ひさしぶりに大きなスクリーンに入った。
そこはたくさんのお客さんで埋め尽くされていて、それだけでジーンとしてしまった。
『天気の子』、アニメーションが本当に素晴らしかった。
というか単純に綺麗。すごく綺麗。
大きなスクリーンであんな綺麗なものを浴びることができて…
アニメーションならではの、アニメーションにしかできない表現も凄い。
とくに、「どっかーん!」みたいな効果音のようなものを、
めちゃくちゃ美しい映像で具現化してしまうのは本当に凄かった。
ハナシもおもしろかった。
もうちょっと鑑賞者を突き放してくれたらカッコよかったのになとも思うけれど、
それをしないということも一種の戦い方なのかな。
の、一方で悪い意味で驚いた。
これは『君の名は。』の呪い?
新海誠は『RADWIMPS』と心中するの?
すごくグッとくるところがあってもこの2点のせいで興ざめしちゃうの…
すごく綺麗なアニメーションなのに、演出とか展開のトーンが前作の焼き回し感がすごくて。
各キャラクターの色やそれぞれのポジション(?)もすっごいデジャヴ…
これがもはやパターン化されてしまっているものだとしたら勿体なさすぎる。
ぜんぜん物語は違うはずなのに、『君の名は。』を観ているような気分になるのよ。
タイトルロゴや暗転のタイミングとかさすがだったけれど、
それらですら『君の名は。』がチラついた。
こちらのボルテージがMAXに達しそうなところで、
私の代わりに野田洋次郎がめっちゃ歌うの、本当に勘弁してほしい(涙)
『君の名は。』のヒットに『前前前世』の影響がどれだけデカかったかわかってるのかな…?
せめてわかっててやっててほしいとすら思ってしまう。
わかってなくてやってるんならもはや作品をつくるにあたって致命的だとすら思う。
劇中もさんざんRADWIMPSでエンドロールまでRADWIMPSで。
お腹いっぱいどころか呆れの感情が…
すごく素敵なところだってたくさんあった映画なのに…くやしいわぁ。
私の好きなアニメーション映画って、
なんかとくに女性にあまり人気がないのかなと思うことが本当に多い。
私自身がそんなに数を観ているわけではないので余計にそう感じる。
そう思うのは、それらがテレビ放送されたときに結構な酷評に近いような文句がめちゃくちゃツイッターなどで散見されるからだ。
そんなにそこカンに触っちゃうの!?と、いつもびっくりする。
『君の名は。』に至っては石田衣良が知りもしない深海監督の青春時代の恋愛事情についてダメ出しした文献が何度も回ってくるほどで、
どっちのが酷いのよ…と本当に悲しくなってしまう。
私は『天気の子』も好きです。
でもこれをテレビ放送したらまたその周辺のひとらが怒るんだろうな~とか思うとね…
けれどそういった類のものは主に内容やストーリーに対してのもので、
少なくとも私が目にしたもののなかにアニメーション自体に対してのそれは見かけない。
繊細で綺麗なタッチのアニメーション映画って、
テレビサイズではその映像自体の魅力はやや伝わりづらいのかもしれないとも思う。
映像の「強さ」が映画館のスクリーンとテレビ画面とでは段違いなのだ。
それらアニメーション映画の映像を映画館の音響で身体ごと感じるというのはとても贅沢なひとときなのに。(新海作品のRADWIMPSはちょっと置いておいて)
あんなに素敵な作品なのに、あんなに私は好きなのに。
そういうことは本当に多い。
そんななかで天下のジブリ様なんかはもうさすがですよ。
ジブリ作品の凄さは私なんかがとても言い切れるものではないのだけれど、
ジブリはアニメーション映画をテレビサイズで見ても同じ感動ができるだけでなく、
また違った感動すらも味わうことができる。素人だけどそれはわかる。
作品自体が古くならないし、いつの年齢に見ても違った感動があるし…キリがない。
ジブリはテレビサイズで見ても線の躍動感がすごいし、
最近の繊細で綺麗なタッチのアニメーションとはぜんぜん画のアプローチが違うんだよな。
だからこそなのだけれど、
「アニメーション映画」と銘打っているものは映画館で観てほしいなぁと思ってしまう。
世の中には「アニメーション」で「映画」をつくっているひとたちがいるのだ。
今回は文句ばっかりになってしまったけれど、
内容やストーリー以前にアニメーションでしかできないこと・アニメーション映画でしか成立しないことがたくさんある。
このエントリー自体が説得力に欠けるのは百も承知だけれど、
クリエイティブの力を、アニメーションの力を、
いま感じたいし、知らないひとには知ってほしい。
そういうタイミングだった。
本作『天気の子』には、宮澤佐江ちゃんの復帰作であるミュージカル『ピーターパン』で、
主人公・ピーターパン役を務める吉柳咲良ちゃんがメインキャストで出演しております!
エンドロール見てびっくりした!ヨッ!座長!