ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN

2016年は、なんと首都圏の美術館・アートギャラリーに一度も行かなかった。わお。
単純に"美術館欲"(なんじゃそりゃ)がすごく低下してしまったがゆえだと思う。


そんななか、今回重い重い腰を上げて今回の篠山紀信展に行ってまいりました。


つい最近まで品川で開催されていた別の紀信さんの展示にも惹かれていたのですが、
この怠惰な美術館欲がゆえ、たどり着くことはありませんでした。
いまになって後悔しております。


話を戻して。




実は、この展示、2012年にすでに見に行っているんです。




そのときの会場は東京オペラシティアートギャラリー。
当時はこんな大規模巡回展だったなんてまったく知らなかった(笑)


展示作品はアナウンスどおり、ほとんど一緒。
それは承知のことだったのでそれに関してはとくになんとも思いません。
展示作品が同じなのに、どうして2017年になって、また赴いたのか。
それは煽り文句である"「空間」vs「写真」"というのに強く惹かれたからです。

この展覧会は美術館の大空間と圧倒的インパクトのある写真との戦い。
つまり空間力VS写真力のバトルです。
鑑賞ではなく体感!是非ご自身の体をその空間の中に浸してみて下さい。
横浜美術館でお待ちしています。/篠山紀信

横浜美術館/展覧会概要


ジョン・レノンとオノ・ヨーコのキービジュアルはもちろん同じ。
いかんせんけっこう前のことなのでぼんやりとしか覚えてないのですが、
展示の構成もほぼ変わっていないと思います。




ただ、


「空間」も「写真」もとにかくでかい!これが"鑑賞ではなく体感"!!!!!




また、さすが厳選された写真なだけあって、前回と同じ作品でも退屈さ皆無でした。
会場がスケールアップし、写真のプリントもサイズアップしているように感じ、大迫力!
同じ作品とはいえ、このサイズを変容させることができるというのは、プリント作品の大きな強みですよねー。
(作品サイズが実際に変化していたかはわかりません)
展示されていた「写真」は「空間」に負けることなく、鮮やかに存在感を放っていました。
見ていてとっても気持ちがよかった!
「ドキュメンタリーを避けてきた」(のちに東日本大震災はそんな紀信さんを動かすのですが)というだけあって、
華やかに有名人たちがでっかく「写真」に写されているわけだけれど、
そんな「空間」には今日のように展示室がやや混雑しているくらいの様子のほうがよく似合っている。
何も考えずに、老若男女問わないその敷居の低さも大好きです。




作品・展示の感想は2012年に展示を見たときといい意味で変わりません。

敷居が高くなく、ミーハーでキャッチーななかにしっかりと芯や強さが感じられた良い展示だったと思います。
展示の構成や展開も、シンプルかつダイナミックなのでストレートに伝わってきます。
真っ向勝負の展示。

「俺はこれだけの時代と時代の象徴の目の前に立ってシャッターを切ってきたんだぜ!」と言わんばかりのドヤドヤな展示が心地よかったです。

撮影スタイルも真っ向勝負。
被写体との距離をあえてとったり、計算したり、定めなかったり、探り探りだったり…そういったカメラマンが多いなか、
篠山紀信は被写体と"人対人"のガチンコの撮影ができる貴重なカメラマンです。


そして、その一瞬を切り取る。


シャッターを切ることで被写体にぶつける何かが、そのまま跳ね返ってくるわけではなく、
しっかりと被写体自身から発せられて返ってくる。
だから作品が明るい、強い。
ひとの顔って、身体って、本当に凄い。そしてそこから発せられるパワーを写真におさめることのできる紀信さんはやっぱりさすがです。


美術館は大好きだけれど、
自分が年齢を重ねていくうちに、どうしても作家の思想や思考を探るようになってしまったような気がします。
それも美術館から遠ざかっていった理由のひとつです。
けれど本展の作品のパワーは、私自身のミーハーな部分をおおいに刺激されたうえ、
大空間ならではの美術館で開催されることの良さを再確認できたような気がします。




横浜美術館はコレクション展もいつも充実しているのですが、
今期は紀信展と合わせてなのか、写真をテーマにしたものでした。
逢坂館長によると、「全館写真の展覧会は開館以来、初めて」なのだそう。わお。
それも内容は紀信展とはまったく違ったアプローチ。このギャップにはしびれた~。
1部は日本の歴史「昭和」の様子を写真におさめたものがメイン。
中平卓馬・荒木経惟・森村泰昌と、近代のカメラマンの作品で締めるのも良かったです。
現役バリバリの有名(ミーハーゆえ)若手写真家の作品をあつめた写真展も見てみたい。
そういう界隈ではあんまり「ミーハー」な写真展てない気がします。


2部のアメリカから生まれたの写真作品群もそれはそれでおもしろかった。
マン・レイてアメリカ人だったのか。(遅い)




紀信展はこちらのミーハーパワーを返り討ちにしてくれるようなミーハーパワーで応戦してくれるので、二回目でも楽しいですね。
まぁ5年のときが経ったというのも大きいけれど。
もちろんミーハーさだけでなく、紀信さんのすさまじい創造力と被写体のパワーを引き出すパワーが織りなすからだこそだと思います。アッパレ。
アートとエンターテイメントに手を握らせ、鑑賞者を満足させる作家はなかなかいません。
(紀信さんが「写真」を「アート」と認識しているかはわかりませんが)

TWICEの日本デビューで明らかになる?、「K-POPだから」の正体。

ついに!


ミサモ凱旋じゃ~~~~~!!!!!!!!


『TWICE』の日本デビューの足音が聞えてまいりました!
渋谷109には予告なくデカデカとポスターが貼られ、多くのひとがそれを目撃しております。




K-POPだから」。




そうやってワクをつくって、
そのなかで「だから」好き・嫌い、と判断しているひとも多いと思います。
私もそのうちのひとりです。たぶん。




"「K-POPだから」という理由でK-POPを好んでいるひと"は、
当ブログではわーわー言っているビジュアルクリエションの精度の高さや、
日本のロリ文化と真反対の成熟した容姿のほかに、
なにより、歌唱・ダンスのレベルの高さに重きをおいている層が多い印象があります。


日本人メンバーがいるのに、なぜかTWICEには"日本人の女の子のアンチ"が目につきます。
それらの多くはたぶん自分が好きなK-POPボーイズアイドルと触れ合う機会を自分と同じ国籍の年齢の近い女の子が得ていることへの嫉妬から生まれているのだと思います。
オマケにそんな彼女たちがK-POPの本場でバカ売れしている事実も、そりゃ~アンチからしたらおもしろくないわな(笑)
そんな"TWICEをよく思わない日本人のファン"がここぞとばかりに指摘するのは、
歌唱・ダンスのスキルがほかのK-POPアイドルに比べて低いということです。


けれど「K-POPだから」、K-POPファンの多くには受け入れられている。
チャッチーな楽曲や振り付け・美しい容姿にも関わらず親しみやすい雰囲気は、
いま現在のK-POPシーンに新しい風を運んでいるのだと思われます。
もう、本国・韓国でめちゃくちゃ大人気。


「レベル」や「スキル」を擁するガールズグループは、日本のJ-POPシーンにはすでに存在しています。E-girls』とか。
(逆にTWICEのデビュー時には「"ニッポン・ギャル感"がちと強い」と記しています
けれど、それらがいくらK-POPに似たビジュアルアプローチをしてもなかなかK-POPフォロワーには届きません。
それは単純に彼女たちが「K-POPだから」のワクに入らないからだと思います。
そのほかにもいくつか"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"がつくられました。
それでも"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"の評価は"K-POPをモチーフにした和製ガールズグループ"のそれにとどまりました。
そんなことからも、多くのK-POPファンは「K-POPだから」、K-POPが好きなんだろうなぁ、というのが個人的な雑感です。


間逆の反応、"「KPOPだから」という理由でK-POPが嫌いなひと"も、
もちろん、た~~~~~くさんいます。




そんななかでの、『TWICE』の日本進出。
どちらにしてもいままでに前例がないのが、やっぱり、




日本人メンバーがいる、しかも3人も。



ミ!



サ!



モ!


「ミサモ」こと、ミナちゃん・サナちゃん・モモちゃん。
彼女たちがキーだと思います。


"「KPOPだから」という理由でK-POPが嫌いなひと"たちが、
自分と同じ国籍・日本人のメンバーがいることにどういった反応をするのだろう。
反応うんぬんのまえに「K-POPだから」という理由で見向きもされないかもしれないけど。




いったい『TWICE』はどんな活動展開をしてくれるのだろうか。
接触イベントはやるのだろうか。イベントはやらずにリリースとライブに専念するのか。
はたしてTWICE=K-POPアイドルを日本活動をきっかけに好きになるひとはいま現在いるのだろうか。


新たな日本とK-POPのかけ橋であり、
日本のいま現在のK-POPの人気の度合いをはかれるのは、
日本人メンバーを3人も擁する"『TWICE』の日本活動"だと思うのです。
はたしてそこに「K-POPだから」は存在するのか。




私は以前、「K-POPだから」のなかでさらに「日本人だから」という身内意識で、
TWICEを熱心に応援する日本人ファンを不思議に思っていた時期
があります。
それらの反応に、同じ日本人である私自身のアイデンティティーのようなものがさわざわしたのです。
しだいにそれらは「慣れ」とともになくなっていったのですが。


『TWICE』の日本活動で、日本人でありK-POPファンの私の持つそれらに対する自意識が、
すご~~~~~く過剰になる気がします(笑)
そんなソワソワ感も含め、日本デビューを待ちたいと思います。

続・「ヒジンさん問題」。−それでも私はアイドルのパワーを信じる−


「ヒジンさん問題」とは。


それは、あるミュージックビデオにブチ切れたときにコメント欄で生まれたことば。

SMエンターテイメントの「アイドル」とその「ディレクション」に関する、ヒジョーにナイーブな問題である。

と、SMエンターテイメントのアートディレクター、ミン・ヒジン女史にまつわるもの。
前回はヒジンさんが一時期乱用していた「引用」についてブチ切れた(笑)




当ブログでさんざん文句言われまくっているSMエンターテイメントのミン・ヒジンさん。
(好きな方には本当に申し訳ないです!)


肩書きがいつの間にか"ビジュアル&アート室の「室長」"から「本部長」に変わっていた。
こちらでも触れたとおり、映像媒体も含めたトータルでのビジュアルディレクションも務めるようになったヒジンさんは、
いまはクリエイティブディレクターとしての仕事のほうが多いくらいなんじゃないか。




そんなヒジンさん。
最近はもはや所属タレント全員を手掛ける勢いで仕事をしまくっているあまり、ズバリ、

アートディレクターの「作家性」という点では出尽くしてる感が否めない。

と、いうような状態が続いており、




「最近のSMエンターテイメントって、ぜんぶ似たようなビジュアルじゃね?」前回




と、2017年1月時点、似て非なるものが「同じ」に見えてくるひとが続出。
さながらゲシュタルト崩壊


個人的にはここ最近のヒジン作品に対しては、
むしろ「ヒジンさんらしくない」と、思うくらいだった。
イライラしたり、悔しくなったり、そういった負の感情はなくなっていたからかもしれない。
そういったものを呼び起こすのが私にとっての「ヒジンさんらしい」作品なのだろう。




"『SHINee』や『f(x)』のイメージをつくりあげてきたひと"と、ファンも多いけれど、
それ以外のタレントにも同じようディレクションを施すようになり、
「新概念」というふんわりとしたコンセプトを持つ新人グループ『NCT』にいたっては、
まだグループの輪郭ができる前にそのなかに放り込まれてしまったようなかたちに。
それに対して「NCTが失敗したらミン・ヒジンのせいだ」と、言うひとまで現れたようで、おいおい、と。




それは違うだろう、と。




結局のところ「アイドル」の評価は「アイドル」自身が掴み取るもので、
それがアートディレクションに左右されているうちは、まだアイドルが未熟で、
ヒジンさんのせいにしているうちはまだファンもアイドル自身に満足していないからなのでは、と。


ただ、やっぱりひとりの人間がつくるものが似るのは仕方がない。
たぶんヒジンさん当人はまったくの別物をつくっている意識だと思う。


NCTがいまいち弾け切らないのはビジュアルディレクションだけが理由でない、絶対に。
だって先輩タレントはヒジンさん関係なしに評価されている。
むしろ、タレントそのものがヒジンさんにインスピレーションを与えている事例だって数多くある。


これは、「ファン」が、"SMエンターテイメントの「ミン・ヒジン」というクリエイター"が手掛けているアートディレクションのことを、
知りすぎているがゆえの、「呪い」のようなもの
だと思う。
それだけ"「ミン・ヒジン」だから"が有名であるということだ。




私は『VIXX』や『SEVENTEEN』も大好きだけれど、
彼らのビジュアルディレクションが好きだと思ったことはほとんどない。
ステージのパフォーマンスに強烈に惹きつけられるから好きなんだ。
そういうものをアイドルに見せてほしい。
例えば、それはステージパフォーマンスでなくてもぜんぜんいいわけで。


もちろん、"アイドルを売る"ためにはスタッフの力量も問われる。
でも私は、そういったものを越えていくアイドルのパワーを信じている。




"アイドルのアートディレクション"について議論が起こる、日本にはない現象が羨ましい。
それは身近な「デザイン」にアイドルファンのティーンまでもが苦言を呈することができるくらい、"関心がある"ということ。
なんというインタラクティブなコンテンツ、K-POP

Red Velvet 「ROOKIE」 カムバックステージ


みんな~~~ルキルキしてる~~~~~?????
『Red Velvet』がカムバック、カムバックステージにてパフォーマンスの全容が明らかに!


ルキルキ!!!!!スルギ姐さんの頼もしさにルキルキルキルキ!!!!!




この「楽しさ」、いま体感できるのはレドベルだけ!




って、前も言ってたわ。




『Dumb Dumb』でそのステージのパフォーマンスの「楽しさ」を見事に開花させたレドベル。
そのせわしないめまぐるしい振り付けはもはやさながら代名詞。(今作は仲宗根梨乃さんらの仕事)
今回は、なんならデビュー曲『Happiness』のステージに似た楽しさすらあると思う。




でも、ルキルキのカムバックにはちょこっとだけ違和感があります。




「二面性」をウリとしているレドベルなだけあって、
シックなリード曲や活動曲でバラード曲の起用を試みるなど、
ポップな「楽しさ」だけに軸足を置かないチャレンジ精神には毎度アッパレなのです。


そんななか、『Dumb Dumb』『7月7日』で楽曲とミュージックビデオの見事なシンクロを経たのち、
まん延する清純派アイドルをぶったぎるような『Russian Roulette』のMVでパンチの効いたジョークをかましてシビレさせてくれました。


滞りのないカムバックは、逆にいうとまだ試行錯誤の途中なのかなと。
「二面性」といいながら、個人的にはエッセムがレドベルのリリースの反応を見て、
シーンの様子を探っているかのようにも思えます。(個人の感想です!)




なぜなら。


SMエンターテイメントのアイドルといえば、いつもちょっとずつタレントのイメージを成長させていく印象があるからです。
エッセムレドベルのこれまでの歩みを眺めていると、もう少しシャープなくらいのほうが「イマ」の"レドベルらしい"と思うのです。


それがなんでか今回はデビュー時のそれに戻ってしまったかのようなディレクション
もちろんステージやミュージックビデオのパフォーマンスの向上は著しいのですが、
「フレッシュ」さに欠けるぶん、ちょっといたたまれない気にも。(ごめんな~)
まぁ、"今回だけ"なのかもしれませぬが。


ミュージックビデオはいやはや力入っていてさすがのクオリティなのだけれども、

どうしても色合いなどは、既視感が。


このコテコテブリカワ路線はやっぱり流行りを意識してるのかな~。
オマージュでやってみた『Russian Roulette』が売れたからビジュアルもそっちに引っ張られたのかな~、なんて安易に考えちゃいます。


とはいえ、


「それがなにか?」


と、言わんばかりにそれらを見事に自分たちのものにしているレドベルちゃん、それはそれで本当にすごいです。
なんかもう、こちらも、これはこれでいいじゃん!、と思わせるものをしっかりと体現してくれていてさすがなのですが。




コワモテな姉グループ"『f(x)』の「逆へ逆へコンセプト」"の果てがこれなのか。
多くのガールズグループは「カワイイ」を推し出しつつも、異性ファンが「萌え」る部分をしっかりとらえていると思います。
けれど、(f(x)は特殊すぎるので別枠として)レドベルの産む「カワイイ」にはそれはあまり感じられません。


ただ、タレント自身の放つパワーが「カワイイ」のディレクションをしっかりと飲み込んでいるぶん、成熟感があります。
そこが"「完成度」の高さ"に重きを置くK-POPファンから見ると、どことなく安定感があるのかもしれません。
だから安心して(?)男性ファンも応援できたりするのかなー、と。




今回の「楽しさ」は、それはそれで個人的には楽しませてもらうとして、
ガールズグループの世代交代が行われつつあるいま、
本国のアイドルファンがどのような反応を見せるのか、そちらにも興味津々でございます。

つばきファクトリー 「初恋サンライズ」

Hello! Project』から『つばきファクトリー』がメジャーデビューしますね。


個人的に、『つばきファクトリー』という存在はヒジョーにわかりにくかった。
先にデビューした『こぶしファクトリー』が念には念を入れて結成されたものだとしたら、
「対(つい)になるグループ、つくっとく?」みたいな、軽いノリでつくられたイメージ。
とくに『ハロプロ研修生』に思い入れのない私にとっては、
グループ名も含め、"「ネタ」もの"的な位置づけの印象がつよく、
いまいちチェックする気になれない、というか、完全にスルーしていました。




そして満を持してのメジャーデビューも秒読み。
リリースされるトリプルA面シングルのうちの一曲『初恋サンライズ』が公開されました。



ごめんなさい。


謝らせて。


最高すぎるんですけど!!!!!!!
「イマ」のつばきファクトリーがパフォーマンスするからこそ輝く曲!!!!!!!




この高揚感よ。




事務所・アップフロントはいつも文句言われてますけど、
なんだかんだこの"超フレッシュ感"を逃さない、デビュー曲の選定にかける嗅覚はさすがだなー、と思ってしまう。


疾走感とドラマチックな展開に、目が離せない。


私はまだメンバーのひとりの名前も知らない。
その「わからない」というのが、『つばきファクトリー』という得体の知れないグループの、
底知れないパワーを感じる源になっているような気がします。




ハロプロにわかなので、個人的には第一印象は「ハロプロっぽくない」と思いました。
この狙いすました「カッコイイ」サウンドはJ-POP女子アイドル特有というか、
いまのその界隈のトレンドというような気がします。
それらも含めて「ハロプロっぽくない」。(個人の感想です!)




ミュージックビデオも、おそらく、
アップフロントの「このハウススタジオで撮ってくださーい!」(センスなし)とのオーダーと察しますが(涙)、
それとバッキバキのエフェクトや、暴れるようなカメラワークとのコントラストが成立してしまう。


つばきファクトリーだから。」


そういう説得力が生まれるのは、イマのつばきの持つ「フレッシュ」さだけではない、
まだ私の知らない潜んだ魅力がゆえかと思います。


MVは、そんな事務所の(おそらく)雑なオーダーを楽曲のパワーとともに倍返しにした会心の出来じゃないっすかね。


どーん!


突然現れる美少女…!!!!!!!!


これも「わからない」の、醍醐味ですよね~。
ふいのセリフパートもずるいぞ!




そしてなにより、ライブパフォーマンスもかなり見ごたえあります!

サムネイルに躊躇せず、どうかご視聴ください!!!!!(願)(前回


この小慣れていない全力投球な感じにくわえ、
グループ全体を見渡したときのビジュアルバランスがすごく絶妙です。
特筆すべきはこのハイレベルな歌唱力。
メジャーデビュー前にも関わらず、この歌唱!、というのはかなり凄いことだと思います。




2016年のハロプロ楽曲は、序盤はとても楽しかったものの、
徐々に尻すぼみになっていってしまった思い出。(個人の感想です!)
2017年はすでにいろいろな変化が予告されているハロプロ
そんななかで『つばきファクトリー』という存在にようやくたどりつけたことが嬉しいです。

チャニョル(EXO) × ウジ(SEVENTEEN)


これって夢かな?


우지 in the Studio 519 #졸귀탱

EXO_CYさん(@real__pcy)が投稿した写真 -




夢じゃなかったああああああああ!!!!!!!!!



『EXO』のチャニョルのインスタグラムに、
SEVENTEEN』のウジくんがご登場でございます!




ハッ…!



(萌)


あ~ですよね~~~~~。


先日収録された『2017 アイドル陸上大会』で明らかになったふたりの交流。
ウジくんに駆け寄り覆いかぶさるように手をかけるチャニョルの様子がSNS等で多数見られ、
そのあまりにほほえましすぎる画に悶絶した大勢のうちのひとりが私でございます。


そのときに誰もが思ったはずです。


「チャニョル、作業室にウジくんよんだりしないかな~。」


そんなファンの夢が!!!!!!!現実になっている現実!!!!!!!




音楽が大好きなチャニョル。
きっと、せぶちの作詞・作曲・プロデュースをつとめるウジくんに興味津々なんだろ~な~。
当のインスタグラムには「#超かわいい」のタグでありますよ。最高だ。
ウジくんはチャニョルのことをどう思ってるんだろー!


あ~~~~~知りたいことが多すぎるぞこのふたり!!!!!
まずは馴れ初めから教えて!!!!!こういうときのVアプリでしょ!!!!!
ふたりで曲とかつくっちゃう~~~???コラボしちゃう~~~???


音楽仲間?友達?どっちでもいい!なんでもいい!
大好きなふたりのグループの垣根を越えた交流にふるえるばかりなのであります。

2NE1 「GOODBYE - アンニョン」

『2NE1』が最後にリリースした楽曲のタイトルはそれだった。



「アンニョン」。


私は韓国語はさっぱりわからない。
でも「アンニョン」は知っている。
親しいひとにつかう挨拶のことば。




もともとCLちゃんのソロ曲だったとか、
それは脱退したミンジに向けられたものだとか、いろいろな説がある。


今作は公式ミュージックビデオに3カ国語の訳がついている。
ありがたいことに、そのうちには日本語もありしっかりと歌詞を通して楽曲に触れることができた。


「アンニョン」。


孤高のカリスマグループが最後に残したことば。
そのことばは世界中のファンが容易に発することのできる、距離の近さを感じるものだった。
ずるい。こんなのずるいに決まってる。


その意は『GOODBYE』とも表記されているだけあって、さすがの私にも別れの挨拶であることはわかる。
でも私は、韓国人の彼女たちが韓国語で伝えてくれたそのことばの中身は、
きっとそれだけじゃないと受けとめている。

また会えるその日まで アンニョン アンニョン
またいつか会えるその日まで アンニョン アンニョン


2NE1、アンニョン。