ミーハーでごめんね

ミーハーでごめんね

I AM LOWBROW, AND I'M SORRY.

VIXX 「Shangri-La - 桃源郷」 ミュージックビデオ

私は彼らをナメていた。


激戦期!、のなか『VIXX』がカムバックしました。





涙でた。




このひとたちすごい次元に行ってしまったのだと。


前作・ギリシャ神話コンセプト3部作の最後を飾った『The Closer』からの流れを、
しっかりとオリエンタルな雰囲気に昇華しつつ、深みが増している。


このあいだの『BTOB』のカムバックでも似たことを思ったけれど、
ちゃんと、「デビュー5年目」ということをふまえたうえで、
"イマのVIXX"にしっかりとフィットした作品になっていて、なんだかすごくすごく嬉しい。


静けさがただようなか、ドラマチックに展開する楽曲も美しい。
そして「ダンス」というより「舞い」といったほうがいいくらいしなやかな躍動が、それに呼応する。
文句ナシの「表現者」としてのVIXXの姿がそこにありました。




VIXXって個人的にミュージックビデオはあんまり好きなものがなくて、
今回も好きかと言われたらそんなにそこまで、って感じなんだけど(おい)、
カットのひとつひとつが画としてとても綺麗で、
立っているだけで画になるVIXXのお兄さんたちの所作が見事に楽曲にマッチしております。
さすが「被写体力」のVIXX!!!!!(なんじゃそりゃ)


個人的には「コンセプト・ドル」というよりは「パフォーマンス・ドル」のVIXXなので、
シンプルに形態のカタチをしっかりとかたちどった美しいラインがダイレクトに映るダンスショットがたまらない。
こんな演出が見たかった!


今回のミュージックビデオを手掛けたのはETUIさんというところだそう。
アート・ファッション系に強いっぽい。(あさっ)




VIXXが再三やってきたこれまでダークなコンセプトに飲まれなかったのは、
『VIXX』という存在そのものがものすごく「健康的」な素材だったからだと思うのです。


それがどうですか、今回のお兄さんたちは!
なんならもう馬乗りにして縛ってくれよといわんばかりのあぶなっかしいっぷり!!!!!
ホンビンなんて花のベッドに押し倒されちゃってるしぃ!(妄想、ではない、はず)
ストイックとエロスのはざまでゆらりゆらりとするその姿。


新たに映し出されている6人の男性は、まぎれもなく美しい。


繊細さと力強さが共存している、このにはりつめた緊張感のある現場に、
表現者」として存在していられるひとは、なかなかいないと思います。




流行りではないかもしれない。特別売れているわけではないかもしれない。
でも『VIXX』は、ちゃんとひとつひとつ階段を上がって、
自分たちなりの描いているであろう"大人の男性"へと変化を遂げている。


『桃源郷』という激シブタイトルを配置した、トンデモコンセプトフォトを見たときには、
「ネタ」なのか「マジ」なのかわからなくて、まじで困惑したのだけれど、
それらごと背負ってしっかりと自分たちのものにしてアウトプットできるポテンシャルよ。
たった6人でこれだけ美しい世界へと導いてくれる『VIXX』、本当にすごいです。

VIXX ミニアルバム4集「桃源郷」 コンセプトフォト "Birth Flower"


なんだこれ(笑)




桃源郷て(笑)




コラかて。
時代劇ミュージカルのポスターかて。
お酒の広告かて。


一億総びょるぴの皆さま、ごめんなさい。
最初、私にはこれは「ネタ」なのか「マジ」なのかわからなかったのです。





でも、彼らが「マジ」じゃなかったことなんて一度もないんだよ。




だってアルバムパッケージが、

お歳暮かよ(笑)


しかも、二種類(笑)



ビジュアルイメージも手厚く二種類用意しているのです。
こちらは『"Birth Stone"』というタイトルが。なるほど。




それにしても、やっぱりやりすぎK-POP激流のティーザーの類にしてはシンプル。
「被写体力」のあるVIXXのお兄さんたちだからこそ成り立つビジュアルですよねー。
これだけそぎ落としたポートレートでガッツリ勝負できるアイドルはほかにいない。


今回のビジュアルはこちらの想像力なんてものをいっさい寄せつけない世界。
余白をつくって雰囲気で逃げることなどハナから考えていないキョーレツさなのです。




続々公開されていいくスポイラーなどから、


彼らははもう後戻りできないのだと、


ひしひしと思い知らされるのです。




"西洋のファンタジーコンセプト"のあとは"東洋のファンタジーコンセプト"、なのだそうで。
「パフォーマンス」より親しみやすさやスマートさがウケている印象のあるK-POPシーン、
けれど「コンセプトドル」は今回もそんなのはガン無視です(笑)


個人的には5年目だし、そんなにもう肩に力を入れんでも…、なんて思ってしまうのだけれど、
「マジ」な彼らは、これからもひとつひとつコンセプトを消化しながら、
グループの成長とともにより「コンセプトドル」として確立されていく覚悟のようなものを、
ことばに出さずとも、しっかりと心に決めているのでしょうね。
じゃなきゃこんなコスプレいやだよ(笑)
っていうかこれまでの実績がなきゃこんなコスプレがサマになっちゃったりしないよ(笑)


これも事務所であるJELLYFISHエンターテインメントが、
タレントと意思疎通できている証拠ですよね。
とくにクリエイティブに積極的なラビとかがグレない(語弊)でちゃんとチームのイロモノコンセプトに参加するっていうのは本当にすごいことだと思います。




さて、『VIXX』がデビュー5周年を迎えるにあたり、
12日からの単独コンサートからの今回のカムバック、そして展示会(なんだそりゃ)と盛大に催しを行うようで、
そんなところも、誠実に経験を重ねてきたVIXXのお兄さんたちだからこそ、
こうしたまわりの能動的な動きもあるんじゃないかと。愛されてる。


激戦期だけど、着実に今回もVIXXの歴史に刻まれる活動になってほしい。
そうやって一歩一歩、歩みを進めてほしいのです。
そうしてどんどん確固たるポジションを築いていってほしいのです。


カムバック・リリースは5月15日!
"『TWICE』と!同じ!"と覚えてください(大号泣)

帝一の國

もう、まず、公開されたメインキャスト6人のビジュアルが最高すぎました!


原作漫画はまったく知らなかったのですが、
このキービジュアルからキャラクターの魅力があふれまくっている!
なかでも、氷室ローランドに扮した間宮祥太朗ね。これはもう負けた。
これだけキョーレツなザ・二次元ビジュアルでありながら、まったくコスプレになっていないんですよ。驚き。


そしてこのメインキャスト陣は「全員が主演を張れる若手イケメン俳優」と言われながらも、
全員が赤レンジャー以外もしっかりと務めることのできるイメージの守備範囲の広さに安定感がある面々。
そんなキャスティングの絶妙さもうまいですよねー。


このメインキャスト6人が揃ったところが見たくて映画の宣伝はわりとマメに追っていました。
まるでアイドルグループの活動を追いかけるような、そんな感覚。
映画の公式ツイッターアカウントから垣間見える「わちゃわちゃ」をそのままメディアで見ることができて、なんかもう本当にありがとうございました!
6人で表紙を飾った雑誌『BARFOUT!』も購入しました!
竹内涼真くんに限っては録画してあった『チョイ住み in リスボン』を見返すほどであった。。
本当にNHKさんには頭があがりません。。みんなも再放送を見てくれ。。(うわごと)




そんなこんなで映画鑑賞前からかなり満足してしまっていて、
もしかしたら「映画本編は宣伝より楽しめないんじゃないか」という謎の不安を抱えながら、
「それでもはやく観たい!」という気持ちと「楽しみは後に取っておきたい!」という気持ちがせめぎ合い、
結果、わりと早めに観ることになりまして。


前述のとおり、観る前から相当テンションがあがってたので、
ぶっちゃけ「そんなに期待はしてはいけない!」と冷静を装って劇場へ。




もうね、




失敗した。




正直に、率直にいうと、
映画の世界観が、宣伝でわちゃわちゃしている男子6人に勝てなかった。
今回、フィクションが現実に勝てなかった。




実はこの「失敗」、過去に一回経験しています。
それは2012年に公開された映画『黄金を抱いて翔べ』での出来事。
そのとき私は出演した『東方神起』のチャンミンに夢中になるあまり、
映画を観る前から映画を知りすぎてしまっていました。


本作鑑賞後、そのときを思い出しては、「ああ、またやっちまった…」と後悔先に立たず。
でもさー、役者を含むコンテンツの魅力には抗えなくない?(開き直り)
…自分をなぐさめたい、、、、、、、。




作品はとてもよくできていました。
これだけメインキャストに「若手イケメン俳優」を揃えておきながら、
役者目当てのファン以外にもしっかりと魅せることができる作品っていうのが本当にすごい。


ストーリーもうわべだけでなくて、
生身の人間が演じることで登場人物の「心」が感じられてよかった。
こういうのが実写化の醍醐味ですよねー。
既存の設定の説明がなくても「なんとなく」わかるようになっているのもうまい。


漫画実写化のキモとなる「画」のクオリティも見事にクリアしていました。
いまの時代によくあったセンスのいい演出やカメラワークもとってもよかったです。
コメディーとシリアスのバランスも絶妙で、テンポがよくて飽きない。


あと、クリープハイプの主題歌をはじめ、音楽のつかいかたがすごくよかった!
映画『るろうに剣心』シリーズでも思ったけれど、
少年漫画原作作品とロック音楽がうまく融合するとこんなにイキイキとした作品になるんだなぁと。




メインキャスト。


菅田将暉は先日のドラマで証明した「カメレオン俳優」っぷりを見事に発揮していたし、
あの振り切ったやりすぎ演技はもう他にはできるひといないでしょ、と、大納得。
吉田鋼太郎とのシーンなんて、菅田くんのレベルがまたあがっちゃったんじゃないっていうくらい同じ熱量で応戦していて素晴らしかったです。
あと、ビジュアルの作画が完全に原作漫画の古屋兎丸で、
そういうところも含めて本物の「カメレオン俳優」だなと。


野村周平は、すごくノムシューだった(笑)楽しそうでした(笑)
でもノムシューすぎて菅田くんと相対する役と考えるとちと演技が甘いかなと。
竹内涼真くんも志尊淳くんも、すごくマンガ的な役柄をちゃんと自分のものにしていてとっても良かったです。大鷹弾、結婚して。
志尊くんはいい意味で写真写りが良くないですよねー。動いてるほうが断然魅力的。
千葉雄大くんは、ちょっと物足りなかったかな。


メインキャストでは、やっぱり氷室ローランドの間宮祥太朗がすごかったです。
全体的に強烈なキャラクターのなかでも頭抜けて強烈なキャラクターなのですが、
あれをまるで演じてないかのような自然さで自分のものにしてたのがすごい。
顔が整いすぎていて、声が良すぎていて、役者としてかなり「濃い」ので、
彼がこれからどうなっていくのか、彼の俳優人生における出会い次第だなと。
とにかくこの年代の若手俳優のなかでは、しっかりと30・40代以降も活躍しそうな俳優さんだと思いました。


メディア露出している"メインキャストのわちゃわちゃ"が、とてもいい意味で作品にはまったく反映されていなかったことで、
彼らの俳優としての実力をしっかりと見れた気がします。
彼らはれっきとした「俳優」でした。


他のキャストも豪華で、古屋兎丸実写化作品に携わってきた若手俳優も目立っていました。
聞こえるぞ、岡田天音の時代の足音が!!!!!
ヒロインの美美子を演じた永野芽郁ちゃんもほどよい存在感で好印象。




ハナシは戻るのだけれど、予告映像もめっちゃくちゃ見てしまっていたので、
「画」として新しいものはとくに入ってこず。
幸い、ネタバレを目にしていなかったのだけれど、「これが予告のあのシーンに繋がるのかぁ」などと、
頭で無意識に整理しながら観ちゃっていたんですよね。だから楽しさ半減。
ストーリーもある場面を見たらなんとなく想像できちゃう。
きっとまっさらな状態で観たら、きっともっと楽しめたと思うんです。




"「若手イケメン俳優」大集合"だけれど、そんな謳い文句に反して、まったく安くない。
老若男女問わず楽しめる上質なエンターテイメント映画でした。楽しかったです(涙)

菅田将暉 @世にも奇妙な物語 ’17春の特別編「カメレオン俳優」

映像・舞台にと若手男性俳優が花盛りの昨今。
そのなかでも"「菅田将暉」という俳優"は、間違いなくトップ圏内に君臨していると思います。


彼の演技に関しては、「うまいんだけど、ちょっとやりすぎかなぁ」、みたいな印象があり、
若手俳優」というカテゴリーのなかでのびのびと自由にしているような姿と、
それがしっかりと認められて評価されていることへの羨ましさもあってか、
"「菅田将暉」という俳優"にあまり素直に歩み寄れない自分がいました。




ある日公開された『世にも奇妙な物語』シリーズで『カメレオン俳優』という短編ドラマが放送されるという情報。
その主役を演じるのが「菅田将暉」であるということに、まったく違和感はありませんでした。


「カメレオン俳優」という単語が、「菅田将暉」という単語に直結するということは、
彼のこれまでの実績からして、不思議なことではありませんでした。




凄まじい数の映画・ドラマ・CMなどでの露出で、
凄まじい数の役柄をひょうひょうと演じ切っている"「菅田将暉」という俳優"は、
「カメレオン俳優」と呼ぶになんの違和感もありませんでした。
なんてったって「菅田将暉って何人いるの?」っていう声が聞こえてくるもの。


彼の場合、所作や雰囲気で醸し出すタイプの「イケメン」であることや、
関西出身ならではの持ち前のノリの良さなども「カメレオン俳優」ということばにスッとたどりつくことができる大きな武器ですよね~。





期待はかなりしました。
だって"「カメレオン俳優」の「菅田将暉」"が、「カメレオン俳優」を演じるんですよ。
ある意味、自ら「カメレオン俳優」を名乗るかのような、果敢なチャレンジだと思うのです。




で、ドラマを視聴しました。







すごかった。




「やりすぎ」だと感じていた演技のイメージは、
短い尺のなかでものすごい振り幅を見せつけられることで、まったく気になりませんでした。
最後の劇中劇のシーンは、なぜかわからないけれど涙が止まりませんでした。




すごいものを見てしまった。




ただあっけにとられて"「菅田将暉」という俳優"の底知れなさにおののいてしまいました。
そこには、ラジオやここ最近での連日主演映画の宣伝でバラエティ番組などで見ていた「菅田将暉」はまったく姿を見せなかったから。




まだ彼は24歳。その「若さ」も、いま現在、専売特許になっていますよね。
彼は短い期間にものすごい数の経験を重ね、同世代のなかでは頭一つ抜けた存在になり、
いまや実力派俳優に並んでも遜色ないと思います。


"年齢と経験を重ねた実力派俳優"は数いれど、
「24歳」という年齢にしか演じられない役があるんです。
彼はいまの自身の年齢にしか演じることができない場所に城を建ててしまったのです。




どこまでいくんだ、"「菅田将暉」という俳優"は。




たった30分くらいの短い時間で、それをすごく突きつけられたような気がして、
いまも頭がぼーーーーーっとしています。






そんないまをときめく菅田将暉くんですが、
なんと我らが宮澤佐江ちゃんと2回も共演しております。


1回目は映画『高校デビュー』。

個人的にはいまだにそのときのイメージが強い。
仮面ライダー』シリーズを経たのちの菅田くん初の映画出演の現場に佐江ちゃんがいたという事実は声を大にして言いたい。


2回目は配信ドラマ『あるジーサンに線香を』。

こちらは恋人(?)役でがっつり共演。
本当に、本当に、いまやこんな凄い俳優さんになるなんて本当にびっくりしています。



ふたりともめっちゃ若い(笑)


いまは全然更新されない宮澤佐江ちゃんのオフィシャルブログ(更新しろ)では、
「だーすー」や「菅田ちゃん」と呼ばれています。
菅田くんは佐江ちゃんのことを覚えているのだろうか。覚えていてくれ、頼む。


菅田くんと佐江ちゃんのまたの共演を願っているということだけ、ここに表明しておきます。

草間彌生展「わが永遠の魂」 / ミュシャ展

久しぶりに都内の美術館の大規模展覧会に足を運びました。
前回は確か東京都現代美術館でのこちらの展示になるのかな…!?まじか!


今回の会場は国立新美術館。
だい~~~~ぶお久しぶりの訪問。
乃木坂駅から直結の出入り口の先にあった長いチケット販売列に並ぶにはもってこいの快晴。
並んだぞー。いやー、大盛況で御座いました。




先に足を踏み入れたのは『草間彌生展「わが永遠の魂」』

世界を舞台に活躍する前衛芸術家、草間彌生(1929年-)。1950年代後半に単身ニューヨークに渡って以降、絵画、彫刻、インスタレーション、映像、さらには小説に至るまで、広範な活動を展開してきました。デビュー以来一貫して時代の最先端を走り続け、今なおその創作意欲はとどまるどころか、さらに加速しています。近年では欧米、中南米、アジア、そして日本など世界各地で大規模な個展を次々と成功させており、今や「日本が生み出した最も傑出したアーティスト」といっても過言ではないでしょう。本展では、2009年から草間が精力的に取り組んでいる大型の絵画シリーズ「わが永遠の魂」のうち日本初公開作品約130点を中心に据え、初期から現在に至る創作活動の全貌を約270点の作品によって総合的にご紹介します。

国立新美術館/展覧会概要


と。


煽り文句には「集大成」というパワーワードも。


もうアート界隈にはすっかり疎くなっていて、
もともと所持していたのは『ミュシャ展』のチケットだけだったので、
「あ、同じ美術館で草間彌生展やってるじゃ~ん。じゃあついでに。」、みたいな、
すっごく軽いノリで現地へ訪れたので、
どんどん明らかになっていく草間展の大規模っぷりにかなり驚くことに(笑)




チケット売り場を出てすぐのところにあるかぼちゃの巨大オブジェで、つかみはオッケー。


まず、会場に入ってすぐのエントランスにある草間彌生からのことばが、健気で繊細で。
次に最初の展示室に進むわけですが、ここに現在進行形中の作品シリーズ『わが永遠の魂』が巨大空間に展示されています。




そのパワーの圧倒的さたるや。




アクリル絵具で巨大カンバスに描かれていたそれらは、まるで戦いの記録のようでした。
現在88歳の草間彌生が、まっさらなカンバスに毎度、どうやって対峙しているのだろうかと。
それは想像するにはあまりに怖いもので、それに立ち向かう草間さんを思っては奮い立たずにはいられませんでした。
その感触は、かつて世田谷美術館で行われた『冒険王・横尾忠則』展を思い出したり。


そのただでさえ大空間の四方からの作品の圧力に圧倒されるに追い打ちをかけるべく、
中央に配置された立体作品も、これまた圧倒的でした。
もう本当に、一歩足を踏み入れては、その圧倒的な景色にくらくら。
たとえ、アートが好きというわけではないひとでも、これはなにかしら感じさせるものがあるはずだと思う。
生々しくて、禍々しくて、でも最高にポップでキャッチーなパワーあふれる大空間。
それはさながらひとつのインスタレーション作品とも言っていいのでは。


さらにすごいのは、その展示室がまるまる撮影可能という太っ腹っぷり。
近年、撮影可能作品は増えてはいるけれど、今回はもうなんか規模が違う。
そこかしこから聞こえるシャッター音が煩わしくなかったわけではないけれど、
こうして現在進行形のアートが拡散されていくということは、今後のアート界隈にとってもとても明るいことだと思いました。


そして、作品タイトルのひとつひとつがとても素敵なのです。




衝撃的なプロローグでもって出迎えてくれた草間展、
過去作品も惜しみなく展示されていました。
見たことのある作品も結構あったけれど、それぞれのそのインパクトは色褪せません。


興味深かったのは、まだ本格的にアーティストとして地位を確立する前の初期の作品。
そのなかに、いまでこそ草間さんの代名詞になった水玉柄を喚起させるようなものから、
お馴染みの網目の模様まであったのです。
すでに、このときにいまの草間作品の原点がしっかりと見えていたのが印象的でした。
彼女はずっと、同じ目で、同じ感覚で、制作活動を行っていたのだなということがわかったのが衝撃的でした。
そして、種苗業を営む家に生まれたことも、彼女の作品のルーツになっているのだなぁと。
かぼちゃなども含め、力強く根をはる植物のようなタッチの秘密が垣間見えました。




草間作品といえば、別世界へトリップできる大規模インスタレーションも目玉です。
それは、屋外に展示してあったかぼちゃであったり、美術館のロビーにある来場者参加型の作品であったり。
(真っ白な部屋にいちばん初めにシールを貼ったのは草間さんだそうです)
展示室にあった光の演出が美しい作品も含め、
カンバスに向かっている激しい草間さんとはまた違った、ある種のサービス的な、
「アート」という手法をつかって語りかけてくれる・歩み寄ってきてくれているという側面も見ることができて、
なんともおなかいっぱい大満足、「集大成」ということばにうそいつわりのない、大満足の展覧会でした。


また、美術館の外を囲む木々は赤と白の水玉模様の布で覆われており、
美術館がこの展覧会に並々ならぬ情熱を注いているのが感じられるのもすごく好印象でした。
他にもふとしたところに球体のインスタレーションがあったり。


ふだんはあまりグッズを購入したりはしないのですが、
今回はもうなんか本当にシビレてしまって、いま流行りのマスキングテープとミニメモ帳を購入。超かわいい。
マスコット人形(やよいちゃん人形)にも惹かれたけれど、価格を上げてもいいからもう少しクオリティを上げてくれ(笑)
そうやってグッズそのものにも、自然に作家性を反映させることのできる「アイドル」的な部分も草間さんの魅力のひとつですよね~。
以前、横浜美術館で開催されたアイドルをモチーフにした展覧会でも草間さんが取り上げられていたことを思い出しました。(かなり前です)
グッズ列も時間によっては大行列!凄いときは1時間待ちだとか。






次に向かったのは『ミュシャ展』
気がつけばすっかり草間展に心と体力をうばわれてしまっていたのですが、
いわば"当初の目的"であります(笑)

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。
美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-1926年)です。およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。
本展はこの《スラヴ叙事詩》をチェコ国外では世界で初めて、全20点まとめて公開するものです。プラハ市のために描かれた《スラヴ叙事詩》は、1960年代以降、モラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城にて夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはありませんでした。その幻の傑作が、80年以上の時を経て2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されました。そしてこのたび国立新美術館では、パリで活躍したミュシャが《スラヴ叙事詩》を描くに至るまでの足跡を約80点の作品を通じて辿りつつ、これら幻の最高傑作の全貌を一挙、紹介します。

国立新美術館/展覧会概要


どちらかというと、現代アートびいきなので、
チケットを持っているのはいいのだけれど「ミュシャ」という作家のブランドネームにほいほいついていったような感じっすね。(軽)




まだ草間展の余韻にどっぶり心も脳も身体も支配されているなか、
巨大すぎるカンバスに描かれた『スラヴ叙事詩』シリーズを目の当たりにし、
もうなんかわけがわからくなっていました(笑)


ミュシャといえば、あのイラストレーションにも思えるデザイン的な作品が思い浮かぶので、
「この『スラヴ叙事詩』シリーズってなんなの!!!???ミュシャってそんな昔のひとだっけ!!!???」とボーーーっとした頭のなかは大混乱(笑)
結局エントランスにある説明を繰り返し読んで頭にたたき込み、ようやく展示作品のアウトラインを理解したわけでです。




草間作品もでかかったですが、こちらはそれに負けじとも~~~~っとでかい。超でかい。
ある意味、草間作品とは対照的なベクトルによって制作された『スラヴ叙事詩』シリーズは、
コンセプトも、色合いも、タッチも、なにもかもが草間作品とはまったく違っていて、
そういう意味でもとてもおもしろかったです。


私の知っているイラストタッチ(アール・ヌーヴォー)の作品からは想像できない、
これまで知らなかった違ったミュシャ作品の数々。
晩年、故郷に戻り、つくりあげたその作品群もまたインパクトのあるものでした。
そしてアール・ヌーヴォー期の作品から漂うデザイン的な要素が垣間見えるのもおもしろかったです。


もちろんお待ちかねの、ザ・ミュシャ!、なリトグラフのポスター作品も惜しみなく展示。
こちらも充実した展覧会でした。






国立新美術館は、立地もさることながら、黒川紀章による超絶建築が本当に最高です。
それは外から見ても中から見てもとてもとても美しい。
太陽をいっぱい浴びることができて、広々とした空間が晴れの日にはあたたかさでいっぱいになるのがめちゃくちゃ気持ちいい!
たくさんのひとがそこで時間を過ごす様子も、眺めていておもしろいものです。
係員の方の対応の良さもピカイチ。(飲食のバイトスタッフはどうかと思うけれど)
そういった意味でも、アトラクション的に、また訪れたい!、と思う美術館のひとつですね。
開館当時はどうかと思った佐藤可士和さんによるロゴタイプやサインも、いまはすごく好き。
本当に楽しい時間を過ごすことができました!

Triple H コンセプトフォト












"キム・ヒョナの新しいユニット"として注目されている3人組男女混成グループ『Triple H』
5月1日にK-POP戦線に出陣です。


スンさんとのユニット『Trouble Maker』のヒットの実績もあるヒョナ。
まぁ、なんやかんや言われているところでは言われているらしいのですが、
「ヒョナ」というタレントのブランド力は健在ということで、何かと話題の様子。




ともあれ、コンセプトイメージがとってもイイ、好き!!!!!




ティーザーにファッションフォトやポートレートは数あれど、
ここまで私好みの(ココ重要)「ストーリー」を喚起させるものはなかなかないと思います!



ヒョナ先輩のイメージ像が軸になっているのは確かだと思うけれど、
出尽くした感のあるヒョナの代名詞であるビッチテイストの「セクシー」を、
さながら若き子分!、のふたりの男子を従えることによって、
また、シチュエーションをしっかりと設定することによって、
鮮やかに「キュート」・「チャーミング」に分解。


今回"ふたりの男子"に選ばれたのは、『PENTAGON』のフイくんとイドンくん。
ヒョナやスンさんの後輩にあたるCUBEエンターテイメントの若手ボーイズグループ(日本人メンバー・ユウトくんがいるよ!)のメンバーです。
私は『PENTAGON』の「ペ」の字も知らないのですが、(グループ名を知っている程度)
この明らかにヒョナに添えられているだけのふたりがすご~~~く可愛く見えちゃう。


彼らは、助さんと格さんなのか、トンズラーとボヤッキーなのか。
その正体はまだまだまだまだわからない。




「アイドル」(アーティスト?)としてパフォーマンスする姿を見るまでは、
"コンセプトイメージ"の「ストーリー」の可能性は未知数なのであります。


個人的にはそこはかとなかく漂う「クズ臭」(褒めてます!)がたまらなく好きなので、
「アイドル」として登場する前に、一本ドラマが見てみたい~なんて思っちゃいます。
そんな世界観をつくりだしたビジュアルディレクションがお見事です!

ムーンライト

びっくりした、わからなすぎて(笑)




と、いうわけで以下閲覧要注意でお願いいたします。
ってかわからない私を許して。




よく、「トランプに獲らせてもらったアカデミー賞」と言われているのを見かけたけれど、
それに反論できる要素がない(笑)


"センシティブな「設定」"を扱っているだけに、
むしろアカデミー賞だなんて注目を浴びるんじゃなくて、
そっとしてやっていたほうがよかったんじゃないのとさえ思う。
そのくらい静かな作品だった。
その静けさは、嫌いではないのだけれど。


逆にいうと、アカデミー賞作品だからこそ、
私なんぞの近所のシネコンで上映されたのだと思う。
そういう意味では、この作品をちゃんとスクリーンで観ることができたのは奇跡なのかも。
むしろ、日本で公開されること自体が奇跡かもしれない。たぶんそう。
アカデミー賞様様。それぐらい個人的にはわからなかった(笑)




"センシティブな「設定」"をして後味がさっぱりしているのはこの場合、良いのか悪いのか。
演出ばかりに気を取られていて登場人物をぜんぜん掘り下げられていないからがゆえに、
こちらが気持ちを寄せる部分がない。
そういう作品はたくさんあるけれど、私はこの「設定」ならば気持ちを寄せたかった。
たとえそれが偏見だと言われようとも。
見守ることすら、できなかったから。


質感はライトなので、ありがちな話がスムーズに進むわりには退屈せずに済んだ。
3章に分かれているのもわかりやすくてよかった。
(さいさん言っている「わからない」は作品に対するものではない)
最後の章に現れたの主人公の姿にまた悪い意味でびっくりさせられたけど。


役者の演技が良かったのがせめてもの救い。
それがなかったら本当に(私が)どうしようもなかった。


原案は戯曲なのだそうで。
なるほど、と、そこはすごく腑に落ちた。
でも映像化するにあたってちょっと無防備すぎだと感じた。




カメラワークがとにかくひどい。酔う。
全体的にウォン・カーウァイを意識しているらしいけれど、
意図なく振り回されたように感じられたそれは不快でしかなかった。
私自身は『ブエノスアイレス』が大好きなので、
「オマージュを捧げた」旨の記事を見ては勘弁してくれよ、と思った。
予告映像のほうがよっぽどよくできてる、ってのは、まぁよくあることか。


そういったこともあってか、キービジュアルも含め、画としてのビジュアルは良かった。
タイトルやロゴタイプなども洗練されていてとてもシンボリック。




なにがそんなにアカデミー賞審査員の心を動かしたのかめちゃくちゃ疑問だった。
アカデミー賞って、こんなに世相ばかりを反映させなければならない賞だったの?
あまりに純粋で優しく無垢に撮られた本作が、
まるでトランプ政権への総意の象徴のように掲げられているならばかわいそうなくらいだ。