ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

だから私は推しました

すごいドラマでした。


"地下アイドルと女ヲタの話"っていったら、
まぁちょっとおもしろそうだなって思うじゃないですか。
それだけでもすでに掴みはオッケーなんですけど。


攻めてるNHKの夜ドラ、
前シーズンは『腐女子、うっかりゲイに告(コク)る。』の枠。


本作はあらゆる面でクオリティが本当にすごかった。




"地下アイドルと女ヲタの話"ではあるけれど、
ドラマの大枠に漂うそれが終始ひんやりとしたミステリータッチであること。
「推す」と「押す」ってな。
これがこちらの想像していた"地下アイドルと女ヲタの話"をいい意味で最初から覆します。


で、最終回で見事にそれらは回収されます。
ラストはそれまでの濃度や密度に対してこざっぱりしていたのがとてもよかった。



「私の鍵閉めは愛さんしかいないじゃないですか!」



ずっといた取調室で。
愛が着ていたパーカーはハナのだったんだね。
愛はハナ、そしてサニサイの最後のステージをその目で見ることはできなかったけれど、
愛が持っていたラストライブのチケットはハナによってちぎられた。
もうこれがそれだよな、ディス・イズ・イット。




私のアイドルファンデビューはいまでも5ちゃんねるでは「地下アイドル板」といわれるところにスレッドが立つ『AKB48』だったけれど、
それでも「地下アイドル」のことはあんまり知らないです。
アイドルファンなので、まったく知らないわけではないけど程度。
(でもこれも「メディア」から発信される「情報」を知っているだけなので"知ってる"というと語弊があると思う。)


でもそんな程度の私でも、いろいろリアルだな~って思って、
いちアイドルファンとしては毎回「わかる~」とか「それは知らなかった」と、おもしろく視聴していました。
女ヲタである愛(桜井ユキ)が推し・ハナ(白石聖)のためにとチャットレディの仕事でお金を稼ぐのとかすごいあーこれ…って思ったし、
お互いの距離が近すぎるあまり推しがウソついてるんじゃないかとか…あー…みたいな。


「アイドルとファンの関係」というより「人間関係」になっていって…
そうなってくると私だったらキツイ。
「アイドルとファンの関係」でいたいもん、一方通行がいい、趣味だから。
私はアイドルには「人間関係」みたいなものとは別の次元に存在していてほしいから…
そういった部分はやや違う界隈であれど同じアイドルファンとしては揺さぶられました。


けれどこのドラマは「人間関係」を描きます。
「人間」がつくりだす「人間関係」があってはじめて「物語」ができるということを鮮やかに描きます。それが「ドラマ」です。


その「ドラマ」が私自身が持っている気持ちにスッと入ってくる。
だからフィクションなのに刺さるし、ストーリーが進むにつれて濃度や密度が増していく様子にすごくリアルを感じる。




このドラマのすごいところはそんなふうにこちらにいろいろ考えさせてくれる余白がある。
「地下アイドルの闇が~」的な見方もできそうなものなのにそうはならない。
"地下アイドルと女ヲタの話"とか結構なパワーワードだし、
それを押し付けようともできるけれどそれはしない。
実際にそのふたりが主軸になる物語なのだけれど、
そのふたりをちゃんとひとりひとりの「人間」として描いているんです。




役者さんの演技、とくに静かだけれど熱い変化で魅せてくれた桜井ユキさんの熱演や、
森下佳子による秀逸と言わざるを得ない脚本もさることながら、
その一番大きな要因は映像だと思います。
いろんな煌めきを映した映像が本当に綺麗で。


「アイドル」はもちろん、「女ヲタ」側もそういったふうに映します。
"地下アイドルと女ヲタの話"だけれど、終始「人間」の煌めきに焦点を当てているように感じます。





カメラワークとか演出とか質感とか、とにかく映像が綺麗で。
"地下アイドルと女ヲタの話"だと思っていたのに、
気がついたら「人間」の美しさというものに心奪われているんです。


そして、それをちゃんとつくりたい、という制作側の真摯な意思もまた伝わります。
ドラマも泣けるけれど、そんなものづくりの精神にも泣かされるんです。


たぶん、映像をいちばんわかりやすく表現することばは「エモい」だと思うのだけれど、
そう形容することすらためらわれる美しい視界。
こんなすごい映像を土曜日の夜23時30分から放送の30分ドラマで見せられて。
これが贅沢以外の何であるのかと。
『QP』ドラマ版『HiGH&LOW』を見たときを思い出します。
あまり前のめりにドラマを視聴しているわけではないので、
そういったドラマにうっかり出会ったときはとにかくラッキーという感じです。




映像が振り切れていることをはじめ、
ドラマが本当に見ごたえがあって本当におもしろいのでみんな見て…(終わった)
再放送待ったなしでしょNHKさん。
"地下アイドルと女ヲタの話"と取っ掛かりはイロモノを見る気持ちでいいからもっともっとたくさんのひとに見て欲しい。


「人間」が、美しいから。


っていうか総集編版でいいので映画にしてほしい、映画館で観たいです。
本当に素晴らしいドラマでした。
受信料は、無駄になってない。




("アイドルのドラマ"つながりで、そういえば吉沢亮ってドラマ『武道館』に出てたな~ってなんかしみじみしちゃう。)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

不思議な映画体験だった。


私はクエンティン・タランティーノ監督のファンであることを前置きしておくけれど、
"タランティーノがつくった"ことがこんなにも響く映画だとは思わなかった。
それは一見すると"タランティーノっぽくない"からだ。
けれど観たものを反芻するとき、"タランティーノの映画だなぁ"と思わざるを得ない。




最初から「タバコ休憩してええよ」と謳っている(?)との情報を得ていたので、
約3時間と長尺だったけれど、妙にリラックスして鑑賞することができました。
大事なところを見逃したらどうしよう、みたいなプレッシャーは皆無。
あれはラクだし楽しいし、新しい。
だからとくに長尺も気にならなかったですね。不思議。
いつもの(といっても2作しか観ていないけれど)作風だと、
あっという間の3時間!、という感じだけれど、本作はそういう感じはまったくなく…
なんとなく観ていたら3時間経ったの!?まじで!?みたいな。


けれどラスト数分の超ど展開は、
ヨッ!さすがタランティーノだわぁってすっごいテンション上がりましたね!
あの3時間のなかのたった数分で、それまで流れていた穏やかでゆったりとした空気が一気に傾きます。
でもこれがまた不思議なんですけど、「事件」の直後は、
すでにもう穏やかでゆったりとした空気に戻ってるのなんなん。すごい。


登場人物の人間関係をあまり描いていないのが、逆にとてもいいと思いました。
ストーリーとかあるんだかないんだかという感じだし、
リックと(レオナルド・ディカプリオ)とクリフ(ブラッド・ピット)の、
バディ?ブロマンス?みたいなアプローチもあんまりないし、
キーパーソンであるシャロン・テート(マーゴット・ロビー)に至っては、
"リックとクリフの物語"には驚くほど絡んできません。
でもそれがよかった。
それだからこそ全体的にオールドスタイルで穏やかでゆったりとした空気でありながら、
「個人」が際立って、ソリッドでクールな印象になっていたように思います。




本作は実際に起こった『シャロン・テート事件』を履修しておいた方が何倍も楽しめます。
と、いうかこの事件のことをまったく知らなかったら、私はそんなに…だったと思う。


映画は『シャロン・テート事件』をベースにした、「たられば」の話なんですよね。
この「たられば」にタランティーノのいろんなものが詰まっているんじゃないかな。


劇中の「事件」は笑っちゃうくらいのひどい描写なので、
そこはタランティーノの趣味でしょうが(笑)、
全体的に描かれている「たられば」からは、タランティーノが愛した映画への「愛」みたいなものが、伝わってくる。


それは彼が憧れたかつての映画の現場なのだろうか。
それはその現場がつくりだした映画そのものなのだろうか。
それはそこにいた映画スターたちの姿なのだろうか。




ブラット・ピッドがめちゃくちゃカッコよかったですね~!
レオ様も三枚目ながらすごくカッコよく感じたのだけれど、あれはレオ様だから?
ふたりともよく受けたな~とも思う(笑)
でもレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピットをこの映画の主役に据えたことがこの映画の核だろうし、
ここにふたりを揃えられるというのがタランティーノのすごさといいますか。
これから本作におけるふたりのインタビューを読んだりするのがとても楽しみです!


相変わらず、カットと音楽のカッコよさもずば抜けていて最高です。
あと、ちゃんと笑えるんですよね~。
なんか最近の映画(とくに洋画)って笑うところなのか笑っちゃいけないところなのかよくわからないものが多いと感じられるんだけれど、
本作は、ただでさえ公式が「タバコ休憩してええよ」のノリなので、
素直に笑えたのがとてもよかった。
そんなところからもタランティーノの映画への「愛」を感じます。
そして、それでもなお、自身の「愛」より"届けるエンターテイメント"が勝つのがソーソークールです。

カン・ミンヒ @X1 PREMIER SHOW-CON(と、X1デビュー。)

これ見ました?




生ける少年美・カンミニ王子、爆誕




すごい~~おもしろい~~~~~~!
語彙力がなくて「おもしろい」という表現になっちゃってるけれど、
当然ながら「笑える」という意ではない。


いやなんか、いい意味で「アイドル」っぽくない。
本当に宮廷の王子様がうっかりステージに立ってパフォーマンスしちゃったみたいなおもしろさ。新しい。
私はこんなアイドル初めて見た気がする。ニュータイプ



そのおもしろさに拍車をかけるのがカンミニのステージでの振る舞いでして、
なんと02ライン(白目)のマジの少年なんですけど、肝の座りようがすごい。
メンバーにおじさんおじさん言われてたけどわかる、おじさんみたいなんですよね。
精神年齢がめちゃ高そう。


てか『X1』、やっぱりおもしろいんだよな。
既デビューメンバーもバブ(概念)も多くて、ワナワンとは違った"わけわからん感"。
でもコチョクみたいなどでかいステージでもひとつのグループとしてちゃんとパフォーマンスしてるってのが不思議な出来事すぎて。
やっぱりプデュグループのおもしろさってそういうところですよね。
この"わけわからん感"の対極にある"わかりすぎる"のが、
SMエンターテイメントの『SuperM』だと思うので、そちらもどうなるのか楽しみ。


デビューショーコン、とてもよかったです!画面越しなのに本当に目が足りない!
だってみんなおもしろいんだもん。(笑えるの意ではない)
スタイリストに確実に変態が混じっていてまじサンキューでしたね。
あとカンミニに金髪をと提案したひとは表彰されてください。




そんな『X1』、やっぱり好きなんですわ~。
ただ、やっぱりプデュグループのK-POPシーンにおけるパワーって、
明らかに"私が好きだったK-POP"を脅かした一端だと思っているので引き続き複雑な心境もなきにしもあらずなのですが。


それでも『X1』の魅力には抗えない。
ワナワンのときもこの部分はしょっちゅうひっかかっていたんですけど、
約1年半という駆け抜けるような活動期間のなかでは、
いい意味でそういった部分を忘れさせてくれることも多く、
いま思えば「ワナワン」と「K-POP」は別枠で考えていたのかもしれない。
これがダブスタってやつですかね?




今回のプデュグループ『X1』の活動期間は5年です。
正直5年という期間はあまりに長く、たぶんワナワンのように周りを吹っ飛ばす勢いのままフルスロットルの様相で活動していくとは思えないので、
いまの状況も含め、彼らがどんな存在になっていくのかはまったく想像もつかないです。


『X1』は「バブ」と呼ばれるメンバーが多いこともあり、
ただでさえサバイバルと謳いながら「成長」の部分にもスポットを当てた構成の番組が終わっても、継続して成長を見守るという視点を初めからファンに持たせている点では、
従来のK-POPグループではもちろん、プデュグループでもなかったものですよね。
「完成品」を求める(とくに日本の)K-POPファンが、
当初嫌がっていた公にされていないであろう裏コンセプト的なところが、
K-POPアイドルシーンに新たに影響を与えるのか否かは気になるところですが。




デビュータイトル曲は『FLASH』。
同じく視聴率の振るわなかった前シリーズ出身グループ『IZ*ONE』同様に、
しっかり"売る気のある"めちゃくちゃ気合の入ったミュージックビデオ。



いま売れっ子の『Rigend Film』さんの作品。みんな、綺麗よ。
ウンサンがセクシーで目を見張るけれど、やっぱりカンミニ王子でいくかな(????)


"売る気がある"のはとても伝わるけれど、
彼らが何者かというところまでは踏み込めていない気がするので、
今後、どういうディレクションで『X1』というグループをアプローチしていくのかとても楽しみです。
個人的にはいまの"わけわからん感"は好きなのでこのままでもいいけど(笑)、
これだけではプデュを見ていなかったひとには弱い、と感じます。


そして改めて『La Vie en Rose』って本当にすごかったな~って思うし、
『I.O.I』と『Wanna One』の"グループの持つ説得力"もすごかったな~と思います。
でもエックスワンのおもしろさもそれはそれで唯一無二だし、すごいです。




けれどいま現在『X1』に特に思い入れのない世論の風当たりは相当強いです。
でもそれに関してはそらそうだろ、と思います。
番組制作側がしたことっていうのはそれだけ大きなことだと思っています。
いちエンターテイメントのファンとして、その落ち度は本当にアカンやつです。
正直、私でさえ、活動期間云々以前にカムバックとかできるのかな、とか思うもん。


だから、めっちゃくちゃに売れてほしい!!!!!!!!!!
好きだから!!!!!すんげー売れて!!!!!
もーとにかく売れて下さいほんと、私のために。というわけや。

ブラッケン・ムーア~荒地の亡霊~ in シアタークリエ

 1937年、イギリス・ヨークシャー州。裕福な炭鉱主のハロルド・プリチャード(益岡 徹)の元に、ある日エイブリー一家が訪ねてくる。かつては家族同士で仲良くしていたのだが、10年前にハロルドの一人息子・エドガー(当時12才)が、ブラッケン・ムーアという荒野の廃抗に落ちて亡くなった事故をきっかけに疎遠になっていた。それ以来、エドガーの母親・エリザベス(木村多江)は家の中でふさぎ込んでおり、彼女を励ますためにエイブリー一家はプリチャード家に数日、滞在する予定だった。エリザベスはエドガーの親友であったエイブリーの一人息子、テレンス(岡田将生)と再会すると、亡き息子への思いを溢れんばかりに話し出した。

 しかしその日から毎晩、うなされたテレンスの恐ろしい叫び声が、屋敷中にこだまするようになる。テレンスはエドガーの霊が憑依し、何かを伝えようとささやいてくると言う。やがてエドガーの霊に憑りつかれたテレンスは、事故現場であるブラッケン・ムーアに向かう。そして事故当時の知られざる真実が、少しずつ明らかになっていく――。

STORY|シアタークリエ『ブラッケン・ムーア』

驚くほど導入はこのあらすじ通りだったおかげで、
余計なことは考えずただただ舞台に集中できたのは個人的にとてもよかったのですが、
ここに書かれていることに関してはそれを超える舞台表現にはなっておらず…




「岡田将生が主役」っていうのが先にあって選ばれた戯曲だとしか思えない。
岡田将生のファンとしてはスーパー岡田将生フェスティバルの再来といった感じでそれはそれで最高だったんですけどね。


他の役者さんたちもすごくうまいのに、
なんで作品そのものはこんなにガタガタなんだろって思っちゃった。
岡田将生はもちろんちゃんと仕事をまっとうしていたけれど、
たぶんそれは舞台の軸ではないんですよ。
それなのに無理矢理作品を「岡田将生が主役」に寄せなければならないがために、
全体的に作品のパワーが落ちてしまった感は否めない。と思う。




1幕はこんなにつまんないことある!?まじ?って頭抱えるくらいおもしろくなかったし、
役者さんも演じてて楽しいんだろうかとか思っちゃうくらいだったんだけれど、
2幕は冒頭からぶっ飛ばしますからね。
ああ、1幕はぜんぶ2幕のためのものだったんですねと。
1幕では隣の席の方が寝ちゃってたところがあったくらいで、それもわからなくもない〜って感じだったけれど、
2幕のためにちょっと頑張って観るべきだと思います。(誰)




キャストもキャラクターも超少数精鋭であったと思う。
岡田将生・木村多江・峯村リエ・相島一之・立川三貴・前田亜季・益岡徹。
だからこそより、もうすこしそれぞれのキャラクターを際立たせてほしかった。
ご丁寧にセリフでみなさん自己紹介はしているんだけど、
説明的すぎてものの見事に頭に入ってこない。
そしてなによりキャラクターの心象風景がぜんぜんわからない。


強気のシンプルな演出も、あれだけつくりこまれているセットですら弱いと感じました。
セットはシアタークリエというキュッとコンパクトな劇場だからこそあのしっかりぎっしりとしたものになったのかな。
ほぼ真正面で役者さんの目線の位置くらいの席だったので、
定点でかすかに変わる舞台の上の空気を感じることができたのはよかったけれど、
席によっては工夫がないと感じるひとがいてもおかしくないんじゃないかと。
そのくらい役者さん頼みの舞台だったと思う。
ただ、そんなシンプルもとい直球な演出のなかでも、
風の演出と控えめながらも要所要所で必ずキメてくる照明が素晴らしかったです。


それを請け負った役者陣は見事な演技を見せてくれたわけで…
でもその演技だってもっともっと輝くはずだったのにと思うと悔しさが。
テレンス(岡田将生)の「演技だった」部分もその事実にもまるで説得力がない。
演技が作品と同じ方向を向いていないというか。
だからちょっと滑稽というかところどころちぐはぐな感じがあって、
全体的に芯がないように感じられてこちらが気持ちを預けて見ることができない。


ワンシーン、ワンシーンはとてもいいシーンもあったし、
エリザベス(木村多江)のシーンは本当にえぐられるような気分になるのに、
そういった「感動」というものが、舞台の上の役者が入れ替わるだけでブツ切りになる。
逆をいえば、ずっと同じセットでも役者の顔ぶれが変わるだけでこんなにも違った雰囲気になるのかということでもあるのだけれど、
今回はどうしても私はそこにたどりつけなかった。
だがら全体的に言いたいことはわかるし伝えたいこともわかるんだけどいまいち響いてこない。
個人的には「岡田将生、美しかったなぁ」が一番強く残っちゃうんだけど、
絶対にそれじゃないんですよ、正解は。
まぁ正解なんてものは決まったものではないと思うのだけれど。




終始エリザベス(木村多江)に同調しすぎてしまって、
彼女が言葉を発するたびに涙がダバダバ流れてしょうがなかった。


12歳の岡田将生もといテレンスもといエドガー!!!!!こわいんですよ!!!!!
キャワイイとか言ってる場合じゃない!いやかわいいけど!普通にこわい!すごい!
あとやっぱり岡田将生、動けるんですよね~。
あの手足の長さで舞台の上で驚くほど身軽!身体の動きが雄弁というか。
だからもっと舞台で見たいな~と思う。


そんなエリザベスのテレンスのシーンは妖しい雰囲気がとてもよかったです。
ふたりにはエドガーという共通の愛するひとがいたわけだけれど、
そういった背景ありきとわかっていても単純にふたりが心を近づける様子は、
まるで見てはいけないものを見ているようでドキドキしました。




ハロルド(益岡徹)~~~~~~が、もっと引き立つ方法はなかったんだろうか。
いやあの舞台の上でハロルドを演じた益岡さんは本当にすごかったと思うからこそ、
いちばん「岡田将生が主役」の煽りを受けてしまっていた感。
最後、あんまりキマらなかったの悔しすぎました。(個人の感想です!)




岡田将生はさすが霊長類最強の美しさで、今回もさすがの美しさでした。
あの美しさにはもはや安心感すらある。
人間のかたちをしているのだけれど、どうしても同じ人間とは思えない美しさ。
最初と最後の野暮ったいスーツではそんなにそれは発揮されないんですけど、
それ以外はテロテロしたパジャマやタンクトップ(泥まみれ最高)など彼の美しさがこれでもかと発揮される衣装の連打で美しい~~~~ありがたい~~~~!!!!!と心のなかで拍手喝采でした。


極めつけには何も!!!!!衣装を!!!!!着ていない!!!!!
いや着てる、半分着てる、半裸です。上です、上半身裸。
まぁそれの美しいのなんのって。
彫刻かな?さすが神が創りしものですね。
たぶん岡田将生は全裸でも美しい。
いや私のスケベ目線もあるけど、それを抜きにしても絶対に美しいと思う。
神様に本気でつくってもらったんだからおすそ分けしてくれみたいな(?)






2019年の目標として「生の岡田将生を見る」ということ掲げていたのですが、
ものの見事におかげさまで上半期は5月の『ハムレット』、



そして下半期は本作『ブラッケン・ムーア』と、
とてもありがたいことにしっかりお目にかかれています。しかも舞台作品で。
いや本当にラッキーですよ、「生で見たい!」って思ったら舞台2本の予定が上がって。
舞台での岡田将生ってどうなんだろう?、だなんて不安を蹴散らすほどに、
舞台での岡田将生は映像の岡田将生の何倍も魅力的でますますファンになっています。


どちらの岡田将生も本当にとってもよくて、
『ハムレット』の岡田将生もできたらもう一回観たいくらいだし、
本作の岡田将生ももう一回観たいくらいだし。
でも同時に舞台の岡田将生を見たことのない方たちに観て欲しい気持ちもめちゃくちゃあるんですよ。本当に。観て。


ちょうど先週はマイラブ高良健吾を目の前にしていたので、
高良健吾と岡田将生を二週連続で見るだなんて世の中の一般男性とか○○にしか見えなくなる後遺症が残るんじゃないかといまはちょっと不安なんですけど、それもまぁ本望ですね!


高良くんは「とにかく映画を愛している男」なので、
そんなに今後はどうなるみたいなことは思わないのだけれど、
岡田将生はテレビスターとしてもとても支持があると思うし、
私もそんな岡田将生が好きなので、これからどうなっていくのかなぁと。
当人がやりたいことをやって俳優人生を大満喫してくれれば…と思いつつ、
一方でもっと舞台での岡田将生が見たいな〜〜って思っちゃいます。

『アンダー・ユア・ベッド』大ヒット御礼トークイベント in テアトル新宿

私の人生の予定には高良健吾をこの目で見る予定もなかったし、
ましてご本人の楽しいお話を拝聴する予定なんてまるでなかったので、
本当に生きているとなにがあるかわからないものですね…!



つい3日前に観たときはもう一回これ観るのか…とかなりげんなりしたのだけれど、
二回目は心の準備が完璧に出来ていたので、作品に対する嫌悪感がやわらいだ。
それがいいのかそうでないのかはまた別の話だけれど。


参加しておいてそれ言う?って感じなのは百も承知だけれど、
作品のあとに役者さんのトークショーがあるというのはちょっとこわいことだとも思った。
役者さんの作品に対する歓びや愛情を直接聞いてしまうと、
作品そのものに対する「自分の感想」というものを忘れそうになる。
あんなに胸糞作品だったのに、今では私もちょっと愛着を持ってしまっている。


本当にこれ罪深いんですよ…自分の感受性がなくなっちゃいそうで。
先に映画だけを観ていて、その感想を残しておくことができてよかったと心底思いました。




…と、なってしまうほどに、
今回のトークショーに登壇した高良健吾も西川可奈子さんも本当に素敵なひとで、
とても楽しいトークショーだったんです。



名前を呼ばれ登壇する際に、
忍者のごとくササササーッ!っと小走りしてステージに登場した高良健吾。
幸運なことに私の座席は上手側のちょうどその出入り口の真横のエリアでした。
オーバーサイズの白いTシャツにクリアのメガネ、やや太めのストレートジーンズの高良健吾であった。
西川可奈子さんも劇中では見られないスタイリッシュな装い。


高良くんが「大切なお盆の日にこの映画を観にきてくださって…」と、
最初と最後に二回おっしゃってたんですがあれはウケを狙ったのかガチだったのかわからなかった私、反省しています。


初めてこの目で見た本物の高良健吾は、
とにかく日本の映画界を盛り上げたい一心なのがめちゃくちゃ伝わってきて、
結婚して…じゃなくて、いまこんなひとなんだ!!!!!ってすごくびっくりしました。
本作が「こんなに反応があって反響があった映画は初めてで、本当に嬉しくて…」って、
あの笑顔で喜び爆発させられたら、
こっちもそんな映画に出会えて幸せだよ~(涙)ってなっちゃう。


本作は公開から1ヶ月で異例の連日大入りなのだそう。上映館も増えているそうです。
単館系映画のことを何も知らない私なので、高良くんの喜びようでその凄さを知る感じ。




ちょうど昨日見返していた高良健吾23歳のときの、
2011年に放送された『情熱大陸』の話がでてきてまじでオオオオ!!!!!となりました。
西川さんがすごいパスを出してくださった…(感涙)!と、心のなかでスタオベでした。
確かにあの頃の高良さんはとんがってましたよね…今日の高良さん別人でしたよね…
ちなみに当時の"とんがっていた"高良くんは『情熱大陸』、すごく嫌だったんだそうです。
会社の人にお願いされて渋々…みたいな(笑)


我が家のHDDレコーダーの一番手に鎮座する『情熱大陸』を見返しては時の流れを感じ、
なんだか勝手にすごく悲しい気分になってしまっていたのだけれど、
"とんがってた"あのころから8年くらい経ったいまの高良くんは、
「とにかく劇場にひとを呼びたい!」ひとであった。


そしてその姿勢はトークショーでの佇まいでもよく表れており、
今回も終始お客さんを楽しませようとするパフォーマンス。
穏やか。優しい。明るい。親しみやすい。




西川可奈子さんもとても喋り慣れている感じがして、
うまいことさりげなく進行をしていたり、
あの演技のすごさもあってますます謎が謎を呼ぶ気になる女優さんです。


そして高良くんもトークめちゃ見事に回します。意外すぎた。
そんなふたりのトークショーは本当にとても楽しいのです。
ミミズとダンゴムシ、どちらがいいのか。
ほかに進行役などはおらず、ずっとふたりだけでお話しをしていました。




西川さんも高良くんも、お高くとまったザ・芸能人な雰囲気はいっさいなく、
トークショーで司会の方が「そろそろお時間が…」と言っても、
ふたりともまだまだ話したがってくださっている風で、
高良くんが「じゃあ最後に(客席から)一問いきますか?」と言ってくださり、
ちょこっと延長。


そして客席から投げかけられた質問が宣伝ポスターにまつわるもので、
役者さんが宣伝ポスターについてお話しすることなんてそうないと思うので楽しすぎたし、
とてもめずらしい、貴重なお話を聞けた気がします。



高良くん、ポスターのレイアウトについて「余白がいいですよね!」とか、
「最近のは出演者の顔が(ぜんぶ)出るのが多いなかで〜」「気に入ってます」など。
また、なんと高良くんはアレルギー性鼻炎だそうで、
倉庫のなかに建てられたセットのなかで映像を撮っていうちに撮られたであろうポスターのカットについては「暑かった」「鼻水が〜」と。
ベッドの下で鼻かんでたエピソードわらった。
全体的にたぶん微妙に質問者さんの意図とはズレた回答になっていて、
高良くんてこういうひとなんだ〜とますます高良くんに前のめりになりました。




監督さんのツイッターが更新されていたので、今日も一緒に会場にいらしたんですね。
(あれだけ文句言ったけれど)監督さんも出ちゃえばよかったじゃん?と思いつつ、
"役者さんだけのトークショー"と"つくり手もそこにいるトークショー"では、
また内容もがらりと違ったんだろうなと思います。
今回の"役者さんたちだけのトークショー"はそれはそれで本当によかったです。



トークショーでも触れられたのですが、
スクリーンの外から赤ちゃんの泣き声めっちゃするー!って思ったら、
まじで劇中に登場する千尋の赤ちゃん役の子だったそうです!
そんなことあるのか!登壇する予定とかあったのかな?
それとも関係者さんのお子さんだったりしたのかな。




ドルヲタなので映画館のトークショーで双眼鏡を構えたのは私です…
結果的に近すぎてボケボケだったんで即放りましたけど、
せっかくのこの機会に!お顔を!しっかり見たかったんです…!
でもちょうど高良くんの目線のあたりにいた気がするので終始目が合っていたような気がしていて、嬉しかったですね。
いや、目は!!!!!合った!!!!!!!!!


あと、高良くんは「映画のために」SNSで反応をチェックするようになったそうなので、
逐一、「高良健吾さんを愛しています!」と、発信していこうと思いました(真剣)




そんな高良健吾が、

「今まではあまり思ったことのないような『結果がほしい』という欲が出た」*1

という作品、

『アンダー・ユア・ベッド』、絶賛公開中です。





高良健吾という俳優は、
私が「アイドルのファン」という生き物になる前から好きな貴重な俳優さんである。
「アイドルのファン」になる前までは他に特定の芸能人のファンであった覚えがない。


とはいえ、わたくし、高良健吾のファンを名乗っておきながら、
基本的に高良くんに関してかなり摂取量が少ないので、
もう今日だけで5年ぶんくらいの高良健吾を浴びた気がする。


だって改めてウィキペディアを見てみたら、ファンなのにぜんぜん作品を観ていない…
出演した作品名はおおかた知ってはいるのだけれど、
いまや「ドルヲタ」と呼ばれるであろう人種になってしまった私は、
そんな自分に「本当にファンなんですか?」と問いたいくらいだ。


ただ、月9主演のときにかなりダメージを受けたので、



やっぱりファンだったと思う。
ファンなんですよ、ずっと。そういう存在。




不本意ながらドルヲタになってしまった私は、
今回のトークショーで本物の高良健吾が見れてしまうことにめちゃくちゃ動揺していて、
正直前日はぜんぜん眠れなかった。
自分のこの手でチケットを買ったのに。
でもチケット買った直後も心臓がバクバクしていてやばかった。


本作は正直、二度と見たくないくらいの映画だったのだけれど、
一回目に鑑賞し、終映後に劇場内をふらふらしていたら、
ぺらっと今回のイベントの告知が貼ってあって目を疑った。
来るの!?ここに!?まじで!?いいの!?という感じ。


よくよく見れば私が劇場のウェブサイトでその日の上映を予約購入しているタイミングで、
同時にもうすでにそのイベントの告知もしていた…気づかなかった…なんたる!!!!!
ウェブサイトをスマホで見ていたせいなのか、まったく目に入らなかったし、
そもそも「映画」というものと「イベント」というものがまったく結びつかないのだ。
だから当然のように「舞台挨拶」とかもまったくの管轄外。
だって高良くんを好きになったときはドルヲタじゃなかったし。そのへんの発想がない。


で、映画を観終わった直後でぐったりしていたし、
わずか3日後のイベントだったのでいったんは迷った。
でも生の高良健吾をこの目で見れるという人生におけるラッキー大チャンス、
しかもオンライン購入どころかいま、まさにそのイベントが開催される劇場にいる自分。
なんか時空がゆがんだ。いろいろとありえなさすぎて。なんだこれ。
あの映画をもう一度観るのは正直しんどいと思ったけれど、
そんなことより!!!!!という感じで、いそいそとチケット販売カウンターに向かった。
チケットはいとも簡単に買えてしまった。
なんか、見えない何かに導かれているような一連の流れがちょっと不気味ですらあった。
そもそも(一回目に)鑑賞にするにあたってテアトル新宿という劇場を選んだこと自体がすべての始まりである。




だって高良健吾はアイドルじゃない。
俳優さんだけど「映画俳優」などとカテゴライズされるほど映像の俳優さんである。
そういうひとをこんなに簡単に生で見ることができていいのかという罪悪感がとてもあった。
そして、ドルヲタになる前にファンになったのでこういったイベントで実物の高良健吾を見ることができるなどとは、まったく頭の片隅にもなかった。
なにもかもが考えもつかない。そういう世界の存在のひとである。


でもミーハーではあったのでたとえドルヲタじゃなったとしても、
こういった機会に恵まれたら、きっと嬉々としと参加したと思う。
ただ、いまはドルヲタなのでなんかアカンと思うのだ。わかってくれるか。




高良健吾のファンになる前、イケメンが好きなことは恥ずかしいと思っていたタイプだった。
アイドルが好きになってからイケメンと呼ばれるひとたちのことを素直に好きだと思うようになった。


それにも関わらず高良健吾のファンになったのは、
高良健吾はそういった部分を知らずのうちに超えていたからなんだと思う。




前述にもあるように昨日『情熱大陸』を見返していた。
まさに"いま(当時)をときめく旬の若手俳優"であった。
あのころにいま流行りの「若手俳優」というジャンル(?)ってあったのだろうか。
時は過ぎ、いま「若手俳優」という存在自体が当時とはずいぶん違っていると思う。
そして高良くんは当たり前のように、すでにかつてのポジションにはいない。


でも、今日この目で見て、話を聞くことができた高良健吾は、
とても素敵な大人の男性の俳優さんだった。
自分の出演作を中心に、あんなに日本の映画を愛して、
日本の映画を盛り上げたいという心意気と姿勢は健気にも見えるほどである。
かつての若手俳優時代はまじで「映画に愛された男」という感じだったけれど、
いまの高良健吾は「映画を愛している男」という印象のほうが強いと感じた。




キラキラした笑顔で語る。
高良健吾、「自分の出演した作品はぜんぶおもしろいと思ってる」って言い切ったの、
めちゃくちゃにカッコよすぎたよなー。
『情熱大陸』を嫌がったとんがっていた若手俳優が、
いまこんなにも"映画のために"とガムシャラなのである。


そして現場が大好きなひと。
現場のひと。


こんなんもっと好きになるに決まってるじゃんね。


アンダー・ユア・ベッド

ラストシーン、私の脳内ではガンガンに『前前前世』が流れました。
高良健吾の演技をしても『前前前世』が勝ってしまった…



あれは『君の名は。』だったんですか????????




個人的にはど変態の高良健吾を見ることができた超ご褒美映像でした。
というか私、高良健吾ペンにも関わらず高良健吾の主演映画を初めて劇場で観ました。
…と思ったら他に観てましたわ。



高良健吾が演じた三井くん、あんなイケメンが演じても…という声もあると思うけれど、
よく見れば顔整ってるのに…っていうひとって意外といると思います。
高良くんはそりゃ美しかったですけど、そうでないときもしっかりと映りました。



"三井くんの「顔」"がそこにはあった。



高良健吾にしかできない壮絶な役どころだったと思います。さすがです。
そんな高良健吾の演技のフルパワーを見れたという点では本当に良かったです。
そしてそんな演技がメディア等で無闇に消費されていないことが嬉しい。



千尋を演じた西川可奈子さんの演技も絶妙でとてもよかったです。
とくに大学生時代は三井くんに劣らず、
「いるよなぁ、ああいう女の子」っていうのを見事に体現していたし、
そこからぱっと見誰だかまったくわからないくらいの様変わりした姿もすごかった。


アロワナくんこと三河悠冴さんは映画『帝一の國』にも出てましたね。
あんな演技もされる方なんですね…!こちらもよかったです。




ただ、私は高良くん演じる主人公・三井のことを「気持ち悪い」と思えなかった。
それはどこか漂う"三井にはこうあってほしい"というつくり手の願望のようなものを勝手に感じとってしまったからです。
脚本・監督は女性。どおりで、と。女の願望。
オムツとか自慰とかケツとかあざっすって感じではありましたが。
どうしても同族嫌悪なのか私は美しい男性俳優をオカズに女性監督が悦に入っているような雰囲気を(勝手に)感じてしまうとだめなんですよね…興ざめしちゃう。


本作の三井くんは悲しきど変態でしたけれど、
"作品のなかでは"とてもお膳立てされていたように思います。
あまりにも何事もトントン拍子すぎてリアリティがない。
三井くんの悲しさや苦しさも「設定」として三井くんに寄り添えていたように感じました。
…これお恥ずかしながらたぶん私は三井に近い部分があるからこそ、そう思うのでしょうね。


対してDVを受けている千尋の様子は過酷すぎて…
千尋に対しての描写が厳しすぎて余計にそう感じました。
三井くんのヤバさよりDVのほうが何千倍もキツイ。



もうただの陰謀論で申し訳ないのですが。



三井くんと千尋のリアリティに差がありすぎて、
どうしてもつくり手が三井くんを贔屓しているような感じ。
堕ちていく三井を描きながら同時にありえない理想のヒーローとしても描いていて、
その極め付けがあの高良健吾の顔面なのではと思いました。


全体的に都合がいいんですよね。
だから千尋の願いはつくり手の願いだし、千尋のモノローグが始まると、
「ああ…」って思いました。やっぱりな、みたいな。
そういうのが透けて見えちゃったのが嫌だったなぁって。




単純に何を見せられたんだろうって。
おそらく大事であろうことが何も伝わってこなかったんですよね。
というかそもそも伝えたいことなんてあったのかな。
そんなのどうでもよくて撮りたいから撮ったってのも嫌いじゃないんだけれど、
それだとDVのシーンとかただの胸糞でしかなかったし、三井はそれでなくてもあれだし…
う~ん役者さんの演技のほかは全体的に気分の悪い映画でした。