ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

岬の兄妹

観たくなかった。
でも観なきゃいけないやつだった。


「かわいそう」とか「つらい」とか、
まるで他人事であるかのように自分を騙しながら観ないと、とても耐えられない映画だった。
それほどまでに私にとっては他人事ではない話だったと思うし、
できたら楽に生きていたいので、できたら他人事のままにしておきたかった。


だから、「ここはきっと笑うところ」みたいなところでまったく笑えなかった。
それは「かわいそう」とか「つらい」と言いながら自分がふたりに対して無意識に偏見を持つことの表れでもあり、それを突きつけらるのがまたきつかった。




私が劇中の兄妹らとまったく同じ状況になることは、99.9%、ない。
でも、残りの0.1%はわからない。
そういう恐怖が常にある。


私はひとの子である。
だから兄妹=家族を描く本作からはふだんは意識的に考えたりしないような、
それにまつわる恐怖に直面することになる。
今朝だって爆弾が落ちてくる夢を見た。
目が覚めたからよかったものの、目が覚めたあとも夢の余韻は容赦なく、怖かった。


でも私が「恐怖」だと思っていることは、世の中にごく当たり前に存在していて、
実際にそれと対峙し、共に生きているひとたちがたくさんたくさんいるのだ。
そこまで先にわかったうえで観たけれど、
この映画の存在を知ったからこそ、改めて向き合わなければならないことだった。
恥ずかしいけれど、私は私の人生でいっぱいいっぱいで、
とてもじゃなきゃ自分以外のひとの人生を思いやる余裕はないのだ。
(だから最近のアイドルの人生までにも思いを馳せなければならない状況はストレスだ。)




ラストシーン、岬で妹・真理子が兄・良夫を見る。

私には睨みつけているように見えた。

私にとってはそれがめちゃくちゃ救いだった。




すごく不思議なのは、観る前はあんなに観たくなかったし実際しんどい映画だったけれど、
観終わって「観るんじゃなかった」とは寸分も思わないことだ。
まだ「観てよかった」にはたどりつけていないけれど、
たぶんそれもそう時間はかからないと思う。
むしろ、本作を観る機会を逃さなかったこと、本当によかったと思ってる。


これはすごく意外で。
ちゃんと「いい映画」を観たあとの充実感があるし、
内容のハードさよりそちらの存在感のほうが大きい。
この内容でこの感じ、個人的にはすごくめずらしいことだし、
だからこそ、つくり手の力量がうかがえる。
本作においては、そちら側の「私情」のようなものがいっさい見えてこない。すごい。




ストーリーとかはいろいろなところに掲載されているテキストそのまんまという感じ。
ただ、それが実際に映像という「現実」になったときにつらいしんどいばかりかと思いきや、
映像になったからこそちょっとほっとさせられた部分もあったりした。


本作では映像になることで"人間には「心」がある"ということがとてもよくわかった。
それが本当に嬉しかった。


これってすごく大事なことなんじゃないだろうか。
逆もしかりで、映像ではなく文章だからこそ「いい」と思えることがあるということも、そういうことだろう。


キャストの演技がすごかったっていうのは、かなりでかい。
正直、ぜんぜん知らない俳優さんたちばかりだった。
けれど、それが良いように作用した例でもあると思う。
良夫を演じた松浦裕也さん、真理子を演じた和田光沙さんの名前はせめて覚えたい。


というか、キャストの前に、本作の監督である片山慎三監督の名前を覚えたい。
本作の制作における予算は監督の自費だったそうです。




パンフレットの内輪ノリ感に、ちょっとげんなりしてしまった感は正直否めない(笑)
ポン・ジュノのノリ、きっつ!
あと単純に中身を見て「高い」と思ってしまった。これは私が悪いんだろうか。
マイラブ高良健吾くんもコメントを寄せていた。「観客の方と一緒に考えたい」と。
昨日観た映画『デイアンドナイト』のインタビュー鼎談では、
山田孝之が「(映画を通して)話がしたいんです」と言っていた。
どちらも、それはちょっと(私とは)違うなぁと思った。


『デイアンドナイト』と本作『岬の兄妹』を二日連続で観たことは、貴重な体験だった。
大雑把にだけれど、ふたつの作品は似たところが部分的にちょいちょいあると感じるからだ。
ただ、結果としてふたつの作品はまったく似ていないし、まったく違う作品だった。
おもしろいな、と思った。