ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

オーバー・フェンス

終演後、スクリーンを睨みつけていた。
それからしばらく、顔はこわばったままだった。


なかなか最寄りの映画館ではお目にかかれない東京テアトルさんの配給映画。
豪華キャスト、有名監督、有名原作(らしい)と、約束されたクオリティにもかかわらず、
作品をとりまくメディアの静けさ・小規模上映が不思議だった。
実際私がこの映画の存在を知ったのは、他の映画を観るために映画館に行ったときに、
ひっそりとトイレの近くの小さなスクリーンの入口にチラシが貼られていたからだ。
"オダギリジョー×蒼井優×山下敦弘(監督)"だなんて、観たいに決まっている。


でも、その理由は観たらわかった。
この作品は届くひとがきっと少ない。少なくとも私には届かなかった。


終始上から見下ろされている気分になった。それがカンに障った。
"そうじゃない"ひとが"そうじゃない"ひとに向けてつくっている。
"そうじゃなくない"私はそれにみじんも引っかからないので不快感しかなかった。
あるファンタジックな幸せのかたちを描いて悦に浸っている制作陣を想像してはうすら寒い気持ちになる。




すごく静けさの漂う映画だった。
けれど、低予算ながらしっかりと映し出す、映画のクオリティは高かった。


なかでもキャストは本当によかった。
このキリキリした気持ちは徹底したリアリティにある。
その大部分はキャストの達者な演技が産み出したものだと思う。
予算のほとんどはキャストにつかわれたのではないだろうか。


オダギリジョーはやっぱりうまい。しっかりと華を消していた。
情けなくて不格好なオダギリジョー、最高でした。
蒼井優もうまいのだけれどもっと嫌味のない演技ができないものか。でも許容範囲。
松田翔太、個人的にちょっと苦手な俳優さんなのだけれど、今回の役はすごくハマっていた。
他にも、大河ドラマ並みの豪華キャストが魅せた。


だからこそ、残酷だった。


カットのかかったあとの現場は、きっと作品の雰囲気とは真逆だろう。
そんなことを感じては虚しくなった。




こんなに感じ入るところがなく、ただただもやもやするだけということもなかなかない。
それだけ完成度が高かったということなのだ。


ものの見事に私は負けた。
フルボッコのKO負けである。




登場人物のそれぞれの背景の描き方が絶妙で、
それらはこちらがふだんひとと接するときにわかる情報量のそれとあまり変わりなく感じた。
それがいっそうリアリティを生み、キャラクターの人生を感じとることができた。


そういったこともあり、本作は自分以外の他人の人生にぼうっと思いを馳せるきっかけをつくってくれたような気がする。
自分のことばかりしか考えない私に新たな視点をくれたことはありがたく受け取っておく。