「美術館、いっしょに行かない?」と言うのは、
実はなかなかハードルが高いということがわかってきたここ数年。
よくよく考えればいまの私には"誰かと行きたくなるような展示"なんてそんなにない。
もう一生会えないかと思っていた大好きな友だちが、
約6年ぶりにTOKYOにカムバックして、それと似たことばをかけてくれた。
彼女と遊ぶようになったはじめのほうは美術館に一緒によく行っていた。
趣味が合うというより、フィーリングが合うというような感じで、
一緒に美術館に行くのがすごく楽しかった。
ところが彼女が地元に帰る前の数年間は、美術館とか、もうぜんぜん行かなくなっていた。
それこそ一緒に行きたくなるような展示は見尽くしていたような気がしていたし。
でも、そんな彼女が約6年ぶりにTOKYOにカムバックしたきっかけは、
ある美術館がもうすぐ閉館するからだった。
彼女にとってはもちろん、私にとっても思い出のある大切な場所。
彼女と出会って仲良くなったきっかけは岡本太郎だった。
「岡本太郎が好き」ということが私と彼女をつなげたし、
今日にいたるまでの関係はぜんぶ「そこから」だったのではないだろうか。
約6年ぶりにTOKYOにカムバックした彼女は、「岡本太郎記念館に行きたい」と言った。
先に、「表参道に行きたい」と聞いても、もはや私は表参道に行く理由すら思い浮かばず、
岡本太郎記念館があることもすっかり忘れていた。
ちなみに前日はふたりでカラオケに明け暮れ、
4時間かけてTOKYOに来た友だちは気がついたら4時間もカラオケにいたのだった。やば。
岡本太郎記念館はやばい。
川崎市岡本太郎美術館が私にとってパワースポットのようなものならば、
記念館の方はちょっとぞっとするくらいには太郎の気配を感じるのだ。
そこに漂う圧もすごい。
彼が絵を描いた部屋を前にすると、どうしてもちょっと涙が出てくる。
太郎の絵は、変わらず声が大きかった。
改めて制作過程の映像などを見ると、
彼は絵を描くというよりは己の内にあるものをぶちまけているかのようで、
やっぱり私は岡本太郎が好きだと思った。
庭にある立体作品は、どれも太郎の子供のようだった。
企画展『瞬間瞬間に生きる ー岡本太郎とジャズー』は、
「オレは過去も無視して、未来も無視して生きている。現在この瞬間瞬間に爆発して生きるんだから」
という太郎のことばから察せられる彼のマインドとの共通点を、ジャズ音楽に見出したものだった。
確かに太郎の作品とジャズの相性はとてもよく、楽しめたものの、
個人的には無理くり太郎とジャズに繋げたような感じがしなくもなくて、
これは敏子さんだったら企画はボツにしてた気がするわ~、と思ったりした(笑)
そう、一階の太郎の写真が飾ってある椅子のとなりの椅子に敏子さんの写真があったのだ。
前回来たときに敏子さんの写真があったかは、正直覚えていない。
けれど、こんなにも、太郎さんと並ぶ敏子さんを想わずにはいられなかったのは、
きっと私も年齢を重ねた証拠だろう。
前回訪れてからそんなに時間が経っていただなんて本当にびっくりした。
だってその他の館内の様子は、とてもよく覚えていたから。
写真のなかの敏子さんはとびっきりの笑顔だった。
時を経て、岡本太郎記念館に連れてきてくれた友だちには感謝しかない。
ほかにもたくさんたくさん、本当に楽しかった。
次に彼女に会うのは冗談抜きにして10年後とかになりそう、というか10年後に会えたら奇跡なのでは、という感じなので、
別れを惜しむほかなかったけれど、大切な思い出になった。
太郎さん、ありがとう。
「オレは過去も無視して、未来も無視して生きている。現在この瞬間瞬間に爆発して生きるんだから」
人間は悲しい生き物だけれど、このことばに救われる。
太郎さん、本当に、ありがとう。