ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

美しいな、と思った。


冒頭、主人公が雑踏のなかを駆け抜けるシーンは最高に気持ちがいい。
スクリーンの中には人がたくさんいて、
みんなハグしたりキスしたり踊ったりしている。


近頃のコチラの世界では見ることがない世界がそこには広がっていて、
それがとても美しくて、単純にすごく羨ましくなってしまった。




作品によるのかもしれないけれど、
コロナと切り離して作品と接するということは、いまは無理みたい。
これが"withコロナの世界"なのだろうか。


映画泥棒の映像が新しくなっていた。
大型シネコンで映画を見たのは約5ヶ月弱ぶり。
駅には相変わらず人がいるけれどシネコンは時間が時間だったので空いていた。
みんながマスクをしていること以外は、あまり5ヶ月前と変わった気はしなかった。
けれどスクリーンに映ったものが、コロナ禍のイマというものを突きつけてくるようで、
美しいなと思う一方で、どうしてもウーーーーーっとなってしまった。




現在と過去を行ったり来たりしながら、
眩しいほどのハッピーのかけらを浴びると同時に波のようなしんどさにも覆われた。
けれどその覆いかぶさっていたはずのしんどさも映画が終わる頃にはすっと軽くなっていた。


なにをハッピーエンドと捉えるかはひとそれぞれだよなぁと思わせてくれた。
現代にもまだ健在する"女の幸せ"という定義のようなものの前に立ち続ける主人公・ジョー(シアーシャ・ローナン)は、
彼女自身が選んだ道でハッピーエンドを示してくれたと思う。
ちょっと水を差すことを言おうと思えば言うこともできなくもないけれど、
ひとりの人間として、そういうのは今回はいいやと思えた。


自分が自分で生きていきたいジョーだけれど、
周りが変化することが淋しくて悲しくて仕方がないのがもう本当にわかりすぎて胸が痛かった。


とりあえず私はまだイマをハッピーエンドにはしたくないので、
そのためにはまず目の前のことのひとつひとつに向き合うしかないなと思いました。
手洗い、マスク、3密回避。


本作の監督・グレタ・ガーウィグ氏はこの赤髪の女性だったのか。



ティモシー・シャラメの演じたローリーが最高すぎて、
世の若手イケメン俳優たちに演じてみてもらいたいと思った。
ローリー選手権やりません?とりあえず、吉沢亮あたりどない?


鑑賞後に公式ウェブサイトを見たら、
姉妹構成が私が思っていたのとてんでバラバラでびっくりした!
(ジョー・メグ・エイミー・ベスだと思い込んで観ていた)



このビジュアルを見たときはよくわからなかったのだけれど、
いまはとても「わかる」。




正直、外出してまでインプットするという行為が億劫になっていた。
それはとても贅沢な行為だということに気づかされている昨今であるのになぜなのだろうかと。


自己判断ということに関して自信がないことと、
単純にステイホームに慣れすぎてしまったというのもありそう。
あと、つねに気持ちに余裕がないというのはでかい。
芸術に触れることができるということは私にとってそのへんのバロメーターのようなものだ。
その気持ちの余裕のなさは、きっとコロナによる漠然とした不安がつねにあるということでしょう。


映画館が遠い存在になってしまったように感じていた。


それでも押し込むように映画館で映画を観る。
駆け込みだったけれど、久しぶりのシネコン映画鑑賞がこの作品で心からよかったと思う。
やっぱり美しいものを大スクリーンで観る時間というのは至福だった。