ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

i-新聞記者ドキュメント-




私がこの映画の存在を知ったのは、
たまたま見た劇場のウェブサイトに上映中の作品として載っていたからだ。
それまでまったく知らなかった。
ただでさえ自分のアンテナが鈍っている、にしても知らなかった。



数日後、予告映像にも登場している伊藤詩織さんが勝訴した。
そして昨日、韓国の前法相チョ・グク氏に韓国検察が「職権乱用」の疑いで逮捕状を請求した。



職権乱用…はて、我が国の首相は?



その流れで、私は「不逮捕特権」ということばを知った。

不逮捕特権とは、憲法上、国会議員は原則として国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならないという特権。ここでいう「逮捕」は刑事訴訟法上の「逮捕」よりも広い意味であり行政措置上の身柄の拘束まで広く含む。

不逮捕特権 - Wikipedia


マスコミはもはやご存知、いまや警察も当然のごとく政治権力に支配されているこの現状。
気づいたら自分もそんな権力に囲われていたという…


私が選挙権を持ったとき、私は自分の住む国のことなんて考える余地はなかった。
毎日毎日、自分のことで精いっぱい。
でもいまは、私が選挙権を持った時期よりSNSなどが普及していて、
当時よりその世代は政治に触れる機会もあるのでは、と思うのだけれど、どうだろう。
まったく触れることがないのと、ほんのちょこっと見かける程度でも雲泥の差だと思う。




話は冒頭に戻るけれど、私はこの作品を知らなかった。
ああ、またか、と思った。
『主戦場』『新聞記者』のときと同じだ。
そういうことだ。
けれどいまの日本でこの作品が公開されるということ自体、
韓国のドキュメンタリー映画『共犯者たち』を観たときは想像もできなかった。
本当にすごいことだと思う。


監督は日本のドキュメンタリー映画といえば、の森達也。
そして、なんとプロデューサーは映画『新聞記者』も手掛けた河村光庸というひとであった。
なるほど、だから先に公開された『新聞記者』をリードのように扱えるのか。


最近は寒暖の差が激しく、体調も気分もすぐれなかった。
けれど、これは「いま」観るべきタイミングなんだなと感じた。
偶然なのか、必然なのか、自分の周りの動きもこの映画に向いていた。
それに引っ張られるかのように劇場に足を運んだ。





東京新聞社会部記者・望月衣塑子(いそこ)氏。
文字通りこの作品の主人公である。
そして映画『新聞記者』の原案の著者でもあり、劇中にも実際に本人役で登場している。


本作での望月記者はとても熱く、激しく、躍動していた。
そして彼女が「なぜ」「どうして」を向けるひとたちは、総じて生気がないように見えた。
人形のようだった。感情が見えない。人間のはずなのに。
役者が演じているわけではない。ドキュメンタリーなのだから。
それなのに、メディアで見かけるあのひともこのひともまるで何かを演じているかのようであった。


そのひとたちは物語の「主人公」という役割を与えられた望月記者との対比でそういう風に映ったのかもしれない。
「主人公」が主軸になる世界で相対する登場人物は意図せず「敵」になってしまう。
物語が進むにつれ、望月記者と同じく「なぜ」「どうして」という感情が、
私自身のなかからどんどんあふれ出てくるのがわかった。
そしてそこには敵意を向けるざるを得ない相手がいるのだ。
これは望月記者の物語ではあったけれど、私の物語でもあるということに気がついた。
望月記者と私は何もかも違うけれど、日本という国に住み、生活している点は同じである。
接点はそれだけでもじゅうぶんだった。


こうして普段はあまり感じることのない「権力」というものを、
こうしてしっかりと見せつけられてしまうともうなんか…
自分もこの権力の支配下にいるという「実感」でぶん殴られた感じだ。



どうしてこうなった?
何がいけなかった?
あのひとは本当に悪者なのか?



みんなただ毎日こうして生活しているだけなのに。
どこからか、何かがきっと間違った。
「絶対に正しい」なんていうことはこの世には存在しないけれど、いまこの現状が間違っているということはわかる。
その間違っている世界は私の生きる世界であった。
もはや選挙というものが公平に行われているのかということもあやしいとまで思える。
権力はどこまで及んでいるのか、計り知れない。ぞっとする。


でもきっと私は明日には自分がそんな世界に存在していることを忘れるだろう。
だっていまだって、毎日、自分のことで精いっぱいだもの。
でもこうした作品に触れたことで、いつだってその世界にいることは思い出せる。
ジャーナリズムと創作、報道の自由、表現の自由。
だからこそ多くのひとにこの作品が伝わってほしいと願う。




『フジファブリック』の志村がこの世を去ってちょうど10年になるそうだ。
彼は突然ふっと消えてしまったような感じでいまだに実感がない。
けれどツイッターのトレンド欄に「フジファブリック」があることはそういうことだろう。



10年、か。なぁ志村。
だってぜんぶ繋がっているから。
今日はとても晴れた日だった。