ミーハーでごめんね

ヲタク気質のミーハーの忘備録。ネタバレ要注意。月別アーカイブを見られるようにしました。

花椿 12月号(813号)

資生堂が発行する月刊誌『花椿』がついに最終号をむかえた。




いつものように化粧品売り場の資生堂コーナーで花椿を手に取った。
いつものようにパラパラと歩きながらながめ、最後の森村泰昌の連載ページにて飛びこんできた一文で目が冴えた。

「では、失敬。」

最後に綴られたことばは、かの太宰治のことばった。


花椿が(月刊誌として)終りを迎えることは何カ月か前に情報を得ていたけれど、
まさかいま手にとったモノがソレだとは思ってもみず、びっくりした。
休刊することなんて「忘れていた」という表現が一番しっくりくる。






クリエイターは嘘を平気でつく。


それが皆のためだから。
最終号の『花椿』も、例に漏れずちょっとくすぐったかった。


けれど嘘をつかないクリエイターもいた。
アラーキーと呼ばれる写真家・荒木経惟もそのひとりであろう。


穂村弘の対談(インタビュー)連載でゲストのポートレートを担当していたアラーキーが、
最終号で自らがゲストとなり、インタビューされている。


私はあまりメディアのインタビューには興味がないのだけれど、花椿のインタビューはものすごく信頼ができる。
資生堂という巨大組織におけるクリエイティブの在り方はプライドのかかったものだからだ。


アラーキーのインタビューだけは「本物」だと思った。


"人間の「老い」"を"クリエイターの「成長」"と捉える、ごく自然に。
そんなスタイルがほんとうにたくましく、眩しい。


また穂村さんの毎号に渡って繰り広げられていた自然体な問いかけもお見事で、
長くないながらも、トップクリエイターである"アラーキーのイマ"を垣間見たような気がする。


もちろん写真はアラーキーによるセルフポートレイト。


アラーキーの金言を『花椿』にてどうぞご覧ください。
いまならまだ間に合う。






私は、"仲條正義の手掛ける『花椿』"の大ファンだった。
「A4見開き」なんていう決められた寸法をぶっ壊すアートディレクションには毎号しびれていた。
決してそれらは「美しいデザイン」とは限らなかったが、
クリエイティブにおける気概を感じる紙面からはいつも勇気や希望をもらっていた。
仲條さん自身が切り張りを駆使してつくりあげているラフを見たことも衝撃的だった。


資生堂が発信する花椿はとにかく「最先端」であることが使命でもあったように思う。
仲條さんの激しいディレクションとそれは毎号毎号、すさまじい熱量を放っていて、いつ見ても興奮した。


そんなものが本屋で見かければたった100円で購入でき、
化粧品売り場においては無料で置かれているのだから驚きである。




そんな大ファンだったにも関わらず、ふとした環境の変化によって私は『花椿』を離れていた時期がある。
そしてそのあいだにアートディレクターが変わっていた。


仲條さんの手を離れた『花椿』は、私の好きだったものではなくなっていた。


一応ひとりのアートディレクターが束ねているものの、
なんとも俗っぽい、あまり気持ちのいいものではなくなっていた。


けれど、手軽に手に入るというには高すぎるクオリティは魅力的で、
見かけたら持ち帰ることは必須だった。
冊子をめくっている間は現実世界を忘れることができた。


そんな『花椿』も世の廃刊する雑誌と同様に、
主にインターネットなどの煽りを受け、「最終号」となった。




アートやモードはサブカルチャーに取って代わられるようになった風に感じられる。
時代の移ろいとともに『花椿』は媒体を変え、いったいこれからどのような姿を見せてくれるのか。
また、紙媒体で季刊誌として発行する予定があるそうだ。楽しみにしていたい。


最終号ではひさびざに仲條さんのアートワークも堪能できる。
いつまで店頭に並ぶのかわからないのでおはやめに。