ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

勝手にふるえてろ

松岡茉優がすごすぎ。
たぶん、(私のなかの)菅田将暉と『あゝ、荒野』の関係性のように、
"いまの松岡茉優のマックス"はこれだろうなと思う、本当にすごかった。
そんなわけけでまったく同じことを言うとすれば、
「この作品に出会えた松岡茉優ってめちゃくちゃ幸運だなとも思いました。」。


まゆまゆ(この呼び方でごめんな!)は、声のバリエーションが豊富。
"避けられない事態"の前後では声の印象がまったく違う。
キンキンというよりかカンカンといった風の声だけれど、(伝われ)
とても柔らかくて穏やかであったり、カンカンがガンガンになるくらいうるさくてうざったかったりして、
声以外の演技といっしょくたになって「ヨシカ」というキャラクターの持つ、
ジェットコースターのような緩急におおいに影響があった思う。
この声質でこの幅!、っていうのは本当に佐江ヲタ的にはまじで羨ましい。




もはやすっかり若手俳優としてひっぱりだこの北村匠海(イチ)と、
凄まじい勢いで演技がうまくなっていっているような気がする渡辺大知(ニ)も、
石橋杏奈(くるみちゃん)をはじめ、中学校の同級生らのリアルな感じも、みんな良かった。
そして片桐はいりさんをはじめ、脇を固める面々が豪華。




とっても映画を楽しんだ自分が、「おもしろかった~!」と満足している反面、
真顔でじっとどこかに目をやっている自分もいる。


以下は、たぶん"後者の自分"。




ヨシカは私だった。
私が自分を客観視しているときに観ている私だった。
だから感情移入とかまったくできない。


もっとわかるわかるーっつって、
物語が進むにつれ、ヨシカと自分の距離が近くなっていくものだと思っていた。
でも、ちがった。だめだった。


「ヨシカは私だった。」?ふざけんな。
むしろ私はヨシカになりたいんじゃないの?
だってヨシカはエンターテイメントのなかに住んでいて、しかも主役である。
そんなヨシカは自分の内側にあるものをぜんぶぶちまけても許されている。
だってみんなが喜ぶエンターテイメントになるんだもの。
おまけに物語だからハッピーなエンドだってある。
もうぐうの音も出ない。私だったとかどの口が言うの。


けれど、物語のなかのヨシカはハッピーなエンドのあとがまったく想像できないのだ。
それはまぎれもなく、私はヨシカではない証拠だし、
なにより、ヨシカをつくったひとたちは、きっとその先のヨシカのことは考えもしないんじゃないか。
ヨシカは作品の装置にすぎないのだから。
ヨシカが生まれた環境はきっとめちゃくちゃ明るくて健康的だ。
じゃなきゃヨシカがこんなに魅力的な主人公になるわけがないのだ。
だからちょっと傷つくのだ。


勝手にふるえてろ、松岡茉優が私に言ってきた。
あれは「ヨシカ」じゃない。
"「ヨシカ」を演じている松岡茉優"だった。




良質なエンターテイメント映画だけれど、
観るひとによってたぶんものすごく感じ方が違うであろう、踏み絵系映画です。
どうぞお気をつけて。