ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

ゴッズ・オウン・カントリー

「男性同士のラブストーリー」を観に来たつもりだったのに、
ぜんぜん違うところでめちゃくちゃ刺さってしまった。人生。



人生は美しいけどつらい。
人生はつらいけど美しい。



ぜんぜん美しくなかったの。
ラストだって、きっとハッピーエンドなんだろうけど、
憂鬱なトーンの画は終始さみしくてつめたくて。


あの雄大な景色は確かに美しいかもしれないけれど、
私にとってのあの景色は、"自分では太刀打ちできない圧倒的な力というものがある"、
ということへの絶望に直結してしまったから。


でもだからこそふたりのいる世界は美しいし、
ふたりが見ているものは美しいんだなっていうのを突き付けられた気がして、
その私が自分自身では見ることのできない、想像するしかできない美しい光みたいなものの存在が、より自分のなかで「美しい」ものになっていった。
美しいものは見ていないはずなのに、さも美しいものを見たかのようなその錯覚は、
ひとつの体験としていまの私にものすごく沁みた。




そしてすごく静かな映画だった。
だから自然の「音」が響き渡って、そして空に消えていく。


登場人物たちはことばより表情でしゃべる。
それらはとても雄弁だった。




『君の名前で僕を呼んで』(CMBYN)みたいに、
自分のなかの腐女子にズッキューンしたみたいなのはいっさいなかった。


本作で描かれていたのはCMBYNで描かれていたのような、
華やかで綺麗でまぶしくてたまらないというようなものではなかったから。
サングラスなんてしようもんなら視界が真っ暗になっちゃうようなどんよりとした閉塞感は、
人生とか生活とか仕事の厳しさやつらさから、目を背けることを許してはくれなかった。


でもなんだろ…あの出会って何秒的なからだの求め合い方って、
男女のラブストーリーにはあんまりないし、あってもなんだかなぁだし。
でも私はあれが好きなんですよ。
同性同士で描かれるラブストーリーって、あれが何よりいいって思う。


この映画でも、発情期もびっくりのハンパないエンジンのかかり方にはびっくりしたし、
「そのタイミングなんだ!?」ってめっちゃびっくりしたけど、
それこそそれってひとそれぞれだしなぁと。
ただたんに人肌が恋しいだけとかならぜんぜん不思議じゃないもんな。わかるもんな。


でも~~~!マイノリティと言われるゲイの主人公のほうがその場だけとはいえ、
私なんかより出会いが多すぎではというところはまじかよ!ってなった(まがお)
しかもSNSのない世界で!そしてしゅんとしてしまった。




で、いちばん自分でもびっくりしたのが、
しょっぱな、牧場で牛の世話してる様子が映っただけで涙がだばだば流れてきて。


もちろん人生って辛いよねって主人公の肩をたたきたくなる気持ちも大きいけれど、
そういった共感よりも先に"「牧場」という場所で働くこと"へのとてつもない衝撃があった。


牧場のシーンはもうずっと涙涙で。
日々ああやって言葉の通じない命(動物)と向き合って、
…というか「向き合う」っていうと綺麗事になっちゃうレベルの、
"それらの命で生活をする"ひとたちというのをまざまざと見せられて、
それがあまりにもいままで見てきた世界ではなくて、あまりにもショッキングだった。


映されているのは「尊い命」の瞬間には変わりないのだけれど、
その「尊い命」が生活に直結するひとたちの人生、生活。仕事。
そこには草、土、泥は当たり前にあるし、糞、体液、そして血、死がある。


死んで生まれてきた羊の赤ちゃんの毛を剥いで、
生きて生まれてきた羊の赤ちゃんに着せてあげる。
そういう世界を私は知らなかった。


あの一連の牧場の映し方、日本のエンターテイメントではまずないと思う。
正直、キツイなと思わなかったかといえばうそになる。
けれど、そこにある無骨な男ふたりのラブストーリーがあったからこそ、
ああいった家畜としての動物の命が映画に存在したのかもしれないとも思う。




本当にいい映画でした。


わたくし、いまだ平成でログアウトしたまま、令和にログインができておりません。
自分という人間のひとつのピースのような存在だったある喫茶店との別れのダメージがあまりに大きくて。


でも、映画ってすごいですね、すこしだけ元気が出た。
エンターテイメントの力、まだまだ信じたい。