ミーハーでごめんね

ヲタク気質のミーハーの忘備録。ネタバレ要注意。月別アーカイブを見られるようにしました。

VIXX 正規3集アルバム「EAU DE VIXX」/「Scentist - 香り」




えねねん、ガリガリすぎでは。




正規3集アルバム『EAU DE VIXX』をリリース、そしてカムバック。
相変わらずの被写体力でティーザーイメージは言わずもがな、素晴らしかった。



さすが、もはや安定のクオリティすぎる。




カムバックショーケースの際に、
『VIXX』は兵役や契約更新の話題に初めて触れた。



ことばがぐさぐさと刺さる。

「一段一段成長するグループだ。1度で音源チャート1位になったこともない」

「その代わり、しっかりとアルバムの準備をしてきた。そうやって7年目を迎えた」

「今回が最後のアルバムになるかもしれないと思った。朝、グッとくるものがあった」


それをめちゃくちゃ突きつけてくるのはエネネンのガリガリの身体である。
8キロも落としたらしい。元から細いのに。
彼ならではのしなやかなパフォーマンスは、「儚い」を通り越したものを感じてしまう。
ただでさえガタイがいいの揃いのグループのなかで舞う、そんなエネネンは、
ちょっと見てはいけないものを見ているような気になる。





タイトル曲は『Scentist(香り)』。
フォーマルルックを基調としたお衣装が最高。



そして「アルバムの準備を~」と言っているだけあって、
リード曲『My Valentine』も含めて見ると表現の幅の広さを感じられる。素敵だ。



「軍隊に行くことは当然のことでしょう。自然な状況だ。僕が一番年上なので、最初に行くことになりそうだ」

なんか、ここまで直球でことばにされても、実はそんなに衝撃ではなくて、
ステージのうえのエネネンの姿のほうが、よりショッキングだったりする。




そしてそれは、私の大好きな「2012年デビュー組」が、
「そういう時期」であるということである。
けれど、それをまさかいま『VIXX』が口にするとは。


私、こんなに『VIXX』のことが好きだったんだなぁ、って実感する日々は、
これがなかなかしんどいものです。




今回のコンセプトはタイトル曲からお察し、「調香師」
けれど、いつものコンセプトゴリ推し系ではなくて、
わりとコンセンプトの輪郭はマイルドで、単純に、格好良いし、美しいし。



『Scentist』のミュージックビデオは、なるほど、いままでにはない感じ。


代わりにインパクトにはやや欠けるものの、先のインタビューである。
わかるよ、わかる。
いまの『VIXX』は「これ」なんだよね、わかったから。


ミュージックビデオやパフォーマンスより、「現実」というものの凄まじさを感じる。
そんなこんなで、作品がなかなか頭に入ってこない。


そういう圧を音楽番組で見かけてはしみじみと感じ、
ぼんやりと彼らに思いを馳せるのです。




"「コンセプトドル」といえば『VIXX』。"
そういった存在になっていたVIXXはカムバックに先立ち、
デビューから直近までのコンセプトの歴史を振り返るというビデオを公開した。



すごい、どんどん格好良く、美しくなっていっている…!


ファンとしては、完全に回顧モードに浸っては、
こんなにも成長を遂げた彼らを誇らしく思う。
だって、このあと昨年末の『桃源郷』のステージがバズって
IOC総会の開会式でパフォーマンスしたんだよ?ヤバイ。


けれど、今回カムバックしてからというものの、

「今回が最後のアルバムになるかもしれないと思った。朝、グッとくるものがあった」

ことことばが頭のなかがぐるぐるとまわっている。

勝手にふるえてろ

松岡茉優がすごすぎ。
たぶん、(私のなかの)菅田将暉と『あゝ、荒野』の関係性のように、
"いまの松岡茉優のマックス"はこれだろうなと思う、本当にすごかった。
そんなわけけでまったく同じことを言うとすれば、
「この作品に出会えた松岡茉優ってめちゃくちゃ幸運だなとも思いました。」。


まゆまゆ(この呼び方でごめんな!)は、声のバリエーションが豊富。
"避けられない事態"の前後では声の印象がまったく違う。
キンキンというよりかカンカンといった風の声だけれど、(伝われ)
とても柔らかくて穏やかであったり、カンカンがガンガンになるくらいうるさくてうざったかったりして、
声以外の演技といっしょくたになって「ヨシカ」というキャラクターの持つ、
ジェットコースターのような緩急におおいに影響があった思う。
この声質でこの幅!、っていうのは本当に佐江ヲタ的にはまじで羨ましい。




もはやすっかり若手俳優としてひっぱりだこの北村匠海(イチ)と、
凄まじい勢いで演技がうまくなっていっているような気がする渡辺大知(ニ)も、
石橋杏奈(くるみちゃん)をはじめ、中学校の同級生らのリアルな感じも、みんなみんな良かった。
そして片桐はいりさんをはじめ、脇を固める面々が豪華。




とっても映画を楽しんだ自分が、「おもしろかった~!」と満足している反面、
真顔でじっとどこかに目をやっている自分もいる。


以下は、たぶん"後者の自分"。




ヨシカは私だった。
私が自分を客観視しているときに観ている私だった。
だから感情移入とかまったくできない。


もっとわかるわかるーっつって、
物語が進むにつれ、ヨシカと自分の距離が近くなっていくものだと思っていた。
でも、ちがった。だめだった。


「ヨシカは私だった。」?ふざけんな。
むしろ私はヨシカになりたいんじゃないの?
だってヨシカはエンターテイメントのなかに住んでいて、しかも主役である。
そんなヨシカは自分の内側にあるものをぜんぶぶちまけても許されている。
だってみんなが喜ぶエンターテイメントになるんだもの。
おまけに物語だからハッピーなエンドだってある。
もうぐうの音も出ない。私だったとかどの口が言うの。


けれど、物語のなかのヨシカはハッピーなエンドのあとがまったく想像できないのだ。
それはまぎれもなく、私はヨシカではない証拠だし、
なにより、ヨシカをつくったひとたちは、きっとその先のヨシカのことは考えもしないんじゃないか。
ヨシカは作品の装置にすぎないのだから。
ヨシカが生まれた環境はきっとめちゃくちゃ明るくて健康的だ。
じゃなきゃヨシカがこんなに魅力的な主人公になるわけがないのだ。
だからちょっと傷つくのだ。


勝手にふるえてろ、松岡茉優が私に言ってきた。
あれは「ヨシカ」じゃない。
"「ヨシカ」を演じている松岡茉優"だった。




良質なエンターテイメント映画だけれど、
観るひとによってたぶんものすごく感じ方が違うであろう、踏み絵系映画です。
どうぞお気をつけて。