ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

ナンシー関のいた17年

ナンシー関の作品を"ちゃんと(私比)見た"のは初めて。
制作過程を映し出すこととナレーションを用いて、
その世に出されたその消しゴム版画・批評にナンシー関の手のぬくもりを感じ取ることができました。


ドラマとしてはかな~~~り地味。
それでも退屈しなかったのは彼女の産み出した作品がイキイキと随所にちりばめられていたからかもしれません。




ナンシー関を演じた「安藤なつ」さんという方を、私は全然知らないのです。
(聞けばなんと安藤なつさんはお笑いコンビ『メイプル超合金』のメンバーだそう)
そのせいもあり、リアルタイムで見たことのない「ナンシー関」という人物を、
このドラマを通して私個人のなかで自分なりに築くことができました。
(はっ!!!もしかして劇中に「あんドーナツ」が出てきたのって「安藤なつ」さんとかけてる!!??)


また、ナンシー関以外の登場人物の存在や彼女に関わってきたひとびとの証言VTRから、
ナンシー関」像が浮かび上がってくる、不思議なドラマでした。




安藤なつさんのぶっきらぼうな演技が微笑ましかったです。
ただ体型のわりに(ほんとうにスミマセン!)あんまりどっしりぎっしり感がなくて不思議な感じがしました。
これが演技なのか素なのか、私は本物の「ナンシー関」を知らないのでわからない。


印象的だったのは、その巨体を少しかがめるその背中。
彼女が大好きなテレビを見るとき、一心不乱に消しゴム版画を彫るとき、
ひとつの「モノ」が「作品」になる過程はとても派手とは言えないけれど、
ナンシー関というひとがなにもないところにその独自の手法で息吹を与える様子が伺い知れました。


静かな日常(仕事)風景。
ナンシー関はそのなかで本当に「テレビ」を楽しんでいた。
彼女によって切り取られた「テレビ」の情景はクールだけれどユーモアもあふれていて、
その作品からはナンシー関のクリエイターとしての覚悟がしかと伝わってきました。




私がいま「エンターテイメント」としておもしろがっている分野に、
ナンシー関だったらその鋭い視線でどのようにしてそれらに接するのか。


まだ早い時期にエンタメの「現場」の熱狂を「信仰」だと表現したのが凄い。
そして、"「現場」ルポ"を遠のき、いっそう「テレビ」を彼女にとって身近にしたものが、単なる視力の弱さだったとは。
(いや、それも立派なストレスなんだけど)




「テレビ」は生きているものがゆえ「変化」するもの。
没後12年、ナンシー関は、いまの「テレビ」をどう批評するのだろう。