ひさびさの個展鑑賞。
見ごたえじゅうぶん、おなかいっぱいです。
石田徹也さんといえば、31歳という若さでこの世を去ったというのが衝撃的で。
生前のご本人をメディアでさえも見たことはありませんが、作品だけは知っていました。
もちろんこちら、『飛べなくなった人』も展示されていました。
このひとは、「強いひと」だったんだなぁ。
自らが描いたショッキングな絵画たち。
夢に出てきそうなそれらに囲まれるだなんて。
そしてそれは作家自身のアイディアノートにも記されているとおり。
わたしが不安感にこだわる理由は、現実を見えるようにするためです。
単純に、絵がうまい。
「何を当たり前のことを(笑)」と思われるかもしれませんが、これがなかなかこういう風にスッと思える作家さんには出会えない。
きめ細やかや描写に関わらず、アニメーション的なそれが思い浮かぶのは、
とても精密に描かれている情景に反して、ぼうっと描かれている人物の影響なのかな。
展示のキャプションの説明のとおり、展示が進むにつれ、人物はだんだんと石田さんに似ていきます。
そんな人物の目は皆虚ろ。
焦点が定まっておらず、無気力なそれらはどこか悲しげに見えてしまいます。
だからどんどん見ていてしんどくなっていく。
ああ、強くないと、いられない。
けれど、不思議と悲しくならないのは、どの作品も画面構成が秀逸で、センスの良さを感じるから。
そしてそのほとんどが平面作品であったにも関わらず、この満足感。
キャッチーでインパクトがある作風だけれど、理由はそれだけではありません。
たくさんの展示作品たちが醸し出すオーラのようなものは、どっしりとした重厚感を感じさせます。
あと、想像以上にひとつひとつの作品が大きい!!!
(もちろん小さいサイズの作品もあったけれど)大きさには本当に驚きました。
だからこそ当たり前によりディティールがよく見える。
そしてその作品のダイナミックさと描かれている繊細な仕事ぶりのコントラストが、
作品の魅力のひとつになっていると思います。
は〜〜〜疲れた。
いやしかし、"良い作品と対峙できた"、心地良い疲れです。
充実した時間を過ごすことができました。
ただ、個人的には"アイディアノート"の展示は不必要だったかなぁ。
説明過多のように感じられました。
もっと作品自体のパワーを直に受けとめたかったです。
でもそうしたらこちらの消耗も倍増するのかな(笑)
しっかし平塚市美術館はこんな神奈川県の片田舎に限らず、本当に良い展覧会を定期的に行っていて感心。
1996年には、当時新進気鋭だった村上隆、奈良美智らによるグループ展『TOKYO POP』展を開催しています。
きっと優秀なキュレーターがいらっしゃるのでしょうね〜。