平成天皇退位の日が決まった日に店に行くと、
マスターに開口一番に「店を閉める日が決まったよ」と言われた。
とある喫茶店。
最初に店を閉めると言われていたのが、それよりちょうど半年くらい前だった。
それから、一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と過ぎても閉まる気配はなく、
もう店を閉める話はなくなったのかなとか思ったりもしたくらいだった。
「平成とともに終わりにするよ」と笑いながら言うマスターに、
「まぁ私はめちゃくちゃ悲しいしさみしいですけどね」としか返せなかった。
一回、閉店の話になったときに駄々をこねたら、余命の話を出されたことがあるのだ。
それを言われたらもう何も言えないじゃない。
「そんな話をするなんてひどい!」と当時は思ったけれど、
いい歳して駄々をこねる私を黙らせるにはいちばん手っ取り早かったんだと思う。
いま思うとそんな話をさせて申し訳なかったかなと思いつつ、
ほかのお客さんとの会話に何げなく余命の話をぶちこんで、
その場の空気を凍らせている様子は何度か見かけていた…(笑)
初めて花屋で花束をつくってもらった。
大きな大きな花束にはまだ蕾の百合の花もあった。
花屋のお姉さんが花束をつくりながら教えてくれていたから、
花に疎い私がそれがこれから咲くものであることをマスターに伝えることができた。
マスターは柄にもなくその花束を抱いた写真を撮らせてくれた。
喜んでくれたみたい。
自分の人生において、こういう場所ができるとは思わなかった。
私の人生を見守ってくれていた場所でもあるのだ。
留守番したり、近所の常連さんからいろいろもらったり。本当に、ほかにもいろいろ。
でも全部が全部、ある一定の距離感が保たれていた。心地よかった。
閉店間際に駆け込むように入ることも少なくなかった。
そんなとき、マスターの顔からあからさまに歓迎されてないのを察することもあった。
基本的に物腰はやわらかいけれど、親しくなると結構ビシビシともの言う一面があった。
長らく続いた関係があったからこそ、思い返せばとてもいい関係だったなと思える。
珈琲中毒みたいになってしまったのは、この店の影響は大きいはず。
タバコを吸わない代わりといってはなんだけれど、
珈琲を飲めば一服できる身体になってしまった。
なにかと行き詰まると珈琲を飲み、機嫌がよくても珈琲を飲む。
平成最後の日、喫茶店は閉店した。
なにかと私がスマートに振る舞えたのは、たぶん雨のおかげだったと思う。
店から出たあと外観写真を収めるために店の前に立ってたら、
マスターに「まだいたの?(笑)」って言われたけど、
本当の別れ際に、ちょっと離れたところから「また会いましょう!」だなんて、
そんなこっぱずかしいことばを大きな声で言えたのは、雨が降っていたからだ。
ありがとうございました。
長いあいだ、本当におつかれさまでした。