※以下、あくまでいちファンの憶測の部分もおおいにありますので、
ことばの語尾に「~っぽい」ということばをつけていただければと思います。
「ジャニーズJr.」で現在、最推されユニットである『Mr.KING』。
そのなかでも最近は(顔も身体も)成長著しい永瀬廉くん(れんれん)が、
プライベートで利用していたと思われるインスタグラムのアカウントが流出した。
私が見たのはたった一枚の写真だけ。
『ジャニーズWEST』のメンバーや「関西ジャニーズJr.」らとの集合写真に、
「れんれんはまだ関ジュを愛してるんや!!!!!」、と、
れんれんのことも関ジュもよく知らないくせに大興奮してしまい、
個人的にすごく嬉しくなった。
そこからジャニヲタ名探偵が暗躍した。
なんとれんれんのアカウントから、芋づる式に他のジャニーズJr.のプライベートアカウントが続々と発見されたのだ。
挙げ句の果てに彼らは48グループ系を中心に女子アイドルのプライベートアカウントとも繋がりを持っていることも発覚。
コメント欄で仲良く交流をしているではないか。青春だ。
(過去にもこういった事例はたびたびあった)
私は「アイドル」に何か起こるたびにドラマ『武道館』を思い出す。
主人公・愛子のことばを思い出す。
「歌うことが好きで、踊ることが好きで、どうして人を好きになっちゃいけないの?」
その問いの罪深さに、今でも打ちのめされる。
『武道館』を見終えたあと、
そこに至るまでの主人公・愛子の「生活」=「人生」のかけらを見てきたこちら側は、
その問いに堂々と反論することができない。
と、ひるんでしまったくらいだ。
そのフレーズは、「~で、どうしてインスタやっちゃいけないの?」とか、
「~で、どうしてSNSで異性アイドルと繋がっちゃいけないの?」とかにも応用できるのだ。
今回のSNSの流出を通して垣間見えたのは、
まさにアイドルの「生活」=「人生」のかけらなんだ。
彼らにとって「アイドル」は「仕事」。そんなことはわかっている。
けれど、「生活」を見せられることでざわざわした気持ちになるのは、
彼らが「アイドル」だからゆえなんだ。
今回の流出でいちばん衝撃的だったのは、
あるジャニーズJr.がファンのことを「ジャニオタ」呼ばわりしてることだった。
これにはかなりドン引きしてしまった。
『A.B.C-Z』の河合郁人くんが"自称・ジャニヲタ"として「ジャニオタ」ということばに愛を込めて使っているそれとはまったく逆の意だった(ように感じた)。
そして、驚くのが、流出したプライベートアカウントはいずれもオープンな状態だったこと。
一般人の自分ですら怖くてこそこそツイッターやってるっていうのに。
これらを受けて、彼らには"「アイドル」である「自覚」がない"というよりは、
"「アイドル」である「感覚」があまりない"のかもしれないとも思ったりした。
今回流出したアイドルはジャニーズJr.や多くの非選抜の48Gメンバーが主。
彼らは見る側によっては一般人と芸能人のあいだにいるような不安定な立ち位置にいる。
「アイドル」としての「実感」があまりないのだろう。
だからファンのことをうざがるように「ジャニオタ」呼ばわりする(ひともいる)。
だからSNSもこちらを煽るかのようにオープンな状態で開設する。
「ファン」という光が、見えていないのでは。
または、それが見えているにも関わらず、感じられていないのでは。
ファンはアイドルのことなんてきっとこれっぽちもわかっちゃいないんだろうけれど、
それ以上にアイドルも、アイドルである「実感」がなければ「ファン」の存在もわからないのではないか。
「アイドル」なのか、そうでないのかよくわからないようなポジションになったがゆえに、
迷える次世代のアイドルたちが声をあげている、そんな破片を見てしまったのかもしれない。
彼らだって、きっと"アイドルの夜明け"を待っているんだ。
そのときに見える光景に「ファン」として在りたいと思う。