アニメーションがめちゃくちゃカッコよくて、テンションぶちアガった。
それだけで序盤はじゅうぶんに惹きつけられたし、夢中になれた。あれはすごい。
めちゃくちゃクールだし、これがクールジャパンてやつか!という感じ。
映像の勢いに煽られて私自身ドーパミン出まくって、
物語がなかなか見えてこなくてもまったく問題がなかった。
むしろいまなら思う、あんな物語は見たくなかった。
ドン引き。
趣味が悪い。
このホンじゃなきゃダメだったの?と、思う。
このアニメーションのクオリティが物語の弱者の設定がゆえのものだとしたら残念すぎるし、
そうじゃなかったとしてもどのみちこの内容にたどり着くのならサイアクって感じ。
と、主に映画『ベイビー・ドライバー』と同じような部分が個人的にだめだったのだけれど、
"アニメーションだからできる・アニメーションにしかできない"という、アニメーションというものが持つ希望が大好きなので、
そこから生まれたのがこれだというのがとくに悲しい。
本当に素晴らしいアニメーション作品だった。
先日観た映画『天気の子』とはまったく違った素晴らしさだった。
日本のアニメはこんなにもすごいのですね!
デザインの観点からいっても本当に上質。音だって最高だった。
重量感を感じさせる部分も基本的にセンスがよくてオシャレなので無骨にならない。
もっともっと褒めたいのに語彙力がなくて歯がゆい。
だからこそなのだ。
原作・脚本を手がけた中島かずきは生身の人間が出演する作品でも、新感線でもこれ使うの?
使わないんならアニメを舐めるなだし使うんならそれはそれでどうかと思う。
てかもう使ってるの?知らんけど。
松山ケンイチと早乙女太一は髑髏城から連れてきたんですかね。
"アニメーションだからできる・アニメーションにしかできない"からこそ、
こんな残酷な描写になったのだとしたらもうね…だめすぎない?
アニメーションは最先端なのに倫理観は太古のものかよと思う。
だって物語からは弱者を守りたい意思を持つ正義感のようなものは感じられない。
あるのかもしれないけれど、優先順位は「カッコいいアニメーション」の次以降なのでは。
「カッコいいアニメーション」はそんなことよりアニメーションがカッコいいことが大事。
アニメーションファーストである。それだって決して悪いことじゃないのに。
けれどこちらがそう受け取ってしまうくらい、扱うには繊細な「設定」だったと思う。
ひとつ前のエントリーが見事なブーメランになっているわけですが。
笑ってくれてもいいよ。でも私はこれがだめだった。しょうがないよな。
いったん無理だとなってしまうと、
終盤にかけての盛り上がりにまったくついていけず、ただただそれらがサムかった。
私はこの祭りを完全に外から眺めるしかないし、
眺めるだけならまだしも軽蔑に近い視線を送ることとなった。
内容云々を置いておくにしても、
それぞれのキャラクターがあまりにも印象に残らなかったのもこの虚しさを助長させる。
キャラクターのビジュアルはポップすぎずクールすぎず、とてもいい塩梅だったと思う。
でも気づけばそれこそ炎の煙に巻にまかれたかのように全体的にぼやけた印象になっていた。
あのキャラクターデザインをしてなぜなのかと不思議でならない。
それもアニメーションファーストがゆえなのだろうか。
そんなキャラクターたちはシネコンのディスプレイがよく似合う。
他の映画(『新聞記者』)を観に行ったときに、それらがとても魅力的でびっくりしたのだ。
さらに『天気の子』の鑑賞後の晴れやかな気分が後押しをしてくれた。そして鑑賞に至った。
こんなことはあんまりない。たぶん彼らの生きる場所は映画館なのは間違いない。
ただ、私とはちょっと合わなかった。
これで踊れることが羨ましいとも思わない。