ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

f(Sulli)

"f(x)のソルリ"は本当に魅力的だった。


今回の一連の動きで思ったのは、いかに私が"ソルリにf(x)を夢見ていたか"である。


彼女は私のなかで大切なf(x)の象徴のひとつだったんだなぁとしみじみと実感している。
個人的には思った以上に、いかに彼女に『f(x)』という判を押しつけてしまっていたことか、と反省するくらいである。


今日ある"f(x)の「個性」"は鋭利な音楽とビジュアルのコンセプトが産み出した部分が大きいと思う。
きっとリアルの彼女は世間の望むその偶像とは違ったんだろうな。


ドキュメンタリー映画『I AM.』を見たときに、まだソルリを認識していなかった私は、
「あの子はなんであんなに似合わない衣装を着ているのだろう?」と感じたのを思い出した。




ソルリと同じくアンニュイ・マンネ組のクリスタルは、
ファンの前では無愛想だけれど、"ディレクションされること"を楽しんでいるような気がする。
「ソルリが"ディレクションされること"を楽しんでいない」というわけではなくて、
ソルリは「なんかよくわかんないけどやってみてっていうから~^^」みたいなノリなのでは、と勝手に想像する。(あ~かわいい)


そこがふたりの全然違うところのうちのひとつだと思う。




そんなふたりがとても愛おしかった。




f(x)は「アイドル」。どんなにとんがっていても「アイドル」。
アイドルに「アイドルらしい姿勢」を望むのが、俗に言う「普通」。


けれど、ソルリにはそれが窮屈になってしまったのだろう。


世間は窮屈がってはみだす彼女に罵声をあびせた。
その奔放さを受けとめるほどの土台が、f(x)にはまだなかったのだろう。


逆にいうと、中堅どころとも言われてもいいはずの実績を持つ『f(x)』というグループが、
いかに「不安定」だったのかが露呈されてしまったのかもしれない。
そして、皮肉にもその不安定感がグループの魅力のひとつでもあったのではないか。
私も含め、その不安定な「儚さ」に惹かれていたひとも多いのではないか。




私は"5人のf(x)"が好きだった。
だからソルリが去ってしまったことはとても残念に思っている。
けれど、彼女自身が"f(x)のソルリ"であることが「苦痛」であったのならと思うとゾッとする。


彼女だって「ソルリ」である前に、「ひとり女の子」なのだ。


"少女が女性になる過程"を見せつけられたような気もする。
外見や内面の成長だけではなく、自立した「大人」への成長。
それはそれでドキドキしたし、ヒリヒリもした。
その瞬間はどれもまぎれもなく美しかった。




ソルリにも"f(x)であったことが幸せだった時期"は長らくあったはず。



その事実だけで胸がいっぱいになる。
去ってもなお、そんな存在なのだ。