ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

君の名は。

モーニング娘。’16』の『愛の軍団』のパフォーマンスを楽しみに、
ゆるりと『ミュージックステーション』を見ていたら、
なんと『RADWIMPS』が出演するというではないか。初めての音楽番組出演だそう。驚き~。
そんなラッドが主題歌含む音楽を担当したとのことで、私は本作の存在を知ることとなった。(遅い。)


聞けば"あの"新海誠によるアニメーション映画であるという。(遅い。)
その音楽をラッドが引き受けたという経緯にはとても興味がある。




私のなかで新海誠といえば、『秒速5センチメートル』という作品が思い浮かぶ。
そのタイミングで「新海誠」という人物名が日本のアニメーション史に深く名を刻んでいることを知った。
それ以前の作品も、以後の作品もタイトル名をなんとなく聞いたことがある程度。
と、いうか、ぶっちゃけ『秒速~』すらも、私は見ていない。
テレビ放送された際も、なんとなくテレビの前でじっと座って見ることがキツく、すぐに視聴をやめてしまった。
けれど、それはある意味あたっていた。
本作『君の名は。』は、映画館で、しっかりとスクリーンに向き合うことで、感じ入るものが多い作品だと思ったから。




本作のメインビジュアルはこれまたなんとなく映画館のチラシラックにあったかな?、という程度の印象しかない。
チラシを持ち帰らなかったのはそれが新海誠作品のものだということはまったく知らず、
「たかがアニメ」とスルーしていたからだ。
だけど、「たかがアニメ」は「されどアニメ」だった。






※事前情報なしでの鑑賞をおすすめいたしますので、
 たまたまこちらにたどり着いてしまった方は、以下、自己責任でお願いいたします。






私は観たんだよ、『君の名は。』を。


それを忘れたくない。


そんな映画。




寝ること、夢を見ること。記憶すること。
そして、そしてそれを忘れること。


誰もが持つ人間の習性をアニメーションならではのパラレルワールドを用いて描いた快作。




なんなら、実写作品でもじゅうぶんできたと思う。
アニメーション作品としても想像どおりだったというようなことも思わないことはなかった。


けれどその「アニメーション」に託した力が見事に炸裂していて、
実写作品ではなくアニメーションじゃなきゃいけなかった意思のようなものがしっかりと伝わってきた。
制作者は「アニメーション」が本当に心から好きなのだろうし、
「アニメーション」の力をとても信じているのがよくわかった。


そんなアニメーションはさすが"新海誠印"に違わぬ素晴らしい出来だった。
映像自体の美しさはもちろんのこと、きめ細かいかゆいところに手が届くかのような繊細な仕事は日本人のそれならでは。
『シン・ゴジラ』『トーキョーショー』など、立て続けに日本のクリエイティブの可能性をしっかりと感じさせてもらえる2016年の夏であります。


アニメアニメしたキャラクターのタッチが最初はどうも受け入れ難かったのが難点。
もうちょっとデザインでどうにかならなかったのか、はたまたそれも狙いなのか。




鑑賞中は紛れもなく私は映画のなかにいた。
キャッチーな設定ながら展開やカット割りの懐柔が見事で飽きさせず、
物語に絡みついたこちらが振り回されるような、思わず身を前に乗り出したくなるような感覚だった。
コミカルな前半のテイストから徐々にシリアスになっていく様子には固唾を飲んだ。


感情移入するとか、そういう類のものではなかった。
ただただ、目の前で繰り広げられている物事を明らかに遠巻きに眺めることで自らを省みる、
自分自身の実生活を見つめることを喚起させるとても意義深い時間だった。




主人公のひとり・瀧の声を演じた神木隆之介、すっごいよかったよ!!!!!
神木くんて、なんでもかんでも神木くんありきの役柄ばっかりだったから、
また神木神木した主人公なんだろ~?って思ったら全然違った!!!!!
神木くんじゃなかった!!!!!しっかりと神木隆之介は影をひそめていた!!!!!
こんなにうまかったのか神木くん!!!!!
二次元作品・実写化作品の便利屋化している神木くんがここまで己を消す作業ができるのかと驚いた。
これもアニメーションならではなのだろうか。


対してもうひとりの主人公・三葉を演じた上白石萌音ちゃんのほうは、技量不足感が否めず。
神木くんがハマった!、っていうのと比べちゃうと、うーん。。まぁ難しいよねっていう。。




RADWIMPS』の「声」がうるさくて、煩わしいことこのうえなかった。
(ファンの方、本当にスミマセン!)
音楽は良かったと思う。きめ細かい音が新海監督の描く質感に合っていた。
だけど歌声がガンガンに聴こえてくると、画が歌唱に負けてしまう。
ラッドのミュージックビデオになってしまっていた。
ラッドが音楽を手がけたことが鑑賞のきっかけなだけ(個人的に)皮肉なもの。


ラッドは私が邦楽ロックを聴いていた頃のひとつ下の世代のバンドというイメージがある。
個人的にアイタタタ~な楽曲名もそうだけれど(好きな方、スミマセン!)、そんな自分のバッググラウンドもあってか、
映画のなかでこうも大々的に主張されると恥ずかしくなってしまうのでした。




夢を見たあと、なぜかその夢のことはすぐに忘れてしまう。
でも私個人は実生活で「あ、これ夢で見た」ということがとっても多い。


かの湯婆婆が言っていた。「忘れたんじゃなくて思い出せないだけ」。
こうしているあいだにどんどん私は映画のことを忘れていっている。夢を忘れるかのように。
私はこの映画を忘れないためにいま必死でキーを叩いている。