ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

BPM ビート・パー・ミニット

それは闘いの記録だった。


映画のパワーがすごすぎて上映終了後も圧倒されたままで、
劇場から出てロビーにある椅子に腰をかけたものの、なかなか立つことができなかった。


『第70回カンヌ国際映画祭』(2017年)グランプリ受賞作品。
『万引き家族』は翌年、というか今年、第71回のパルム・ドール。)




日本でも踏襲されているキービジュアル、すごく好き。



前日に観た『君の名前で僕を呼んで』では、
同じく主軸となる同性同士の恋愛模様を見てBLだBLだと興奮しまくっていたのがうそみたい。
ふたつはまったくベクトルが違う作品であるにしろ、それにしても、という感じ。


『君の名前で〜』も本作『BPM』もLGBTがどうのっていうところとはまったく別の角度から同性間の愛を描いていたのが本当にすごい。
前者は「BL」だし後者は「闘いの記録」だもん。
それぞれの作品の主人公たちが同性同士で愛し合っているというだけで。




登場人物たちは、「世間」をはじめとしたいろいろなものと闘っていたけれど、
同時に自身らとも闘っていたと思う。


まるでドキュメンタリーのようなミーティング・議論のシーンをはじめ、
抗議運動をはじめとしたあらゆる活動はまるで各々が自らを鼓舞しているかのように見えた。
それらからいっとき解放されたかのようにクラブで踊る姿からは、
そういった闘いの最中の彼らを感じさせず、余計にその印象を増長させた。


いまより"少し前"が物語の舞台だけれども、
作品自体はとてもソリッドでスタイリッシュに仕上がっており、
つくり手が"「いま」へ伝えたい"という気持ちが見てとれる。




学生のときに、課題でエイズに関するポスターを制作した。
とにかく"コンドームをシンボリックに表現"し、日常に馴染むものを意識してつくった。
出来上がったポスターはそこそこ評判がよく、展示されたり賞をもらったりした。
でもそのときの私は、実のところエイズのことなんてきっとまるでわかっていなくて、
プレゼンのときにことばだけで"セックスのときにコンドームを使用する必要性"を述べてみたものの、それはほぼポーズだったと思う。
私は与えられた課題に対してただ"コンドームをシンボリックに表現"したかっただけで、
いま思えば、それらは後付けの文章のようなものだった。


これまでエイズというものにいちばん触れたのはそのときだった。
自分の表現のための情報しか頭に入れていなかったため、
本作を観ては、こんなにも、なにも知らず、よくあれを堂々と発表できたなと。
まぁ私も幼かった。いまもだけれど。


"HIV陽性でもコンドームを使えばセックスできる"というのは、
言葉だけで認識していたときは素直に理解したつもりでいたものの、
実際に映像で観るとかなりビビってしまっている自分がそこにいた。恥ずかしい。
嗚呼、「無知は敵」・「知識は武器」、おっしゃる通りでございます。




悲しい、悲しいラストだった。
そこにいた「母親」はとても偉大だった。


その悲しさと常に向き合わなければいけない彼らは、やっぱりまた踊っていた。
一見、仲間たちに囲まれて大勢で一体になって踊る彼らは幸せそうではあるが、
刹那的な演出からはそれぞれの先にある「死」という孤独を感じざるをえない。


けれど描かれていた孤独、そして全編で描かれていた闘いの記録は、
決して作品のなかの「彼ら」だけのものではなくて、
同じ体験こそしないものの、私のような人間でさえも、持つものだったと思う。
だから涙が止まらなかったのだろう。