックビデオにブチ切れたときにコメント欄で生まれたことば。

SMエンターテイメントの「アイドル」とその「ディレクション」に関する、ヒジョーにナイーブな問題である。

と、SMエンターテイメントのアートディレクター、ミン・ヒジン女史にまつわるもの。
前回はヒジンさんが一時期乱用していた「引用」についてブチ切れた(笑)




当ブログでさんざん文句言われまくっているSMエンターテイメントのミン・ヒジンさん。
(好きな方には本当に申し訳ないです!)


肩書きがいつの間にか"ビジュアル&アート室の「室長」"から「本部長」に変わっていた。
こちらでも触れたとおり、映像媒体も含めたトータルでのビジュアルディレクションも務めるようになったヒジンさんは、
いまはクリエイティブディレクターとしての仕事のほうが多いくらいなんじゃないか。




そんなヒジンさん。
最近はもはや所属タレント全員を手掛ける勢いで仕事をしまくっているあまり、ズバリ、

アートディレクターの「作家性」という点では出尽くしてる感が否めない。

と、いうような状態が続いており、




「最近のSMエンターテイメントって、ぜんぶ似たようなビジュアルじゃね?」前回




と、2017年1月時点、似て非なるものが「同じ」に見えてくるひとが続出。
さながらゲシュタルト崩壊


個人的にはここ最近のヒジン作品に対しては、
むしろ「ヒジンさんらしくない」と、思うくらいだった。
イライラしたり、悔しくなったり、そういった負の感情はなくなっていたからかもしれない。
そういったものを呼び起こすのが私にとっての「ヒジンさんらしい」作品なのだろう。




"『SHINee』や『f(x)』のイメージをつくりあげてきたひと"と、ファンも多いけれど、
それ以外のタレントにも同じようディレクションを施すようになり、
「新概念」というふんわりとしたコンセプトを持つ新人グループ『NCT』にいたっては、
まだグループの輪郭ができる前にそのなかに放り込まれてしまったようなかたちに。
それに対して「NCTが失敗したらミン・ヒジンのせいだ」と、言うひとまで現れたようで、おいおい、と。




それは違うだろう、と。




結局のところ「アイドル」の評価は「アイドル」自身が掴み取るもので、
それがアートディレクションに左右されているうちは、まだアイドルが未熟で、
ヒジンさんのせいにしているうちはまだファンもアイドル自身に満足していないからなのでは、と。


ただ、やっぱりひとりの人間がつくるものが似るのは仕方がない。
たぶんヒジンさん当人はまったくの別物をつくっている意識だと思う。


NCTがいまいち弾け切らないのはビジュアルディレクションだけが理由でない、絶対に。
だって先輩タレントはヒジンさん関係なしに評価されている。
むしろ、タレントそのものがヒジンさんにインスピレーションを与えている事例だって数多くある。


これは、「ファン」が、"SMエンターテイメントの「ミン・ヒジン」というクリエイター"が手掛けているアートディレクションのことを、
知りすぎているがゆえの、「呪い」のようなもの
だと思う。
それだけ"「ミン・ヒジン」だから"が有名であるということだ。




私は『VIXX』や『SEVENTEEN』も大好きだけれど、
彼らのビジュアルディレクションが好きだと思ったことはほとんどない。
ステージのパフォーマンスに強烈に惹きつけられるから好きなんだ。
そういうものをアイドルに見せてほしい。
例えば、それはステージパフォーマンスでなくてもぜんぜんいいわけで。


もちろん、"アイドルを売る"ためにはスタッフの力量も問われる。
でも私は、そういったものを越えていくアイドルのパワーを信じている。




"アイドルのアートディレクション"について議論が起こる、日本にはない現象が羨ましい。
それは身近な「デザイン」にアイドルファンのティーンまでもが苦言を呈することができるくらい、"関心がある"ということ。
なんというインタラクティブなコンテンツ、K-POP

Red Velvet 「ROOKIE」 カムバックステージ


みんな~~~ルキルキしてる~~~~~?????
『Red Velvet』がカムバック、カムバックステージにてパフォーマンスの全容が明らかに!


ルキルキ!!!!!スルギ姐さんの頼もしさにルキルキルキルキ!!!!!




この「楽しさ」、いま体感できるのはレドベルだけ!




って、前も言ってたわ。




『Dumb Dumb』でそのステージのパフォーマンスの「楽しさ」を見事に開花させたレドベル。
そのせわしないめまぐるしい振り付けはもはやさながら代名詞。(今作は仲宗根梨乃さんらの仕事)
今回は、なんならデビュー曲『Happiness』のステージに似た楽しさすらあると思う。




でも、ルキルキのカムバックにはちょこっとだけ違和感があります。




「二面性」をウリとしているレドベルなだけあって、
シックなリード曲や活動曲でバラード曲の起用を試みるなど、
ポップな「楽しさ」だけに軸足を置かないチャレンジ精神には毎度アッパレなのです。


そんななか、『Dumb Dumb』『7月7日』で楽曲とミュージックビデオの見事なシンクロを経たのち、
まん延する清純派アイドルをぶったぎるような『Russian Roulette』のMVでパンチの効いたジョークをかましてシビレさせてくれました。


滞りのないカムバックは、逆にいうとまだ試行錯誤の途中なのかなと。
「二面性」といいながら、個人的にはエッセムがレドベルのリリースの反応を見て、
シーンの様子を探っているかのようにも思えます。(個人の感想です!)




なぜなら。


SMエンターテイメントのアイドルといえば、いつもちょっとずつタレントのイメージを成長させていく印象があるからです。
エッセムレドベルのこれまでの歩みを眺めていると、もう少しシャープなくらいのほうが「イマ」の"レドベルらしい"と思うのです。


それがなんでか今回はデビュー時のそれに戻ってしまったかのようなディレクション
もちろんステージやミュージックビデオのパフォーマンスの向上は著しいのですが、
「フレッシュ」さに欠けるぶん、ちょっといたたまれない気にも。(ごめんな~)
まぁ、"今回だけ"なのかもしれませぬが。


ミュージックビデオはいやはや力入っていてさすがのクオリティなのだけれども、

どうしても色合いなどは、既視感が。


このコテコテブリカワ路線はやっぱり流行りを意識してるのかな~。
オマージュでやってみた『Russian Roulette』が売れたからビジュアルもそっちに引っ張られたのかな~、なんて安易に考えちゃいます。


とはいえ、


「それがなにか?」


と、言わんばかりにそれらを見事に自分たちのものにしているレドベルちゃん、それはそれで本当にすごいです。
なんかもう、こちらも、これはこれでいいじゃん!、と思わせるものをしっかりと体現してくれていてさすがなのですが。




コワモテな姉グループ"『f(x)』の「逆へ逆へコンセプト」"の果てがこれなのか。
多くのガールズグループは「カワイイ」を推し出しつつも、異性ファンが「萌え」る部分をしっかりとらえていると思います。
けれど、(f(x)は特殊すぎるので別枠として)レドベルの産む「カワイイ」にはそれはあまり感じられません。


ただ、タレント自身の放つパワーが「カワイイ」のディレクションをしっかりと飲み込んでいるぶん、成熟感があります。
そこが"「完成度」の高さ"に重きを置くK-POPファンから見ると、どことなく安定感があるのかもしれません。
だから安心して(?)男性ファンも応援できたりするのかなー、と。




今回の「楽しさ」は、それはそれで個人的には楽しませてもらうとして、
ガールズグループの世代交代が行われつつあるいま、
本国のアイドルファンがどのような反応を見せるのか、そちらにも興味津々でございます。

つばきファクトリー 「初恋サンライズ」

Hello! Project』から『つばきファクトリー』がメジャーデビューしますね。


個人的に、『つばきファクトリー』という存在はヒジョーにわかりにくかった。
先にデビューした『こぶしファクトリー』が念には念を入れて結成されたものだとしたら、
「対(つい)になるグループ、つくっとく?」みたいな、軽いノリでつくられたイメージ。
とくに『ハロプロ研修生』に思い入れのない私にとっては、
グループ名も含め、"「ネタ」もの"的な位置づけの印象がつよく、
いまいちチェックする気になれない、というか、完全にスルーしていました。




そして満を持してのメジャーデビューも秒読み。
リリースされるトリプルA面シングルのうちの一曲『初恋サンライズ』が公開されました。



ごめんなさい。


謝らせて。


最高すぎるんですけど!!!!!!!
「イマ」のつばきファクトリーがパフォーマンスするからこそ輝く曲!!!!!!!




この高揚感よ。




事務所・アップフロントはいつも文句言われてますけど、
なんだかんだこの"超フレッシュ感"を逃さない、デビュー曲の選定にかける嗅覚はさすがだなー、と思ってしまう。


疾走感とドラマチックな展開に、目が離せない。


私はまだメンバーのひとりの名前も知らない。
その「わからない」というのが、『つばきファクトリー』という得体の知れないグループの、
底知れないパワーを感じる源になっているような気がします。




ハロプロにわかなので、個人的には第一印象は「ハロプロっぽくない」と思いました。
この狙いすました「カッコイイ」サウンドはJ-POP女子アイドル特有というか、
いまのその界隈のトレンドというような気がします。
それらも含めて「ハロプロっぽくない」。(個人の感想です!)




ミュージックビデオも、おそらく、
アップフロントの「このハウススタジオで撮ってくださーい!」(センスなし)とのオーダーと察しますが(涙)、
それとバッキバキのエフェクトや、暴れるようなカメラワークとのコントラストが成立してしまう。


つばきファクトリーだから。」


そういう説得力が生まれるのは、イマのつばきの持つ「フレッシュ」さだけではない、
まだ私の知らない潜んだ魅力がゆえかと思います。


MVは、そんな事務所の(おそらく)雑なオーダーを楽曲のパワーとともに倍返しにした会心の出来じゃないっすかね。


どーん!


突然現れる美少女…!!!!!!!!


これも「わからない」の、醍醐味ですよね~。
ふいのセリフパートもずるいぞ!




そしてなにより、ライブパフォーマンスもかなり見ごたえあります!

サムネイルに躊躇せず、どうかご視聴ください!!!!!(願)(前回


この小慣れていない全力投球な感じにくわえ、
グループ全体を見渡したときのビジュアルバランスがすごく絶妙です。
特筆すべきはこのハイレベルな歌唱力。
メジャーデビュー前にも関わらず、この歌唱!、というのはかなり凄いことだと思います。




2016年のハロプロ楽曲は、序盤はとても楽しかったものの、
徐々に尻すぼみになっていってしまった思い出。(個人の感想です!)
2017年はすでにいろいろな変化が予告されているハロプロ
そんななかで『つばきファクトリー』という存在にようやくたどりつけたことが嬉しいです。

チャニョル(EXO) × ウジ(SEVENTEEN)


これって夢かな?


우지 in the Studio 519 #졸귀탱

EXO_CYさん(@real__pcy)が投稿した写真 -




夢じゃなかったああああああああ!!!!!!!!!



『EXO』のチャニョルのインスタグラムに、
SEVENTEEN』のウジくんがご登場でございます!




ハッ…!



(萌)


あ~ですよね~~~~~。


先日収録された『2017 アイドル陸上大会』で明らかになったふたりの交流。
ウジくんに駆け寄り覆いかぶさるように手をかけるチャニョルの様子がSNS等で多数見られ、
そのあまりにほほえましすぎる画に悶絶した大勢のうちのひとりが私でございます。


そのときに誰もが思ったはずです。


「チャニョル、作業室にウジくんよんだりしないかな~。」


そんなファンの夢が!!!!!!!現実になっている現実!!!!!!!




音楽が大好きなチャニョル。
きっと、せぶちの作詞・作曲・プロデュースをつとめるウジくんに興味津々なんだろ~な~。
当のインスタグラムには「#超かわいい」のタグでありますよ。最高だ。
ウジくんはチャニョルのことをどう思ってるんだろー!


あ~~~~~知りたいことが多すぎるぞこのふたり!!!!!
まずは馴れ初めから教えて!!!!!こういうときのVアプリでしょ!!!!!
ふたりで曲とかつくっちゃう~~~???コラボしちゃう~~~???


音楽仲間?友達?どっちでもいい!なんでもいい!
大好きなふたりのグループの垣根を越えた交流にふるえるばかりなのであります。

2NE1 「GOODBYE - アンニョン」

『2NE1』が最後にリリースした楽曲のタイトルはそれだった。



「アンニョン」。


私は韓国語はさっぱりわからない。
でも「アンニョン」は知っている。
親しいひとにつかう挨拶のことば。




もともとCLちゃんのソロ曲だったとか、
それは脱退したミンジに向けられたものだとか、いろいろな説がある。


今作は公式ミュージックビデオに3カ国語の訳がついている。
ありがたいことに、そのうちには日本語もありしっかりと歌詞を通して楽曲に触れることができた。


「アンニョン」。


孤高のカリスマグループが最後に残したことば。
そのことばは世界中のファンが容易に発することのできる、距離の近さを感じるものだった。
ずるい。こんなのずるいに決まってる。


その意は『GOODBYE』とも表記されているだけあって、さすがの私にも別れの挨拶であることはわかる。
でも私は、韓国人の彼女たちが韓国語で伝えてくれたそのことばの中身は、
きっとそれだけじゃないと受けとめている。

また会えるその日まで アンニョン アンニョン
またいつか会えるその日まで アンニョン アンニョン


2NE1、アンニョン。

それでいいのか、NCT。

2017年になるやいなや、K-POPシーンはデビュー・カムバックの嵐!さすが激流!
昨年発足したSMエンターテイメントNCT』から、『NCT 127』もカムバック!


"追加メンバーにジャニーとドヨンを迎えて"!




…え?




NCTについては、『NCT DREAM』で、なんとなくわかったような感じがあったんです。
NCT』という名前のもとにさまざまなグループ・ユニットが派生し、
それ自体がNCTのブランドになっていくんだなぁとしみじみ。


だからじゃんじゃん新しいグループをつくって、じゃんじゃん活動して、
とにかく年中稼働しているくらいのプロジェクトくらいにしないと育たないのではないかと。




一番手の『NCT U』はハイセンスすぎてついていけませんでした。
二番手の初期型『NCT 127』はアバンギャルドすぎてついていけませんでした。
そしてよーーーやく三番手の『NCT DREAM』のショタコンセプト(雑)でNCTの幅や容量を理解をした気になり、
次を楽しみに思うようになったのでした。


で、その次が、


"追加メンバーにジャニーとドヨンを迎えて"再編成された新生『NCT 127』。


…。



う~~~ん。



…。


え~~~~~~~~~~~。


待ってましたとNCTとしては初出陣・ジャニーは『SMROOKIES』のときから好きだし、
歌唱の補強としてのドヨンくんの加入は、まぁわかるっちゃわかるのだけれど。
人数が増えたことによってただでさえ曖昧なメンバーの個は薄まったと思うし、他の大人数グループにまぎれてしまった感もある。
楽曲も、かつて「ついていけない」と思わせた前衛的なものではなく、
どこかで聴いたことのあるような既視感があって。
ビジュアルもエッセムがストリートスタイルやってみたよ~、みたいななんか軽いノリ。


DREAMでNCTに開眼した(おおげさ)私は、そのあとUも初期型127も好きになりました。
NCT』というプロジェクトを楽しめる・楽しみに思うようになってきたんです。


それが今回の突貫工事的な展開になんだか肩透かしをくらったような気分。
もう少し、じっくり粘るプロジェクトじゃなかったの?


てか、




エッセム、焦ってる?




いまさら?


127のアルバムがそこそこ売れたから、そこに人気のあるコを追加して、
NCT 127』を主軸にしてNCT全体の人気拡大を狙っている?



私は、アイドルグループに関しては、常に"ベストメンバー"状態であってほしいのです。
NCTというのは、その"ベストメンバー"グループの集合体がコンセプトなんじゃないの?
少なくとも私はそう思い込んでいたのですが。


端的にいうと、127にこれだけの変化があって、
ただただ、グループの名称に変化がないということに違和感がある。
これって従来の頑なだったNCTのセオリー的にどうなの?、ということ。
グループ内ユニットでさえ、メンバーが「流動性」とはいえ、
実際に目の当たりにするとやっぱり違和感が。
なんというかエッセムさんらしくない・NCTらしくない雑な仕事のように感じてしまうんですよね~。
思い返してみれば、Uでまだまだガキンチョだと思ってたマークが初期型127に選抜されたのは素直にワクワクしたりしたのに。


あるグループはデビュー年に6回(!)も活動しています。
NCTはただでさえふんわりとしたコンセプトなんだから、
それに負けないくらい、「同じ事務所の先輩と活動がカブるから」、とか言ってないで、
数を撃ったら?、ってゆーのが私の描く理想の活動展開です。
けれど、それにしたってエッセムさんの謳うビジョンの割には弾数が少なすぎる気がする。
活動にはお金がかかるし、実際にいま現在かなりお金をかけているのはわかるのだけれど、
だったら『STATION』とかやってる場合?、と。
例えばデュオとか、歌なしダンスだけとか、それこそメンバー流動性がゆえの可能性は無限大なのでは。




…まぁ、ぶっちゃけ、次の新しいユニットが見たいだけなんだけどね!




これまで築いてきた謳い文句どおりの「新概念」がようやく掴めてきたと思い込んでいたので、改めて拍子抜けしてしまっています。
(デビューのアナウンス時点で一回心底拍子抜けしている)




NCT U』も『NCT DREAM』もメンバー追加による再編成がなされるのでしょうかねぇ。
もう新しいユニットはできないのでしょうかねぇ。
また待機メンバーのシステムはどうなっているのでしょうかねぇ。


年末に突然公開されたこちらのミュージックビデオも、

楽しさの裏になんか勝手にプロジェクトの闇を感じてしまう。。


多国籍・メンバー流動性という運営には都合がいいものの、
おそらく箱推しを産みにくいアイドル・プロジェクト『NCT』。
「えぬ・しー・てぃー」ですよ!?
コンセプトである"ネオ・カルチャー・テクノロジー"の頭を取ったそのネーミングは、
ビジネスライクな「概念」の印象ばかりが強く、血が通っていないように感じてしまいます。
その本当の姿は、誰もが「売れた」と感じたときに現れるものなのかもしれませんね。