ミーハーでごめんね

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I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

スポットライト 世紀のスクープ

地味。本当に地味。


誰だよ、『世紀のスクープ』なんつーサブタイトルつけたヤツは!!!!!!!


もう少し作品のパワーを信頼してやれよ(涙)、
と、思わせるほどいぶし銀な内容とミスマッチだったサブタイトルだけど、
日本の配給社もこのままじゃ「地味すぎる」と感じたのでしょうね。
そのくらい地味すぎる映画でもあった。


あまりの地味さに、序盤から「これは観るのに根気が必要な映画かも」という予想は的中。
作中で描かれる作業同様に観る方もなかなか根気が要った。




映画としては地味だったけれど、個人的に普段から「報道」を囲む空気に対して思っていることがあって。
それは"報道に関わるひとの周りはごく静かである"ということ。
本作はそれがよく描かれていて、なんだかすごく腑に落ちる感じがしました。


足を運んで書いての繰り返しで大きな権力の悪を暴く姿はいまの報道の在り方を考えさせるほどの説得力がありました。
「これがアカデミー賞…!?」感はないといったら嘘になるけれど、
「報道」という「表現」の在り方を極めて冷静に作品にしたという点では合点がいく。
なるほどなぁ、と。




劇中では人物の名前が容赦なく飛び交いまくって大混乱。
その点では私はかなり早いうちに頭のスイッチを切りました(笑)ついていけない(笑)
けれど、事件のウラをとるにはこれよりももっと多くのひとの名前が飛び交っていたはずなんですよねぇ。
悪者を「個人」にせず、「システム」へメスを入れた点では、スポットの当たっていた報道チームの「忍耐」の底力を見ることができた気がします。


生々しさのようなものは皆無。
「事件」が「情報」として処理されていく様子に、マスコミもある種の専門職であることがよく描かれていたと思う。
ふだんから「マスコミの仕事はどっかが麻痺してないと務まらない」と思ってただけに、それを裏付けていたような気がしました。


"事件の「加害者」"の描写がいっさいなかったのは凄いと思いました。
メインで映されていたのは報道チームの「仕事」。
そんな徹底っぷりが映画の存在感に一役買っているのでは。


作中の「事件」の内容である"「弱者」に対する「暴力」"は、
先日鑑賞した『ルーム』に通ずるところ。
『ルーム』を観ていたことから、身近な恐怖であるそれの想像を引き出しました。
でも、それも"やっと"なんですよねぇ。
個人的にはもうちょっと事件と対峙する記者たちの胸中をもう少し知りたかった。
そういったものはほとんど排されていました。


と、良くも悪くも過剰に脚色したところがないので、
エンターテイメントとしては渋すぎて、とても「楽しむ」という感じではなかったです。
でも、こういう映画も必要。絶対に。




役者さんもみんな上手でリアリティーがありました。
ウォルターを演じたマイケル・キートンは『バードマン』のお方なのですね!
同じひととはまったく気が付かず。
イイ意味でキャストの装いも地味めでそれがまた良かったのかもしれません。




事件も含めて事実を基にししたストーリーだそう。
きっかけは、新聞社に新しくやってきた編集局長・バロンの「指示」だった。
バロンの観点がなければ、「事件」そのものが闇に葬られていたものだと思うと恐ろしい。
同時にそういったひとりの人間のひっかかりというものの大事さを実感しました。


カトリック教会とか、馴染みがないのでいまいち事件そのものや『世紀のスクープ』というサブタイトルのフレーズにピンとこなかったのだけれど、
日本にも数多くある「タブー」に迫っていく登場人物たちの姿は、きっと他人事ではない。