ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

新聞記者

映画『新聞記者』、観ました。



映画が始まってすぐは前情報の影響かすでに悲しくてしょうがなかったのに、
途中から目というか心が据わっていくという。
終盤らへんはすごく妙に静かな気持ちで観ていましたね…
「諦め」とはまたぜんぜん違って、良く言えばとても落ち着いていたというか。




先に映画『主戦場』を観ているのがでかい。



序盤は『新聞記者』のフィクションのほうが、
自称ドキュメンタリー作品の『主戦場』よりしんどさがあって、個人的には意外でした。
でもそれも完全フィクションだからこそ、つくり手がつくる最大限まで作品の強度を上げることができる、創作の力なんですよね。


ところが、なんというか途中から土曜日21時のテレ朝2時間ドラマみを感じてしまって。
たぶん観ていくうちに『新聞記者』という映画作品そのものに自分が慣れてしまって、
実例を取り入れているのにも関わらず現実とは違う世界の「ドラマ」として没頭した感じ。
そう思うと前半のゆらゆらした撮り方も気になったし、
全体的にあまり映画として「うまい」というわけではない。(個人の感想です!)
聞けば監督は『デイアンドナイト』の方だそうで。




でもいま観るべき映画だと思うので『新聞記者』、たくさんのひとに観て欲しい。
この作品をして「宣伝がほとんどされてない」というのが、いまの日本なのだろうか。


『主戦場』がなんとなくそういった意味で手放しに勧めづらいのは、
『主戦場』はドキュメンタリーと謳いながらも、実在の人物が「悪役」として登場している、
「強い個人の主張」だからなんですよね。
『新聞記者』はつくられたストーリーになぞったフィクションだからこそ、
制作者や出演者らに対して余計な感情が及ばず、ただただ作品として見ることができる。
この差はかなり大きい。




『主戦場』を観て『新聞記者』を観て、
それらのかけらが確固たるものとして自分のなかにすでに在るいま、
やるべきことはただひとつ、選挙に行くことです。
いまの自分のなかに在るものを放っておかないために。それはいわば自分のためです。


『新聞記者』の公開時期は狙ったとのことだけれど、尻を叩かれたようでありがたい。
こうしてちゃんと"「自分のために」選挙に行こう"っていう気になるのだから。


むしろいま、こういった風になかなか自分がならなかったのが不思議なくらいだし、
なんならこういった映画なり作品があまり存在しなかったことも不思議なくらいだけれど、
やっぱり「宣伝がほとんどない」というのが答えとしていちばん腑に落ちるし、
その理由は『主戦場』で思い知った感があるので、
私のなかでは『新聞記者』と『主戦場』は作品として、
公開されたタイミングや私が観たタイミングも含めてニコイチといいますか、
このふたつの作品は私のなかで切り離せないものになりそうです。




どうして「宣伝がほとんどない」と思ったのか。
それはキャストの顔ぶれ、主に松坂桃李という有名俳優がダブル主演を務めているからです。
公開規模的にも邦画においてこの宣伝のなさは不気味ですらある。
実際に私もこの映画の存在を知ったのは、
公開日にツイッターでフォローしている方が観に行ったとのツイートを見たからです。
それだけで、"「松坂桃李」がダブル主演を務めた"ということのすごさというか、
有名俳優のキャスティングが宣伝にも絶大な力を持つことがよくわかった一件でありました。


本作ではダブル主演のもうひとりを韓国人女優のシム・ウンギョンさんが演じています。
私はこの方のことはぜんぜん存じ上げておらず、本作で名前もお顔も知ることとなりました。
日本の有名女優にもオファーをしたのだけれど、叶わなかったとのウワサも。
まぁじゅうじゅう察せられるところではある。
そんななか私が心の中でチックタック先輩と慕っている松坂桃李がこの役を受けたのは、
それだけでいや~~すごい~~~~ってなっちゃいます。


松坂桃李って、個人的に演技がうまいとかそうでないとかの印象があまりない。
でもよくよく考えてみると、イケメンなのに「普通の人間」をスッと演じることのできる、
貴重な俳優さんなのだなと初めて知った気がします。
ときに「演技がうまい」という印象すらも、「普通」を演じるには足かせになるのだなぁと。
本作での演技もとってもよかったです。
「普通の人間」の苦悩を、自然に~というのも野暮なほど自然に演じていました。


なんか観る邦画という邦画に田中哲司さんがかなりの高確率で出演している気がする(笑)
高橋和也や岡山天音もなかなかだけど田中哲司さんの比ではない…!
いつも幅広い役柄を巧みに演じておられるので、もはや悪役でもまずそのスキルに感嘆する。
そして北村有起哉さんがカッコよすぎました。




本作は、松坂桃李が演じた政治家や、
もうひとりの主人公であるシム・ウンギョンさんが演じた新聞記者も含め、
「普通の人間」が普通に働くことや生活すること、
そのなかで悩み苦しむことがごく自然に描かれていたという点がもとてもよかったです。
それ知ってる…!と、思う部分がたくさんありました。(作中の事象のことではなく)
と、映画のメインテーマ以外のところでも感じ入るところがあり、
作品がより響いたような気がします。

「PRODUCE X 101」コンセプト評価、スンヨン先輩がバチクソにカッコイイいから見て。

プエクこと『PRODUCE X 101』にまったく興味のないひとも絶対に見るべき、
【움직여(MOVE)】(ウンジギョ)のチョ・スンヨン先輩。



一番最初にソロで映る、前髪をあげたアームカバーを装着なさっている方です。
見ればわかる、さすが現場投票堂々の第1位。
だって、センターポジションということもあるけれど、ZICO先生がつくったこの曲のパフォーマンスをすんごい勢いで引っぱっていっているのがわかる…これがセンターの仕事…


というかこのグループ、パフォーマンスすごない!?
と思ったら、6人中5人が既デビュー組でした。



え?



…そうなんです、そこが今回プエクのむずかしさのひとつでもあると思います。
でも難しい難しいとこちらが思っていてもガンガン番組は進んでおり、もうコンセプト評価ですよ。
放送はファイナルであるデビュー評価の生放送を含め、あと二回ですからね~。




自分でもまさかの展開なんですけど、
ステージだったら【이뻐이뻐 (Pretty Girl)】(イポイポ)がいちばん好き…



イポイポがいいなぁって思うのはフレッシュアイドルコンセプトを、
未デビュー組がしっかりとまんべんなく消化してるからかなぁと。
ステージに向けられるメンバーの一体感は力強くて安心するし、アイドルありがと~っていう気分になる~。




絶対にウケのいい【U GOT IT】は、ウンジギョと同じく、
この曲のメンバーに選ばれるっていうこと自体がすでに個人にカッコイイっていう評価があると思わせるNEVERとヨロジョのいいとこどりのようなカッコイイ曲。



ヨハンの撮れ高。わかるよ、ヨハン映したいのわかる。私も映したい。
未デビュー組で既デビュー組に太刀打ちできるのがヨハンなんだろうなぁって納得しちゃう。
でも、もっと他のメンバーも見たい!ウンサン!ユンソン!と、いういいステージでした。
カメラワークのせいなのか、なんかグループのなかでメインとモブで別れちゃってるのが惜しいなぁと。




前シーズン『PRODUCE48』では、コンセプト評価曲にひとつも好みの曲がなくて、
視聴者としてはややがっかりだったのですが、今回のプエクは全部好きです!




曲だけならダントツで【Super Special Girl】が好きなのですが、



ステージ見てみたら衣装も大概だけど、カメラワークがひどすぎて見てて疲れてしまった。。
ダンスがぜんぜんわからない…音だけの方が楽しいってだめじゃん。。
ユビンのボーカル、好きです。



同様に【Monday to Sunday】も、なんでこの衣装とカメラワークなんだろうって。



トニーとイセジンがすんごいビジュアル仕上げてきててびっくりした。
でもでも~~~~曲は好きなんだけど、ドヒョンのパートしか印象に…(ドヒョンすごい)



どの曲も先に公開されてた練習室での定点固定カムのほうが何倍も良くない!?



楽曲が全部好きとなるとこういう弊害があるのかと思い知らされましたね…





プエクって個人的にどうしても"活動期間5年"っていうのが引っかかっていて、
正直ぜんぜんハマれていないというか。
(もちろん専任は2年半というのは知っています。)
プデュ48のときも「どういう活動をしていくのかがわからないからどう見ていいのかわからない」って思っていたけれど、まさにそれなんですよね。5年て。


もう「5年」て聞くだけで、ここに各事務所から出された練習生たちって…ってなんか悲しくなっちゃうんですよ。
でも5年て知ったときもレベル分けでXポジションがあることを知ったときも、
これは視聴者やファンを長期的に巻き込んで育てていくグループをつくるのがコンセプトなのかなーとは思いました。


逆に既デビュー組だと、現状打破したい・くすぶってる子らにとっては、
天下の大企業の直系グループ所属になるわけだからがんばってほしいと思いま・・・・・・・



すかね!?



本当に!"活動期間5年"というだけで!どんなふうに番組を視聴していいのかわからない!


仮にここでデビューメンバーに選出されたものの、
プロジェクトグループでアイドル人生終えちゃう子らがいるかもと思うとう~んてなるし、
だからといって事務所でデビューを待ったとしても絶対にデビューできるわけじゃない韓国のアイドルよ。
既デビュー組に至っては兵役があるのでほぼ元グループには戻れない感じじゃないですか。
既デビュー組はグループが稼働していたパターンとそうでないパターンでも事情が違うし。
なんか韓国のアイドルの悲しいところがデビューする前から特盛って感じで、
ほんとどういう感じで視聴していいかわからないのですよ…




やっぱりどうしても出てる子の「人生」を感じてしまう。。
彼らは私にとって、アイドル練習生以前に「人間」なんだわ。。


バラエティー番組だと思って見ればいいものの、
頭の片隅で「悲しい」って思っちゃってるから軽い気持ちで見るのが申し訳ないし、
でもハマれてないから軽い気持ちで見ちゃっててものすごく申し訳なくなっていますね…
もはやドンウクさんの熱に煽られて見ているような気も。おいイスンギ聞いてるか。
ドンウクさんファイナルでいろいろ力入りすぎてぶっ倒れちゃうんじゃないかと心配です!


だからはやくデビューメンバー教えて…後追いがしたい…
ワナワンみたいにどうして彼らが選ばれたのか後から知っていきたいという気持ちにも…
でも、真面目な視聴者ではないけれど、もうこのへん見ちゃったらそうもならんのよなぁ…
嗚呼、みんな幸せになってくれ…!

神と共に 第一章:罪と罰

歴戦のけーぽぺんが続々と観に行っているのをツイッターで横目で見ていた。
ギョンスが出ているから?
それにしたって不思議なくらいみなさん観に行っているように感じた。
そうなると観に行きたくなるのが私なんですけど、
あやちょ卒コンの余韻がずっとあってなかなか遠出してまで映画を観に行くのはおっくうで、
そうこうしているうちに各館で『第一章』の上映が終わりつつあり、
気がつくとすでに続編である『第二章』の上映が始まっていた。


縁がなかったな…と、そんな私に手を差し伸べてくれたのが、かのアッ〇リンク様であった。
他の上映館が第二章を上映開始するタイミングで第一章を上映開始してくださった。
ありがたや〜あなたが神ですか。


ということで観ることができました。




ノリのクセが独特。
基本的にファンタジーベースなので私は某ハ〇ーポッターシリーズと似た印象を受けました。
ちなみに私は『ファンタビ』ですら結構頑張らないと観られないようなひとです。


そんな作品のノリにまったくノることができなかった二時間半弱だった。無念。




3人の使者、ヲタクがめっちゃ好きなやつでしょ。
あのビジュアルで二次元的なアクションを披露してくれるものだからたまらない。
3使者の設定とか、その3使者がロングコート長身イケメンふたりと少女とか、
そのへんはかなりくすぐられるところだった。ビジュアルが完璧。
3人が単純にかっこいい。憧れる。二次創作たくさん見たくなるやつ。





ほらーこういうグラビア撮りたくなるもんね~。わかる~。



つい先日、映画『お嬢さん』を見たばっかりなので、
ハ・ジョンウさんがぜんぜん違ったかっこよさでビックリしたし、
チュ・ジフンの演じたヘウォンメク、ヘウォンメクという名前からして最高だった。
ヘウォンメクの人を食ったようなちょっとイラっとさせられる表情もすごくよかった。



そしてそして!ドクチュンを演じたキム・ヒャンギさん、
なんとオン・ソンウの初主演ドラマ『十八の瞬間』のヒロイン様でございます!

オンさんすごい~!(?)



と、すごく好きな部分があったものの、最初に作品のノリにノれなかったが最後、
まじで最後までそのノリを「へえ」と眺めているだけだった感。悔しすぎる。




『猟奇的な彼女』でお馴染みのチャ・テヒョン演じる「ジャホンの人生」を軸に、
現世と冥界を行ったり来たりするわけだけど、それがノれないと結構きつい。
全体的に画の圧がしんどいんです。
とくに「ジャホンの人生」に関しては予想外の方向に話が及ぶのでついていけなくなる。
そのあとの展開でなんとなく自力で補完したような部分が無きにしも非ず。
でもそこで生まれたストーリーがのちの第二章にまで続くようなので。


マ・ドンソクさんがラストのたった数秒で全部かっさらっていったのずるい(笑)
連作ものだと知っていたし、第二章での3使者とマ・ドンソクさんの絡みとか楽しみすぎるし、
というか第二章は3使者フォーカスっぽい?
続投のギョンスはうますぎだし、きっと第二章も見ると思う。きっと。たぶん。




ウリギョンス、つい3日前に入隊したんですよね。
そんなギョンスが軍人役としてスクリーンに存在しているのは不思議な感じでした。



初めてスクリーンで見た俳優ド・ギョンスは、その演技力もさることながら、
佇まいや存在感がとてもじゃないけれどアイドルのそれではない!
あの(私のなかで)一作おきに大河ドラマに出ているでお馴染みの原田泰造もびっくり。
でも素晴らしい歌手でもあるので…アイドルのD.O.にもまだまだお目にかかりたいのです…



「韓国映画」というフィルターがあるのも大きいけれど、
"ファンタジー×死"のアプローチは『トッケビ』を連想させる部分もかなりあった。
韓国の映像作品はまだあまり見たことがないけれど、
他のそういったジャンル(?)の作品はどんな感じなのだろうかと気になる。


でも本作は、あの『新感染』の監督さんか~と知ると、
もうちょっとスマートにならなかったものかと思ってしまう。

ハロプロ プレミアム アンジュルム コンサートツアー 2019春 ファイナル 和田彩花卒業スペシャル 輪廻転生 〜あるとき生まれた愛の提唱〜 in 日本武道館

(すごい公演タイトルだな…)



私は私にとって初めての『アンジュルム』の現場であった昨年の武道館公演で、
十人十色の『アンジュルム』に見事に射抜かれてしまった。


けれど、次に見たパシフィコ横浜公演では、
それこそ電光石火のごとく早くもテンションが下がってしまって。





でも、今日、私が見た『アンジュルム』は、
私が射抜かれた、大好きな『アンジュルム』だった。





正直ほっとした。


12人体制になってからまったく食指が動かず、
今日の公演に至るまでだって、「アンジュルムのライブに行きたい」というよりは、
「最後にアンジュルムのあやちょを見ておきたい」という惰性のようなものだったから。


気がついたらふりだしに戻っていた。
そのくらい私は10人の『アンジュルム』が大好きだったのだ。




あやちょの卒業コンサート
目の前にいたのは私が大好きな『アンジュルム』だった。



もう10人だとか、12人だとか、そういうのはまったく関係なかった。
アンジュルム』は『アンジュルム』だった。




それだけで、本当に嬉しくて。
当たり前のようにスッっとステージに現れたアンジュルム
そして当たり前のように気迫に満ちたパフォーマンスが始まるやいなや、号泣してしまった。
『赤いイヤホン』。容赦なく一曲目から全力でぶん殴ってくる。
…えっとうそです。歴代メンバーの名前でつくられたオープニングVCRから泣いていました。
最初の衣装はあやちょのメンバーカラーである赤を基調にしたものだった。



素晴らしいパフォーマンスだった。歌もダンスも。
アンジュルムにおいてはそれはもはや「当たり前」なのだけれど。
そう「当たり前」なのだ。なんて贅沢なグループ、アンジュルム
本当に日本一カッコいいガールクラッシュ・ガールズグループ、アンジュルム


そしてそのあとも、最後までずっと号泣していた。
なりふりかまわず泣き叫ぶということを久々にした気がする。
泣き叫びすぎて脚ががくがくする。(どんだけ)


だってあやちょがアンジュルムを卒業するのだ。





"『アンジュルム』の和田彩花 "のすべてだった。
あやちょの15年ものアイドル人生をそのまま見せられたような気がする。





それは"アンジュルムのパフォーマンス"そのものなのだ。


あやちょを見送らなければならないメンバーのプレッシャーを思うと、
応援したいという気持ちの前に気の毒だという気持ちが先にきてしまうのが正直なところで。
タケちゃんの「安心しないでずっと心配していてください!」はわりと笑えない。
だって"「和田彩花のいないアンジュルム」はもはやアンジュルムなのか"と思わせるくらい、
アンジュルムをずっと支えてきたのはあやちょだと思うから。


それを痛感させられた。


ハロプロの元祖はメンバー入れ替わり制がアイデンティティの『モーニング娘。』だけれど、
アンジュルム』もとい『スマイレージ』は本来そのコンセプトではなかった。はず。
ハロプロエッグのなかから集められた精鋭4人で天下を取るというのが、
少なからずグループ結成における背景のうちにあったと思う。
スマイレージ』というグループは、傍目に見ても私にとってそういうグループだった。
だから気がつけば、あやちょがアンジュルムを背負ってきたという解釈に自然となっていた。




本公演で、最初に感極まって歌えなくなってしまったのは、なんと勝田里奈ちゃんだった。
ハロプロエッグからの付き合いのりなぷーとあやちょの関係はなんと11年にも及ぶという。



センターステージは二段階に変形し、ショートケーキ型になったりする。
中央にあやちょが配置され、あやちょの方を向いたメンバーが周りを囲み、回転したとき、
泣いてしまいそうだからと、かななんは目を合わせないように必死だったそう。


つらい期間を共にしたであろう、二期メンバーとあやちょの間には、
以降の加入メンバーにはきっとわからないであろう部分があることが垣間見えた。



『交差点』のあと号泣のあまり直後のメントでりなぷーに、
「誰が卒業するのかと…」といじられていたタケちゃん。
タケちゃんと一緒に会場中が「お前が言うか…!?」ってなった(笑)





今回の座席は上手側サイドスタンドファミリー席だったのだけど、
これが神席かというくらい最高だった。
そのなかでもいちばんステージから距離がとれた通路席だったことにも恵まれた。
ステージのほぼ真横ではあるけれど見づらいということはまったくなく、ただただ近い…
アンジュルムが人間としてそこにいて感動してしまった。生きている。
正面からでは絶対に見えないアングルで大人数ならではの縦の陣形もよく見える…すごい…





ステージサイドに来てくれるときなんてもう信じられないくらいめちゃくちゃ近い。
あやちょは何度もこちらを見上げて手を振ってくれた。最高の笑顔をたくさんくれた。
他のメンバーもたくさんこちらに顔を向けてくれた。
目はもちろん合いまくりでしたがなにか?ん?


ただ目の前の柵がチビな私には高く、高頻度にメンバーがステージサイドに来てくれるのに、
ちょっと腰を浮かせたり、座り方をかなり工夫しないと見えないのがややしんどくもあり。
脚がくがくなのはたぶんそのせいもある(笑)
それでもスタンディングの疲労の比ではないのだけれど。


全体的に武道館のキャパでこんなに近いのアリ!?という近さだった…
アンジュルム、人間だった。女の子だった。でもアイドルだった。



とはいえハコが武道館なのでセンステも見事に綺麗に見えるんです。
センステだって近い。今回まじで双眼鏡いらずでしたね…本当に神席だった…




九段下に着いたらいるわいるわ赤コーデの女の子たちが!あ~失敗した!
メンバーカラーがまったくわからないので今日は私はいったい誰のファンなんだというね…
アンジュルムの現場って本当に女の子が多いんだけれど「!?」っていう公式Tシャツを、
みんな自己流にかわいくコーディネートして来ていてえらいしすごいと思う。


蒼井優御大と菊池亜希子氏による『アンジュルムック』発売の関係なのか、
これまでのハロプロにはないイラストを用いたTシャツもよく見かけ、
そのイラストは武道館の演目の看板にも用いられていたのですが、
イラスト自体はまったく問題ないのに看板のデザインが…もっとなんとかなったろ…
"「オシャレ」×「クールハロー」"の大失敗例を見てしまった感。。


女の子のファンが多いからなのかはよくわからないけれど、グッズ販売列が鬼でしたね…
だって私が並び始めた開演約2時間前でも最後尾は武道館の最初の門にすら入れず、その前で折り返してるんだぜ!?
幸いその後、案外サクサク列が進んだので運よく売り場にたどり着けたものの、
並んでるときは"絶対に開演に間に合わないだろうけれどとりあえず並んでみてる"っていう。
結果、生写真を爆買いしてしまった…!
さすが卒業公演、それなりの用意があった模様。






48グループが株を落としまくっているこのタイミングで、
「それと比べてハロプロは~」とハロプロアゲな流れや雰囲気が、
いまの日本の女子アイドル界隈にある気がする。


そこで真っ先に主張されるのは「ハロプロは女性に人気!」という部分。
これは48グループと同じプロデューサーとはいえ、
坂道グループが女性に人気があることと中身は違えど似たものであると思う。
ただ、ハロプロはそれこそ20年以上の歴史があるにも関わらず、
なぜいまになってそのようなかたちで注目を浴びているのかと考えれば、
それはやっぱり運営がめちゃくちゃにヘタクソだったんだろう。




そして『NGT48』の一連の事件・トラブルの際に、
「なぜプロデューサーの秋元康が表に出てこないのか」という声がよく聞かれるけれど、
それと同時につんく♂ハロプロ全体をフルプロデュースしていたときに、
ハロプロの不振を「ぜんぶお前のせいだ!」と、
つんく♂に矛先を向けていたファンが一定層いたことを思い出す。
私も、どちらかというとそっちのひとであった。
いま一線から退いたつんく♂は神格化レベルの再評価を受けているけれど、
要するに「プロデューサー」と「運営」はまったくの別物であるということが自分のなかで合点がいったようなところもある。


だって、『スマイレージ』のメジャーデビュー曲『夢見る 15歳』の先にあるであろう、
あやちょの卒業シングルタイトル曲『夢見た 15年(フィフティーン)』に、



かの、つんく♂が関わっていないのだ。
(その代わりといっちゃあなんだけれど盟友である福田花音ちゃんが作詞を手掛けている)


そういうことなんだろう。
それでもやすしは出てくるべきだったけれど。




あやちょ卒業公演は私がアンジュルムに射抜かれた武道館で行われることになった。
私が初めてアンジュルムの武道館公演に行ったとき、よく覚えていることのひとつに、
"チケットが売れていない"ということがあった。
正直、当日の現場で、アンジュルム自身の口から「なんと!当日券で100枚以上売れました!」的なことを聞かされたときはわけがわからなかった。


本公演は、「和田彩花が卒業する」というハロプロの歴史に関わるオプションがあり、
さながらチケット争奪大激戦という様相で、私もかなり頑張ってチケットを手に入れた。
けれど、それでもいまのアンジュルムは平日の武道館をオプションなしで埋められるポテンシャルは備わっていないのだろう。


けれど、きっとこれは私自身が「平日の興行」に慣れているからこそ、
その現状にめちゃくちゃびっくりしてしまったというところもおおいにある。
そして平日の興行にわりと参加できる恵まれた環境にいるせいで麻痺しているところもあり、
"アンジュルムが平日の武道館を埋められない"というのは当時かなりの衝撃だった。
だって、アンジュルムのライブ、本当にすごかったんだもん。
そしてあまりにも素晴らしい「武道館のアンジュルム」を見たあとに見た、
パシフィコ横浜アンジュルム」は、ちょっと悲しくなってしまっていた。
「武道館のアンジュルム」が完全に自分のなかでデフォルトになっているため、
パシフィコ横浜アンジュルム」でさえも、とても窮屈そうに見えてしまったのだ。


それなのに、彼女たちの次の会場はライブハウスである、次はホールであった。
「ライブハウスのアンジュルム」も「ホールのアンジュルム」も見てみたい。
でも、それよりもずっとずっと、私は「武道館のアンジュルム」が見たいし、
なんなら「東京ドームのアンジュルム」が見たい。
もちろんファンとの距離が近いライブを好むアイドルがたくさんいることは知っている。
それでも私はいちアイドルのファンとして、自分の好きなアイドルが大きな会場で、
たくさんのペンライトの海に囲まれている光景が見たいし、
世界で一番美しいであろうステージからの光景を見てほしいと願ってしまうのだ。


正直、和田彩花というひとの卒業コンサートの会場は武道館でも「狭すぎる」と思った。
実際にチケット争奪戦にはなったものの、
あやちょはもっとたくさんのひとに見送られて卒業するべきだと思ってしまう。
それは、ステージ正面のスタンド席が関係者席だったのだろう、
赤いペンライトがほとんどないにも関わらず武道館のキャパに対して結構な割合を占めていたそのエリアが目立って見えたから余計にそう思った。
もちろんそこには蒼井優御大も夫婦で駆けつけていたようで、
前列の3人くらいペンライトを光らせていたうちのひとりだったりしたのかな。
でもダブルアンコールのとき、そのエリアにはすでに誰もおらず、なんだかなぁと。
もっと大きな会場だったらこんなこと気にならなかったんだろうなぁって。


何回と武道館という会場にたどり着いても、結局はライブハウスに戻ってきて…というルーティーンがあるということを知ったとき、とてもびっくりしたしショックだった。
そらそんな感じで10年以上も活動を続けていたら、
たとえ現場主義の圧倒的パフォーマンススキルがあるにせよ、
逆にそれでよくも10年以上も頑張れたもんだなぁと冷静に思ってしまう。


たぶん私は、きっと「ハロヲタ」にはなれない。
そのルーティーン自体のことを「つらい」と思ってしまうし、
数回しか参加したことのないハロプロのライブにおける内輪感がとても苦手なのだ。
そしてたぶんその内輪感はルーティーンが生み出したものだと思うからだ。




そんな非ハロヲタが過酷じゃん…と思うなか、幸いにも、と、感じたことは、
今回卒業する和田彩花ちゃんは、そんな環境にいながらも、
アンジュルム』のことを心から愛していたのが伝わってきたし、
卒業を発表したあとも後ろ髪を引かれているかのようなアクションがたびたびあったことだ。
つらいこともたくさんあっただろうけれど、あやちょはあやちょできっと幸せだったのだ。
それは本当に心から良かったと思う。


なにより、私が「内輪」だと切り捨ててしまうファンとの関係に、
あやちょはとても励まされていたことも、今回の公演でよくよくわかった。
それは他のメンバーのMCなどからもたびたび知ることができるものでもある。


けれど、「アンジュルムでいることの幸せ」と「人生」は別物である。
ここで卒業を決断したあやちょのことを自分と同じ「働く女性」だと思えば、
寂しいけれど、心から祝福して送り出さなけばならないと思った。
たとえそれが、自分の大好きだった『アンジュルム』がなくなってしまうきっかけになってしまうかもしれなくても。






素晴らしい卒業コンサートだった。




それにしても、アンジュルムはキラーチューンばっかりである。
ただでさえ楽曲が強いのに『夢見る 15歳』のイントロが鳴ったときは本当に参った。
「イヤフォンで」と全力で叫んだ。
文字どおりアンジュルムというグループのプロローグを飾った『大器晩成』という曲が、
いまこうして押しも押されぬアンセムソングになっているのも感慨深い。
いつだって最高潮でライブ本編を終えられる。楽曲って成長するものなんだなと知った。
本公演に至っては、歌詞が、あやちょにも私を含むあやちょ以外のひとにも向けられているような気がして、とにかく会場中のひとすべての背中を押していたように思う。
サンキュー卓偉すぎる。


本公演は、私のなかのハロプロのステージセットのイメージを覆すセンターステージや、
繊細かつ主張のある素晴らしいライティングがとても印象的だった。
金テープ発射から畳み掛けるような赤銀テープ発射もものすごかった。多幸感。




本当にずっと泣いていたのだけれど、アンコールは泣きながらも全力でしました。
ぼっち参戦だったけど、まったく恥ずかしいとかなくて、とにかくあやちょの名前を呼んだ。
これができるのはいくら女性ファンが多いとはいえ男性ファンが多い現場ならではだなぁと。




アンコール明け、ひとりでステージに現れたあやちょの美しさよ。



真っ白なオールインワンのお衣装が綺麗すぎる。
卒業ドレスはあやちょの美しいボディラインが際立つものでありながらパンツルック。
こんな卒業ドレス、見たことないし後にも先にもあやちょだけだと思う。
あやちょらしすぎるチョイス。


モーニング娘。』の道重さゆみ卒業コンサート以来の、手紙なしの挨拶だったそう。
「アイドルの解釈を広げるために」なんて言うアイドル他にいますかね?
そんなに「私、卒業します!」という感じのスピーチではなかったにも関わらず、
こちら側に語りかけてくるあやちょ。
メンバーとスタッフにも語りかけていたあやちょ。
卒業するあやちょから、周りが送り出されるかのような、唯一無二の卒業セレモニーでした。


あのドレスのあやちょがひとりでスポットライトに照らされ歌っている。
卒業するあやちょはまぎれもなく「主役」でした。







センターステージからあやちょがゆっくりとメインステージに向かう。
気がつくと、メンバーたちがそこで待っていた。


あやちょが花道を歩いてるときに武道館が静寂に包まれた。すごい時間だった。
あんな、まるでそこに誰もいないかのような無音の空間、初めてだった。


ここでの衣装が十二人十二色のバラバラ衣装なのがアンジュルムすぎる。
そしてあやちょは衣装を替えて奈落からレッドのパンツスーツで再登場。



ステージサイド席からは奈落の真上がまんまよく見えるので、
あの穴からあやちょが!!!!!はよ!!!!!という感じでした(笑)


メンバーたちからのあやちょへのことばも、もうザ・アンジュルムというか。
涙あり笑いありとはよくいうものの本当にそれで。
とにかく本当に仲のいいグループなんだなぁってよくよくよくわかった。
涙も笑いも、そんなことがとてもよく伝わってきた。
私はそんな『アンジュルム』が好きだ。本当に大好きだ。



メンバーからのことばが終わって残るは二曲。
その二曲は『46億年LOVE』と『友よ』。
「卒業」という行事を忘れそうになるくらい楽しかったけれど、
終わってほしくなくて一緒に歌いながら涙が止まらなかった。
ペンライトを振りながら「あやちょ、ありがとう」って何度心の中で叫んだかわからない。
おこがましいけれど、一緒にステージに立っているような、そんな感覚になった。


こんなに明るいラストだったのはやっぱり『アンジュルム』だからだ。
何度でも言う、『アンジュルム』が大好きだ。




アンコール含む公演が終わっても、私は会場の多くのファンと同じように、
ダブルアンコールで「あやちょ」と叫ばずにはいられなかった。
あやちょへの想いがあふれたままでどうしようもなかったから。


ダブルアンコール、まさかあやちょがもう一度出てきてくれるとは思わなかった。
ささっとステージに現れ、メインステージの中央でぺこりとお辞儀をしたあやちょ。
そして本当に彼女はステージから去っていった。
そのときの所作は控えめで本当にあやちょらしかった。




文字どおり、「アンジュルムの第1章」はこうして幕を下ろした。
"和田彩花が『アンジュルム』を卒業する"ということはそういうことなのだ。




あやちょ、本当に、本当にありがとう。
そして、おつかれさまでした。
あやちょのおかげで私は大好きな『アンジュルム』に出会うことができました。
和田彩花」のこれからが素晴らしいものになるよう、心から願っております。
ご卒業、おめでとうございます!







オープニングアクト
眼鏡の男の子 / BEYOOOOONDS

オープニングVCR
1.赤いイヤホン ※アルバム新曲
2.愛さえあればなんにもいらない
3.出過ぎた杭は打たれない
4.恋はアッチャアッチャ ※シングル新曲
タイトルVCR
MC(矢島舞美の手紙朗読)
5.夢見る 15歳
6.ミステリーナイト!
7.忘れてあげる
8.帰りたくないな。 ※アルバム新曲
VCR
9.スキちゃん(和田・伊勢・太田)
10.私、チョイとかわいい裏番長(上國料・笠原・船木・川村)
11.嗚呼 すすきの(室田・佐々木)
12.私の心(中西・竹内・勝田)
13.シューティングスター(和田)
14.交差点
15.夢見た 15年 ※シングル新曲
MC
16.次々続々
17.ドンデンガエシ
18.マナーモード
19.泣けないぜ…共感詐欺
20.大器晩成

EN1.ぁまのじゃく (和田)
★あやちょからファン・メンバーへの言葉
EN2.旅立ちの春が来た
MC(コンサートの感想・あやちょへのメッセージ)
EN3.46億年LOVE
EN4.友よ

ダブルアンコール

2019年がもう半分終わりそうなんだけど、俺のK-POPがいまだにカムバックしない。

気がついたらもう2019年折り返す勢いやん。
日本に至っては元号まで変わってるやん。
それでもいまだ俺のK-POPがカムバックしてないんですけどこれはどういう…?


「いまのK-POP」がかつて私が熱中していたK-POPではないことは知ってる。
K-POPっていうコンテンツ自体の在り方がここ1~2年でずいぶん変わったのも知ってる。
それに対して単純に私が「おもしろい」と思えなくなっているのが原因なのも知ってる。




K-POPって「おもしろい」から好きだったんだけど、
最近のK-POPって「おもしろい」んですかね。


「おもしろい」と思うこと自体に関してはこればっかりはひとそれぞれなので、
「おもしろい」と思っている方に対して水を差していることもわかっております。すまん。




個人的に、"アイドルを「おもしろい」と思うこと"自体に、
どこか負い目を感じるようになってしまった昨今。
これは日本の『NGT48』の件もおおいに関係しているし、
それと同じように韓国のアイドルに対しても「おもしろい」かどうか以前に、
アイドルを「おもしろい」という対象にしていいいのだろうかという壁という壁にぶち当たりすぎているこの現状なんなんですかね。そしてその壁があまりにも多すぎないか。


いまは正直、「アイドルが好きだ」ということも、ちょっと口に出すのがはばかられる。
これは恥ずかしいからとかじゃなくて、いまのアイドルの置かれている状況に対して、
あらゆる面で全肯定できないという意である。


でも、そんなことかなり前からあった。
日本のアイドルしか知らないときなんてもう全肯定どころか、
ありとあらゆることに対して異議アリ!という感じであった。
まして全肯定だなんてそんなことアイドル関係なく世の中できないことだらけだ。
でも、K-POPアイドルってそういうのを蹴散らすくらいおもしろかったんだよ。
だからいまそう思えないの、本当に…好きだったから悔しいなぁというか。





そんなシケた顔した私にとって希望のような存在もいらっしゃいまして。
2019年上半期のハイライトは間違いなく『ITZY』(イッジ)のデビューです。



下手すると、2019年唯一のハイライトになりそうな気もしていて、
まじでK-POPがんばってくれ…の気持ちなんですが。



『ITZY』のデビューはあらゆるK-POPファンがみんな元気になったような気がして、
これがアイドルのパワー…!って感動したんですよね。




リアちゃんにオンニって呼ばれたい。


初っぱなからこのどメジャー感でブイブイいわせられるのは大手事務所ならではだし、
大手事務所がするべき大手事務所の仕事だと思う!JYPは本当にえらい!


『TWICE』デビュー時も「アジアンガールズパーティーや!」って盛り上がったけれど、
"TWICEがいけて、『ITZY』もいけた"、みたいな流れとしても綺麗すぎて。


大衆ウケってのはまぁウケてみないことには…という感じでまだよくわからないけど、
ちゃんと売ろうとして、いまどんなアイドルが求められてるのかっていうのをあざとく狙っていくのは大切なことだし、
それを大手事務所がやることで他が違うスタイルで戦いにいけるんだよね。
シーン全体のテンションを引き上げることができる。


いまは中小事務所もこれまでは考えられなかったようなすごい売れ方をするところがあって、
大手だけが特別みたいな時代ではないと思うのだけれど、
『ITZY』のデビューはやっぱりさすが大手芸能事務所様だわ~って心底感心してしまった。


なんか…そういう業界みんなでもりあげてこー!みたいな雰囲気、最近はあまり感じません。
こちらも知りすぎてしまっていて安易に各所にもっと頑張れとか言いにくいんですけど、
なんかその代わりが『Produce 101』シリーズを仕切るCJ E&Mを取り巻く環境になってるのかな、みたいな。
来日K-POP合同イベントが露骨にプデュ同窓会みたいになってるケースが多すぎて。
これ言うの何度目やねんて感じですし、それが悪いわけじゃないんだけど~~~~~~。
実際、きっとそのシステム(?)になって救われてる中小事務所は確実に多いだろうから。




閑話休題


『ITZY』も『TWICE』もわかりやすくて明るくて景気がいい。
しかもふたつともベクトルが違うのにデビューのタイミングでちゃんと売ることができるのは本当にすごいしえらい!
とくに「景気の良さ」をしっかりとアプローチできるっていうのはなかなか中小事務所には容易にできない部分だと思っています。


『TWICE』に関しては知らんうちに日本の女子小中高生らに大・大・大人気になっていて、
知らんうちに知らん日本オリジナル曲がガンガンにリリースされているのもヤバイ。
とくにびっくりしたのが『BDZ』なんですけど、いろんな意味でヤバすぎです。



えらいこっちゃ。


最近のK-POPアイドルの日本活動の傾向として多い、本国のテイストをそのまま輸入なんていうことをTWICE様はしないんじゃ!
『TWICE』は日本における『TWICE』の戦い方をもう完全にわかってるのが強すぎます。
これが「本当に売れてる」っていうことの証明ですよね。


"何しても売れるから"で、どんどんつまんなくなっちゃうグループもたくさんあるけど、
"何しても売れるから"で、どんどん攻めてくれるTWICE様よ。
BTS』もそういうところは本当にすごいですよね。



平井カム、ほんと元気出る。


男子アイドルの多くのようにファンダム頼りありきというわけにはいかないながら、
第一線にいて恐れずに次のステップを歩むということを見せてくれているということ。
それも健康的で明るいイメージを維持しながら、
どメジャー感全開で突き進んでおられる姿はもうご立派としか。




そんな『TWICE』と『ITZY』にも縁の深い、
『I.O.I』出身メンバーであるチョン・ソミちゃんがついにデビューした。
プロジェクトグループ『I.O.I』のセンターを務めた彼女のソロデビューまでには、
まぁいろいろあったんでしょうが、なんと3年という期間がかかった。
そしてようやくのこのたびのデビューも凄まじい荒波のなかでのものになってしまった。



『I.O.I』再結成のアナウンスもこのタイミングかよ…と思ったのは、
ソミちゃんが参加しないことが発表されたからだ。
しかしYGエンターテイメントのクリエイティビティはこんな渦中にありながらさすが…


ソロデビュー曲の『BIRTHDAY』というタイトルが本当にまぶしい。
ソミちゃんのバースデー、おめでとうだよ。




と、ガールズは『ITZY』を筆頭にまだおもしろいって素直に思える部分があるので、
(ソミちゃんのデビューのタイミングについては決しておもしろいというわけではない)
2019年もあと半分ですけども、ボーイズたちまじでがんばってくれ…と思う。
こういうときにやっぱり「ファンダム」というもののデカさは実感せざるをえないですね…





これはいよいよか…という気がしているけれど、
やっぱりアイドルを好きでいたいんだよ~~~~~。
なにがどこまで繋ぎとめてくれるんだろうかと日々思っています。


さ、さみしすぎるんですけど。
好きなものがなくなっちゃうの本当にこわいんですけど。

芳華-Youth-

物語の舞台は1970年代の中国、激動の時代に在った、
"軍で歌や踊りを披露し兵士たちを慰労し鼓舞する歌劇団・文工団"。
映画が始まって、私までいきなり知らないところに連れてこられたような気分だった。
なにもかもわからない。どうしていいかわからない。
いや、観るしかないんだけど。


本作は群像劇も群像劇、登場人物それぞれが映画のなかで自分の人生の主人公であった。
だから私自身も作品のどこにいて見ていればいいのかずっと迷っていたのだと思う。
そこで描かれる彼らの青春は生々しかった。正直いじめを描くとは思わなかった。




宣伝ビジュアルが華やかで鮮やかでとにかく目を引く。
これに導かれて観たようなものだし、



なにより想像以上の悲しさを、「美しい青春」としてかたちにしてくれている。
ビジュアルはイメージだけれど、それでも私にとっては救いだ。




戦時下にある彼らの青春の華やかな部分はものすごく簡単に奪われる。
このふたりが主役だよね?、と思っていたふたり、シャオピンとリウ・フォンが、
主役らしい待遇を受けていたのは最初のほうだけで、
彼らの人生もいとも簡単にチェスの駒のように動かされてしまう。
彼らは決して特別な存在ではない。
ふたりは他の登場人物たちと同じように自分の思うままに振る舞っただけなのに、
文工団から過酷な戦地へ送られ、とてつもない惨状のなかにしか居場所を得られなくなる。
これが戦争か。こうなることが「主役」なのか。
美しい映像で忘れがちになるけれど、戦時中なのだ。




素晴らしい舞踏で魅せてくれたシャオピンを演じたミャオ・ミャオさんは、
なんといま現在30歳だそうで…!どう見ても17歳だったぞ!?
そしてリウ・フォンを演じたホアン・シュエンは、



本作では舞踏のシーンこそなかったけれど、彼こそ北京舞踏学院の演劇部出身で、
CMなどでバリバリダンスしているという。お目にかかりたかったな。




徹底的に「文工団」という場所をベースにしていたのがよかった。没入感がすごい。
"彼らの青春はここに閉じ込められている"という閉塞感がつらくもあった。
ここにいるしかないのか。だからいじめなんてもう最悪で、逃げ場がないのである。
ここにいるしかないからここにいることを望む。ここがすべてなのか。これが戦争か。


映画が終わって、とても悲しくなってしまってものすごく脱力していた。
映画『主戦場』の余韻がまだまだ強く残るなか、
タイミングもあって無理矢理観たのでいつも以上に疲れたのかも。
スクリーンの外にある映画館の椅子に座ってからなかなか動けなかった。

主戦場




素手でノーガードの殴り合いである。
その名のとおり、そこはまぎれもない「主戦場」であった。



そう、「主戦場」。



ファイターよろしく出演者たちが言葉を放つたび、こわかった。
人間が考えていることや思っていることを言葉にして発することがこんなにもこわい。
自分のこと以外の人間のことは当然「わからない」にせよ、
絶対に「わかり合えない」ことがあるのだ。知らなかったわけじゃないけれど。


でも気がつくと殴られていたのは私だった。
アッパーくらって脳震盪を起こしている。ずっと頭が痛い。





ところが。


匿名での暴力がインターネットに当たり前のようにあふれかえっているいま、
生身の本物の人間が、こういったかたちで映画に登場するだなんてすっごいな~~~!
と、思っていたら、



なんか揉めてたんですけど。
こうなってしまうと、こちら(私)の映画に対する姿勢も変わってきてしまう。




ハイテンポかつクールなスタイルでグイグイ惹きつけて、
それでいて一貫してドライな視線であったのがよかったのに。


本作は「ドキュメンタリー映画」と謳ってはいるけれど、それではないと思う。
映画が伝えたいことを理由に「悪役」として描かれているひとがいるからだ。
終盤の制作側の主張はかなり強いものだったけれど、それでもスマートだった。
だからこそこちらも作品の姿とパワーをそのまま受けとめていたのに、
こんな感じで揉めちゃってるの、なんか後味悪いというか…




映画の外で、"誰が「悪」だ"みたいなことにはなってほしくなかった。
作品の主張のなかに「悪役」が存在することを否定するつもりはないけれど、
「悪役」としての配役がなされた経緯のようなものが、
こういったかたちでハッキリと知らされることになってしまったのは、残念すぎる。
こんなこと言ったら、だからこの国は変わらないだのと言われてしまうのだろうか。
とにかく、一連のいざこざを知る前に観ることができて本当によかった。




映画では、韓国のアイドルに触れていると、どうしてもぶち当たる従軍慰安婦問題について、
なにがどうしていまもこんなにこじれてしまっているのかということが、
貴重な資料と過去のメディアというメディアを遡って、とてもわかりやすく説明されている。


その点では本当に見るべき映画だし、見なければならない映画なのだけれど。
なんかケチがついちゃった感じで惜しいな~悔しいな~。
「ここが本当の主戦場(ドヤ」とか言いだしたらどうしよう。
そんなオチだったら本当に萎えるんですが。



と、いったんは思ったりしたんですけどね。



逆を言えば、"慰安婦問題がなぜこんなにこじれてしまっているのか"ということを、
本来伝えるべき立場のメディアが、この映画の「ケチ」をきっかけにようやく動いたのだ。

この映画にようやく引っ張り出されてきたというべきか。
このことで、いまの日本の報道機関の在りようの一端があぶりだされたようなものだ。
そういった意味で、この映画の功績はとてつもなく大きい。


そして、こんなにも国にとって都合の悪いことを私たちの目に留まらないようにする力が、
現在進行形で動いているという事実はショックだった。
これは知らなきゃいけないことだと思う。
それらは映画そのものだけでなく、映画を取り巻く環境も含めて物語っている。
たくさんのひとに観て欲しいと願う。